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AIが創作することについて①自然は偉大な芸術家か?ニュートン以前の万有引力

AIの頭がどんどん良くなって創作まで始めたらしい。

創作って、人間の頭を通り過ぎて、ことばや絵の形をとったものをいうと思っていたのだが。人間だけの特権ではなくなるのだろうか。うーん。

「自然は偉大な芸術家か?」

よく木漏れ日のさす森林や、さえずる小鳥を詩人にたとえる。

人間は手入れされていない自然を観察することで学ぶことが多いはずだし、自然こそ偉大な思想家であり、表現者であるとしても、それは「人間」の目を通して発見されたり、目撃された自然だよね。

森の中に美しい声で鳴く鳥がいたとして、この鳥は森の芸術家だなあと思うのは人間でしょう。人間が誰もその森に足を踏み入れたことのない昔から、たくさんの鳥たちがずっと歌をうたってきたけど、人間が目撃して、心を打たれてはじめてそれは芸術になるんじゃないかと思う。

人間はむき出しの自然を見た時に畏怖の気持ちを抱いたり、無力だと感じたり、美しい光景に心打たれる。

自然が人間に対して開示されている、開かれた状態にあって、それに対して真摯に耳を傾けようとする人間の姿勢があって、自然は芸術家になるんじゃないかな。

人間が誕生する以前から、地球は回ってるし、青と緑の自然の豊かな美しい惑星であり、時には氷漬けになって厳しい一面を見せてきた。だけど、そこに人間がいなかったら、なんの心の動きをひき起こすものがないじゃない。

芸術以外だと、ニュートンの「万有引力の法則」とか、どうかな。

ニュートンがこの法則を発見する前から、リンゴは木から落ちたし、隕石が落ちて恐竜が滅んだりしている。

ニュートン以前から、この法則が地球で働いているけど、ニュートン以前と、ニュートン以後の違いってなんだろうか。

それは開示された自然に対して、目を向けてそれに気がついたかどうかってことだね。

自然も、物理法則も、人間にとって気がつきにくいというだけで、隠ぺいされているように見えるけど、逃げも隠れもしていない。

ニュートンは頭がものすごくいに決まってるから、自然をじっくりと観察した時に、それに気がつくことができて、それが「万有引力の法則」の発見だね。

芸術家である自然も、万有引力の法則も、人間に対して包み隠さずに開かれていて、それに人間が気がつくことで意味を持ち出したってことには変わりない。

人間の手による芸術作品も、芸術家は脳死状態でつくったわけはないから(笑)、自分自身と向き合って、それを形にしたわけでしょう。人間の内面も自然と同じように、包み隠されてはいるけど、逃げたりはしないよね。そして、それが形になったら、芸術家本人じゃない人まで感動させる。それは芸術作品として開かれたものに対してだ。

AIのつくった作品を創作とか、芸術と認めていいかどうかは、人間に対して開示されており、それに向き合う人間がいて、人間が人間のことばを使って正しく評価した時に、それは初めて意味をもつ。

AIがいくらすぐれた作品を自動的にポンポン量産しようが、人間を無視することは絶対にできない。だから人間は機械なんかに立場や、尊厳を奪われることはない。

おれの主張はものすごく主観的かな?

だけど、こういう考え方をしないと、この先、人間はやっていけないよ。

世の中で通用してる一般的な考え方に、人間というものを、目の前にあるモノと同じように捉えたり、モノと同じように規定できるというのがあるでしょう。人間を客観物として見るやり方。むしろみんなこう思ってるんじゃないかな。

この考え方だと、人間とAIを比較した時に「人間の負けだ!」とそのうちなってしまうよ。そうしたら、人間はAIよりも劣った存在、価値がないんだと、自分をどんどん失っていく。人間はモノじゃないよ。

各人が自分にとって固有の生を生きているのだから、自分がいなければ世界はないのです。それを他の人と分かち合って人間の世界ってできているのではないかなあ。

僕たちにはもっと哲学が必要だね。

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