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希望の星!?

専門学生の時サッカー部の同級生や後輩から、テストやなにかしらの催しがある度「桒原にできるなら俺にもできる」「桒原先輩にできるなら俺にもできるかもしれない」そう言われてきました。

当時のぼくは馬鹿にされているような気がして嫌でしたが、最近ふとした瞬間にこのことを思い出し「今ならそんな存在でいられたのも悪くはなかったかもしれない」そう思えて当時を振り返ってみました。


ぼくは農業高校から理学療法士を志しました。

祖母がポリオ、母が頻繁に会う親しい友人夫婦も車椅子生活をしており、幼い頃から障がいのある方が身近にいました。

「人の役に立つ人になりなさい」そう育てられ、高3の進路を決める時期に、母の勧めで理学療法士を知り学校見学をした時に「楽しそうだな」そう思い理学療法士になる決心をしました。

専門学校の過去問を取り寄せ、担任の先生に相談したところ、今まで農高から医療の道に進んだ生徒はいないし、ここまでの範囲はうちの学校では履修していないから入試もどうかな… と言われました。

それでもなんとかなるだろうと勉強し、周りのサポートのお蔭もありなんとか合格できましたが、勉強の習慣がなかったぼくにとってはそこからが困難の連続でした。

決して手を抜いていた訳ではないのですが、小テストでは再試の連続、1年生のテストではビリから2番目、それでもなんとか挽回しギリギリで2年に進級できました。

しかし2年も留年ギリギリの成績でなんとか3年に進級でき「首の皮一枚繋がっている」そんな状態がつねに続きました。

3年になってからも試験はぼろぼろ、3期ある臨床実習では1期目に不可、2期目、3期目共に可という結果でした。

加えて、秋ごろから始まる国家試験の模試や校内テストも惨敗。

それでも勉強をこつこつと続けた結果、冬休み明けの模試からは成績が上向き、安定して得点を取れるようにもなり成果が実ってきました。

国家試験を受け、学校に戻ってから自己採点をし、なんとか合格ラインにも達しており無事に卒業式と謝恩会を迎えることができました。

理学療法の学科長でサッカー部の顧問でもある先生を始め、理学療法学科のほとんどの先生達に「桒原が3年で卒業できると思わなかった」「1年生の時に真っ先に留年すると思った」そう言われました。

こんな姿を3年間も見せていたのだから「桒原にできるなら俺にもできる」そう思われるのも当然ですよね。

1年、2年と進級する際にサッカー部の仲間、クラスメイトで数人は留年をしてしまいました。

「いつもぎりぎりだけれど、それでも諦めずにしがみついてなんとかやっている、そんな桒原の姿が同級生や後輩に希望のお福分けをしていたのかもしれない」そう思えました。

平凡で劣等生だからこそできることがあると想います。

平凡で劣等生だからこそその姿が誰かの心に響くのかもしれません。

優秀な人もそうでない人も、その人なりの悩みを抱え、その人にしか出来ないことがあるんだなと今では考えられるようになりました。


また少し話は逸れますが、好敵手の存在があると自分の成長を後押ししてくれるようです。

「あいつにできる事なら俺にもできる」「誰もが困難だと思っていた壁を誰か一人が超えられると、皆んなが次々にその壁を乗り越えていける」名前は忘れてしまいましたが、そんな法則や現象があるようです。

桒原はみんなの希望であり好敵手だったのかもしれません。笑

切磋琢磨しながら高めあう桜木と流川・悟空とベジータのように、そんな仲間や好敵手が見つかると、今より更に自分を成長させるきっかけになり、楽しい日々が待っているかもしれませんね。


お付き合いいただきありがとうございました。

#理学療法士 #平凡 #劣等生 #努力 #希望 #好敵手 #成長 #ブレイクスルー

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