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AIが創作することについて②AIが創作をはじめても人間を抜きにすることはできない

「AIが創作をはじめても人間を抜きにすることはできない」

ここからAIが創作することについて思うこと。

今はまだ、AIに命令して絵や文章を書いてもらって「へえーこんなの作れちゃうんだあ」と感心している段階だから、まだいい。人間がAIに作らせたものにちゃんと目を通している。

でも、これから先、もっともっとAIの頭がよくなるでしょう。そうしたら文学賞顔負けの長編小説を1秒で書いたりして。しかも100パターンの長編を1秒で書き上げる。AIに作品を作らせる人は一人だけじゃないから、100億でも1兆でも、いくらでも違う作品ができてしまう。

ここまでくると作ったものの最初の1ページを見て感心して、もうその先は見ることもしないね。まず、量に圧倒されて読む気が起こらないでしょう。

おれはAIが高度化して、作品のレベルがあがるほど誰も見ないし、読まなくなると思うんだ。

人間というのは寿命がある。1兆もの作品が存在する時にすべてに目を通すことはできないし、その作業に意味はない。これは人間一人の話ではない。ほとんど全ての作品がどれだけ優れていようと誰の目にも触れないままだ。

1秒でものすごい小説が作られるということは、1秒でリセットすることもできるということだから、ありがたみも何もない。どれだけすごい作品でも一瞬でこの世から跡形もなく消える。

AIが高度になった未来の世界では、人間が誰も見ることがないすぐれた作品がたくさん誕生することになると思うけど、これを「芸術」と言えるのかということにものすごく疑問がある。

おれはこんなの芸術でもなんでもないと思うよ。これって人間が誕生する以前の自然とか、人間が滅んだ未来の世界に芸術は存在するのかって議論とまったく同じにできるね。

人間が誰も見ることのないAIがつくった作品は、人跡未踏のジャングルの世界とまったく同じだ。その作品がいつの日か、日の目を浴びて評価されれば芸術になる「可能性」があるというにすぎない。

AIがつくった誰も見ないし、読まない作品はそれがどれだけ素晴らしいものでも芸術ではない。しかしそれを人間が見たり読んだりすれば、芸術になる「可能性」はあるモノってことはおれも否定しない。

そしてそれに対して人間が心を打たれたり、人間が人間の手で書きとめるなど、言葉にして評価しないといけない。

だけど何百億も作品が氾濫した未来の世界で、ただしく評価されるとは思えないし、芸術になることはないんだろうな。人間が滅びる日もそう遠くはないと思うし。

AIというのはスマホのアプリであったりして、簡単にアクセスできて目の前にあるから誤解するね。スマホへの物理的な距離が近くても、「星空のディスタンス」だ。星間距離に匹敵する。AIによる作品が人間の目の前にあるようで、人間の目に触れることがなかったら芸術でもなんでもない。

人間が誕生する以前の太古の地球、1000年後の人類のいない地球に芸術は存在しえない。遥かかなたの銀河系の、地球人と接触していない高度な文明をもつ惑星で書かれた小説を芸術と認めるのと同じようなトンチンカンな話がやがて出てくると思う。

おれは芸術とは人間の存在を抜きにしてはありえないものだと思う。だから、これからも自信をもって、いろんな面白いことを思いついて書いていきたいと思ってる。

人間が自分の手で作ったものだったら、どんな作品だろうと、誰からも読まれなくて評価されなくても、少なくとも書いた自分はそれを読んでいるし、自分の意識を通過して、表現されたものだから、それだけでもAIがつくったすごい作品よりも優れているとおれは思う。だから、おれはAIに勝ってる。笑 AIは負けている。100年後にも負けている。誰もが自信をもってAIよりも自分は優っていると胸を張っていいはずだ。

AIのバカ!!!!!笑


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