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素人の考古学―東京都多摩川上流その2(多摩市・八王子)の古墳巡り

●多摩市周辺の古墳群

 多摩市の古墳時代集落は多摩川支流の大栗川流域に限られており、乞田川流域に開発の手が加わるのは奈良時代に入ってからである。

1.   塚原古墳群跡

大栗川流域には、江戸時代には古墳が40基以上あったようであるが、宅地化によりほとんどが削平されていた。

現在10基確認されており、今後も増える可能性がある。

民家の庭先に残る1号墳。直径9m、高さ2ⅿの円墳。未調査だが、羨道の門柱石と思われる石材が露出している。

(塚原古墳1号墳)

2.   稲荷塚古墳

大栗川流域の、恋路稲荷神社の下に稲荷塚古墳があり、「八角形墳」である。八角墳は全国で11基のみで、大和の天皇陵が有名であるが、なぜこの地にあるのか不明である。7c前期。

幅2ⅿの八角形の周溝に囲まれ、対角径34ⅿの墳丘は2段に築かれている。埋葬施設の石室は全長7.7ⅿで羨道、前室、玄室からなった精巧な切石の組み合わせで技術的にも卓越した横穴式石室である。

基準となる尺度に、35.5cmを1尺とする高麗尺を使用しており、切石胴張複室構造の石室は朝鮮半島の影響を受けたものとされている。府中熊野神社古墳も同じ構造の石室を持つ。

(稲荷塚古墳)

3.  庚申塚古墳

 大栗川流域の民家地開発に残る貴重な古墳。墳頂に地蔵堂がある。

(庚申塚古墳)

●八王子市周辺の古墳群

 八王子の古墳の数が、古墳時代の想定される人口と比べると少ない。群集
 せず単独で存在する小さな円墳が市内でいくつか見つかっているが、八王
 子市域にある小さな古墳の被葬者が、北大谷古墳の下にいたそれぞれの村
 を治める有力者の墓であろう。

4.北大谷古墳

 多摩川の支流である浅川と多摩川に挟まれた標高140ⅿの加住南丘陵の南
 の林に古墳はある。

 39mの円墳としているが方墳とする説もある。 7c前半

 主体部は泥岩を積んだ切石積横穴式石室で胴張形横穴石室。府中熊野神社
 古墳や多摩市の稲荷塚古墳、天文台構内古墳などと同じである。

 石室は奥行約14.4m、幅約2.4m、高さ約2.7m。石室は4部屋に区切られ、
 入口には石柱を立て、そこからの3室は方形で広く、奥の1室は円形で最も
 ひろい。同時期に造られた稲荷塚古墳よりも、石室の規模は大きく、7c
 前半の多摩地区を代表する人物が被葬者であろうとされている。

(北大谷古墳)

 埴輪と葺石は存在しない。盗掘され石室内から副葬品は発見されなかっ
 た。

北大谷古墳の北東に小宮古墳、西に一本松古墳、鹿嶋北古墳、鹿島古墳などもあり、この一帯には多くの遺跡が点在している。(参考:大塚初重著「東京の古墳を歩く」)

5.昭和天皇陵
 八王子市にある武蔵野陵は皇室墓地。大正天皇陵、貞明皇后陵、昭和天皇
 陵、香淳皇后陵がある。
 上円下方墳であり、明治天皇陵以降上円下方墳が続いている。
 古墳時代終末期に天智天皇、天武・持統天皇などは八角墳が続いた。
 明治時代、八角墳を誤って上円下方墳と理解して、それにならって明治天
 皇陵を上円下方墳にしたと考えられる。

(昭和天皇陵)

以上

                小兵衛

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