小兵衛

横浜市在住 考古学、特に古墳が好きで、関東はじめ全国の古墳巡りを始めています。

小兵衛

横浜市在住 考古学、特に古墳が好きで、関東はじめ全国の古墳巡りを始めています。

最近の記事

素人の考古学―群馬県高崎市古墳(保渡田古墳など)群巡り

●はじめに 群馬県およびその周辺地域は古墳が非常に多く、その数約1万3千を数え、内約2千基の古墳が現存していると言われている。 このことは、嘗てこの地域が大和朝廷と太い絆で結ばれた有力豪族が数多く存在していたことを表している。また古墳遺跡からの出土品に、朝鮮半島由来のものが多く、さらに半島から輸入された馬が渡来人により広く飼育され、朝廷に供されていたことも知られている。このことから、この地域は当時の朝鮮半島及び大陸文明を吸収した、先進且つ大和朝廷にとって戦略的重要地域であっ

    • 素人の考古学―東京の低地(葛飾区・足立区・台東区)の古墳巡り

      1.    葛飾区柴又八幡神社古墳 直径20~30mの円墳。6c後半 葛飾区八幡神社の裏手の石垣は石棺であることが判明。周溝の周りには溝が掘られ、円筒埴輪や人物や馬など形象埴輪が出土した。直刀、馬具、鉄鏃、須恵器なども出土した。 東京低地では石室を伴う古墳は本例のみ。 2.    足立区白旗塚古墳 この付近の利根川水系綾瀬川支流の毛長川南岸の自然堤防上には、擂鉢塚古墳、甲塚古墳、白旗塚古墳など7基からなる白旗塚古墳群が形成されていたとされる。 直径12m、高さ2.5m

      • 素人の考古学―東京都心の古墳群巡り

         古墳時代はまだ海進により東京の深くまで海がいり込んでいて、都内も低地は海の中で住居や古墳は多摩丘陵部先端部のような高台に作られていた。 その古墳も都市開発によりほとんど消滅してしまい、現存するものはわずかである。 中でも港区芝公園内にある芝丸山古墳は4cの大和王権との関係が伺われる大型前方後円墳である。その他の古墳は古墳後期の円墳が多い。 保存状態は非常に悪く、残っている遺跡もいずれ消滅してしまうので今のうちに確認しておきたい。   1.芝丸山古墳 (都指定史跡) 港区芝公

        • 素人の考古学―東京都多摩川上流その2(多摩市・八王子)の古墳巡り

          ●多摩市周辺の古墳群  多摩市の古墳時代集落は多摩川支流の大栗川流域に限られており、乞田川流域に開発の手が加わるのは奈良時代に入ってからである。 1.   塚原古墳群跡 大栗川流域には、江戸時代には古墳が40基以上あったようであるが、宅地化によりほとんどが削平されていた。 現在10基確認されており、今後も増える可能性がある。 民家の庭先に残る1号墳。直径9m、高さ2ⅿの円墳。未調査だが、羨道の門柱石と思われる石材が露出している。 2.   稲荷塚古墳 大栗川流域

        素人の考古学―群馬県高崎市古墳(保渡田古墳など)群巡り

        • 素人の考古学―東京の低地(葛飾区・足立区・台東区)の古墳巡り

        • 素人の考古学―東京都心の古墳群巡り

        • 素人の考古学―東京都多摩川上流その2(多摩市・八王子)の古墳巡り

          素人の考古学―東京都多摩川上流その1(府中・国立市)の古墳巡り

          ●府中市周辺の古墳群 府中市周辺は、武蔵野の天平の史跡のまち、7世紀頃にこの地方の有力者の古墳が築造され、すぐその後に東山道が通り、次に武蔵国の国府が置かれ、国分寺、国分尼寺が造られ、武蔵国の中心地となった。 今回はこの史跡をたどりながら当時に思いをはせる旅であった。 各遺跡には付属の資料館があり、詳しい説明と、出土遺物を見ることが出来た。 以下国府が置かれる直前の主な古墳である。   1.   武蔵府中熊野神社古墳(国史跡) 上円下方墳、7世紀中、同型は全国に5

          素人の考古学―東京都多摩川上流その1(府中・国立市)の古墳巡り

          素人の考古学―東京都多摩川中流(砧・喜多見・狛江・三鷹)古墳群巡り

          多摩川下流の荏原台古墳群の田園調布古墳群および野毛古墳群に続き、今回は多摩川中流である世田谷区の砧および喜多見、狛江市、三鷹市の古墳群14基を訪ねた(5~7世紀の円墳群)。  狛江地域にはかつて70基前後の古墳群があったようで、現在は十数基の古墳が主に民家の敷地内に保存されている。 この辺りは独立した政治の集合体であったが、やがて荏原台古墳群の政治体制に組み込まれていった。 1.    砧中学古墳群4号墳 この古墳群は砧中学校校内にあり、野川と仙川に挟まれた台地上に分布してい

          素人の考古学―東京都多摩川中流(砧・喜多見・狛江・三鷹)古墳群巡り

          素人の考古学―東京都多摩川下流その3(野毛古墳群)巡り

            野毛古墳群は尾山台から野毛にかけて、多摩川の左岸の台地に連なっている。   1.   野毛大塚古墳。5C初頭。 82mx11mの帆立貝形円墳でこの辺で最大、墳丘上に4つの埋葬施設がある。 短甲・冑・鉄剣・鏡・滑石模造品など大量に出土し国重文。 2.   稲荷塚古墳、33x3mの円墳か前方後円墳。 4c末、後円部に竪穴埋葬設備があり、粘土槨や鉄剣など出土。 野毛古墳群の中で最初に築造された首長墓と考えられている。 3.   稲荷丸塚古墳 この公園もかつては個人の庭園だっ

          素人の考古学―東京都多摩川下流その3(野毛古墳群)巡り

          素人の考古学―東京都多摩川下流その2(田園調布)古墳群巡り

           この地域には長期にわたった古墳があるが、4c前半~5c初頭の古墳発生期には、大型古墳が築造され、5c末~7cには小型前方後円墳を中心として多くの円墳が築造された。5c前半~後半にかけては、野毛古墳群で、大型円墳が築造された。 1.   亀甲山古墳(国史跡)  107m前方後円墳 4c後半~5c初頭 荏原台古墳群では最大の規模。     宝莱山古墳の次の世代の首長の墓と考えられる。 未調査。 2.   群集墳(1号から8号墳)  亀甲山古墳と宝莱山古墳とに挟まれた地域

          素人の考古学―東京都多摩川下流その2(田園調布)古墳群巡り

          素人の考古学―東京都多摩川下流その1(西岡)古墳群巡り

           多摩川沿いの東京側には、下流、中流、上流と古墳群が続いている。 下流は、荏原台古墳群(二分して田園調布を中心とする「田園調布古墳群」、尾山台から野毛にかけての「野毛古墳群」がある)。 中流は、砧・喜多見・狛江古墳群。 上流は、高倉古墳群、青柳古墳群、四軒在家古墳群、下谷保古墳群、塚原古墳群、稲荷塚古墳など。 西岡古墳群 田園調布古墳群のうち、田園調布から東方面の古墳群。西岡*号墳が多数存在する。 1.   西岡32号墳 32m円墳(31号と32号を合わせて前方

          素人の考古学―東京都多摩川下流その1(西岡)古墳群巡り

          素人の考古学―神奈川県三浦半島の海蝕洞穴巡り

          三浦半島には海蝕洞穴が沢山あり、数回見に行ったがなかなか見つからず、今回は先生や現地の専門家に案内してもらい、新たな遺跡をたくさん見ることができた。 海蝕洞穴は三浦半島の東京湾側に集中している。 あたりはキャベツと大根畑。大根は太りすぎて出荷されず転がっていた。 向う側に久里浜が見える。 三浦半島の南端部、東京湾の浦賀水道に面する三浦市南下浦町松輪に、間口という小さな漁港があります。入江に面した岩壁には、北から雨埼洞窟遺跡、大浦山洞窟遺跡、間口洞窟遺跡、さぐら浜洞窟遺跡など

          素人の考古学―神奈川県三浦半島の海蝕洞穴巡り

          素人の考古学―神奈川県二宮町の横穴墓群巡り

           神奈川県中郡二宮町。相模国二之宮の川匂神社が有る。 二宮町に東から葛川、梅沢川、押切川と相模湾にそそぐ3つの河川があり、横穴墓群はこの3つの河川の流域に多数つくられている。 吾妻山に古墳時代から奈良時代にかけて造られた釜野八重久保、古屋敷、倉上など横穴墓群が現存する。 1.釜野八重久保横穴墓群 釜野丘陵斜面。ほとんどが斜面の低いところにあり観察しやすい。 11基からなる。古墳時代後期。直刀、金銅環、小玉、須恵器、土師器など出土。 2.古屋敷横穴墓群  大磯丘陵

          素人の考古学―神奈川県二宮町の横穴墓群巡り

          素人の考古学―神奈川県多摩川右岸の横穴墓群巡り

           古代は多摩川をはさんで両岸は同じ武蔵国であるが、古墳の展開が異なっている。東京側の左岸は墳丘墓が下流から上流にかけて続いており、特に中流域に集中しているのに対して、川崎側の右岸は南部周辺に初期にはほぼ左岸に負けないほどの墳丘墓が築成されているが、中期以降は、墳丘墓は少なくなりバラバラに築成されている。また北部周辺に横穴墓が多く見られる。これはこの地方が屯倉に献上された影響か、首長クラスよりも豪農クラスが多く居住していたのではないかと考えられる。   ①  荏子田横穴墓 横浜

          素人の考古学―神奈川県多摩川右岸の横穴墓群巡り

          素人の考古学―神奈川県横浜市栄区の横穴墓群巡り

               鍛冶ヶ谷市民の森にある横穴墓群。約20群200基存在していたイタチ川流域の横穴群。  ➀宮ノ前横穴墓群  6~7cに築成された24基の横穴群。  特徴は、玄室が細長い台形の床面と蒲鉾形天井を持っており、さらに奥の   壁に棺室といわれる独特の小部屋を掘っており、鎌倉型横穴墓と呼ばれる  ものがある。 ➁七石山横穴墓群  イタチ川流域横穴墓群の1支部である。かつてJR本郷台駅周囲に100基以  上あったとみられ、現在は4基ほど線路北側に残るに過ぎない。

          素人の考古学―神奈川県横浜市栄区の横穴墓群巡り

          素人の考古学―神奈川県藤沢市川名清水谷戸の横穴墓巡り

           川名清水谷戸は、JR藤沢駅から徒歩で15分の所にあり、農業の営みと自然と共生しながら里山を守ってきた場所。 昔ながらの原風景がそのまま残り、遠足の子供たちが泥んこになって大騒ぎをしていた。 片瀬丘陵には、100基以上の横穴墓の存在が知られている。 川名には神光寺横穴墓群があることはよく知られている。 さらにその奥の谷戸にも横穴墓があるという話は聞いたことがあるが、 過去2回行ったが見つけることができなかったが、今回谷戸の奥の奥まで分け入って見つけることができた。   ➀神光

          素人の考古学―神奈川県藤沢市川名清水谷戸の横穴墓巡り

          素人の考古学―神奈川県大磯高麗山周辺の横穴墓群巡り

          大磯は弥生時代に東海から移住した人たちが住みはじめ、古墳時代には朝鮮半島からの渡来人を大和朝廷が大磯に移住させたそうで、いろいろな文化の痕跡がある。 神奈川県には3,200基の横穴墓があるといわれており、そのうち大磯には1,000基以上あったといわれていおり、全国屈指の横穴墓密集地帯である。  ➀楊谷寺横穴墓群  27基 古墳時代後期  千畳敷山(高麗山 180m)の登り路になる部分の左側山腹に4段にわた   って穴が分布している。  この横穴は切妻造り家形に表現さ

          素人の考古学―神奈川県大磯高麗山周辺の横穴墓群巡り

          素人の考古学―神奈川県川崎市幸区の古墳巡り

           川崎市幸区南加瀬・北加瀬に加瀬山古墳群・夢見ヶ埼古墳群がある。 多摩川と矢上川に挟まれた標高33ⅿの独立丘陵に古墳が11基存在している古墳群。この辺りは穀倉地帯で、肥沃な土地で、稲作をもとに力をつけた一族が台頭して地域を納めていた。近くに4c後半にヤマト王権との交流があった白山古墳(消滅)があり三角縁神獣鏡も見つかっている。その後、7c後半まで連綿として古墳の築造が続いた。 ➀白山古墳(消滅):前方後円墳 4c後半 首長墓 全長87m、後円部径42m、同高10m、前方

          素人の考古学―神奈川県川崎市幸区の古墳巡り