初デートから浮かび上がった人生観

今月初め,友人の紹介によりデートをした。
初対面のため,2時間程度に時間を設定し食事をしながらお話しをした。

相手はとても外向的な交的な人柄だった。SNSを使いこなし,休日は友人と過ごすことが,一人でいるよりもストレスの発散になる,回復できるのだと言っていた。

私はとても内向的で,SNSには興味がもてないし,休日は一人で過ごすことを第一とし,人生とは?愛とは?人間とは?答えの出ない問題をずーっと考えていることがほとんど。

人生初めてのデート。それまで自身の弱点だと思っていた会話力は,意外にも自分には備わっていたらしい。対面~解散まであまり会話が途切れることはなく,想像以上にスムーズに話すことができた。相手の話すことに対して一つ疑問点を見つけて質問する。知っていても知らないふりをして質問をする。興味がもてなくても,興味があるような素ぶりで質問をする。そうすると,結果的に会話は深堀されて,なんとか会話は成立する。

2時間程度かつ初対面なら,これらの付焼刃を使ってスムーズに会話ができることに気付けたのは自分の中では大きな収穫だった。

ただ,互いの相性を確認するという意味合いの強い,今回のデートでは私は理解者は得られなかったように感じる。相手もおそらく私のことを「違う」と感じたはず。会話こそスムーズだったものの,何か違う。お互い会話中は本音を言っているのは感じているが,核心には迫れていなかった。いや,核心に迫れるような話題を互いに出さなかった。の方が正しいかもしれない。

今回のデートで分かったこと。それは,
「自分に似た性格の人の方が私には合っている」ということ。

「あのお店の○○が美味しかった」,「旅行で行った○○がとても綺麗だった」といった「外」の話に対して,私はそんなに興味をもてないことに気付いた。極度のインドアのため,聞いたところで行かないだろうし,食べないだろうから。

私はいつ何時も考え事をしている。求める答えは「外」にはなくて,虚無を見つめ続けることでしか辿り着けない。

私が本当に知りたいのは,その人が人生をどう捉えているのかということ。
その人なりに自分を見つめ続けて得た「人生観」と私のものとを照らしあわせて,さらにブラッシュアップすることで,より普遍的な「人生の定義」に近づくことができると思うから。

言語化されていないもしくは言語化の難しい概念に対して,「自分なりの定義を見つけること」が私の人生の使命なんだと思う。

だから,私に課されたこの道を,同じ方向を見て,隣で一緒に歩いてくれる人が私の求める人なんだと思う。

「人生の方向性」が同じ人。これが私の求める理想。

まだ出逢ってないだけかもしれない。この人生では逢えないかもしれない。生涯他人から愛される機会に恵まれなかったとしても,妥協した愛では満足できない。

人は他人との愛の授受がないと生きていられない。
愛を保証してくれる親はいつかは必ずいなくなる。
親が子よりも先にこの世界から去るのは自然の摂理。
自分から完全に独立した関係にある他人からの愛が必要になるときが必ず来る。

もし,私が生涯愛されなかったとして,これまでたくさん受け取ってきた親からの愛だけで,人生を最後まで全うできるだろうか。

自信がない。


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