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バカの壁と、二元論をこえた社会 アーシュラ・K・ル・グィン「闇の左手」

初めてアーシュラ・K・ル・グィンの小説を読みました。

「闇の左手」ハヤカワ文庫SF

1969年の作品です。

両性具有の人たちの社会が出てくるよ。

タイトルの「闇の左手」

「闇」と対になるのが「光」、「左手」と対になるのが「右手」

これらは対義語というわけではないみたいです。

西洋の二元論よりも、東洋の陰と陽の思想に近いみたい。どう違うと言われてもよくわからないので、ごめんなさい。対になるものどうしが相互に部分をつくって、全体で一つになっている。

例えるなら、コップの中で牛乳とコーヒーを混ぜたカフェオレってことかな。同じコップなら全体で一つだから、お互いに混ざらない水と油でもいいのだろうか。

惑星ゲセンの人たちは「男と女」という性差がないから、タイトルはこれに引っかけているんだね。

ヨメシュ教徒の予言をする人たちが出てきます。この能力は予言というよりも、すべてを同時に見ることらしい。全体を見る能力だ。

部分にとらわれるのではなくて、全体を見ていますね。

惑星ゲセンでは戦争がない。面白いアイディアだ。

この本を読んで思い出したのが養老孟司の「バカの壁」

バカの壁では、一元論がよくないって言ってた。一つの考え方や、視点にこだわること。

一神教はまさに一元論の宗教で、イスラム教やキリスト教は一元論に陥るから、戦争をしてきたわけです。

戦争とまでいかなくても、日常でも話が通じない、争いが絶えない、バカの壁はどこにでもあります。

コロナ騒ぎなんて完全にそうだよなあ。

惑星ゲセンの人たちが戦争をしない理由、アーシュラ・K・ル・グィンはとっくに「バカの壁」に気が付いていたんだね。

惑星ゲセンで戦争はないけど、それ以外は全部あるってのも面白い。殺人、拷問、陰謀なんかはあるんだ。

「闇の左手」もう一回よく読んで、そのうちまとめます。






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