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脳神経倫理から考えてみたシビュラシステムの社会受容経緯

※以下、PSYCHO-PASSシリーズ(劇場版PROVIDENCEを除く)のネタバレを含みます。

 ニューロテクノロジーの技術動向と脳神経倫理・神経法学について勉強していたところ、PSYCHO-PASSのシビュラシステムが、公式設定とは別に、リアルに社会的に受容されるシナリオがあり得そうな気がしてきた、という話です。


公式設定と個人的に気になっている点

 人間のあらゆる心理状態を数値化し管理する巨大監視ネットワーク〈シビュラシステム〉が人々の治安を維持している近未来。

あらゆる心理傾向が全て記録・管理される中、個人の魂の判定基準となったこの計測値を人々は「サイコパス(PSYCHO-PASS)」の俗称で呼び習わした。

https://psycho-pass.com/story/

 シビュラシステムはこの通りガッチガチの監視システムであり、サイコパスによって職業の種類や選択範囲が指定され、強制的に収容・治療を受けさせられ、犯罪を犯す前に拘束されるという社会を実現している。人口爆発、経済破綻、デモ・暴動の世界情勢の中で、システムのある日本だけ治安・経済の復興・維持に成功した、ということとはいえ、
-それだけでこの監視システムが民主主義的に受け入れられるだろうか?
-何があったら警察組織が1省庁の局に縮小するような改変が起こるのか?

 というのが第1シリーズを観ていた2012年から考えることを楽しんでいる疑問でした。
 非常に分かりやすい公式の時系列(https://psycho-pass.com/archive/story/)によると、以下の経緯となっています。

  1. 世界恐慌(2020年←!!)、日本政府は鎖国、自給自足方針を決定

  2. 企業の国営化、マークシート式「職業適性考査」導入(2021年)

  3. 「職業適性考査」の高度化のため、サイコパス測定開始(サイマティックスキャン技術+スパコン導入)

  4. 全国民へのサイコパス測定義務化、職業適性考査との一本化(2031年)

  5. サイコパス測定の応用拡大としての「包括的生涯福祉支援システム」確立、省庁改変

  6. 「包括的生涯福祉支援システム」=シビュラシステム施行(2071年)

  7. 精神医療技術の飛躍的進歩、大学制度の廃止

  8. 「潜在犯」制度の施行、警察制度廃止(2091年)

  9. 常守朱、刑事課第一課に監視官として配属(2112年)

 職業適性からぬるぬると監視社会に滑っていく、というのもあるかもしれない。とはいえ、政府による職業適性考査の徹底が目指される時点で「職業選択の自由」が問われるはずで、かつ、考査が個人の心理傾向を基準にしている以上、それに影響している社会的な要因ゆえ格差の固定化・増長を生むことが懸念される。個人の適性だけで就職先でうまくやれる保証もあるかどうか。仮にメリットがあったとしても、測定の義務化の時点で確実に監視社会化が危惧されるはず。犯罪予測なら監視の必要性を後押ししそうだが、この時点ではまだ表立って用途に想定されていない(確かに内心の自由に関わるというハードルは高いか…)。そもそも何をスキャンすることで職業適性診断の精緻化になったのか。
 シビュラシステムは空想の世界でしか導入されえないのだろうか?

考えてみた経緯の出発点

 それだとつまらないので、2021年~2091年までの公式時系列を一旦脇において、リアル2023年を出発点として、シビュラが受容されそうな社会になる経緯を考えてみました。ここで、国内の人口減少と脳神経科学、ニューロテクノロジー(脳からの情報読み出し・介入、それらを組み合わせた技術)の発展と応用の拡大・普及、を前提とします。こんな感じ↓

 20XX年、脳神経科学の発展により、人の心理状態を脳活動から推定することが可能となり、心理状態から職業適性を説明することができるという認識が共有された社会がある。ついに遠隔から脳神経情報を観測する技術が開発され、サイマティックスキャナーが実現する。サイコパス測定の義務化に向けた議論が始まる。

空想経緯1:土壌としての脳神経データの活用浸透

 サイマティックスキャン活用以前に、医療用途だけでなく、個人向けのヘルスケアサービス、組織における福利厚生・勤務管理、マーケティング、といった形で脳神経データが広く活用されている。当初はプライバシーや内心の自由が侵されるリスクについて専門家を中心に懸念されていたが、特定の脳神経データの利用が特にメンタルヘルス的に効果が認められるようになり、「心理状態」に係る情報の第三者への提供はハードルが下がっている。なお、高精度の脳神経データの測定機器は高価であることから、メンタルヘルスケアへのアクセスの公平性を担保するために、会社や病院、公的機関で測定し、そのデータを個人デバイスや医療機関で活用する、というスタイルが公的に推進され、定着する。

空想経緯2:自由意志信念の崩壊

 実際に、
 意志より前の脳の活動が行為に直結していることが示唆された実験結果などから「自由意志」は実質的には存在しない、とされている。それでも、意思があるとしなければ、ある行為に対してその行為者個人に責任があるとみなし、それを非難する(→罰する)ことができない、という点で、自由意志の存在は法規範の前提になっているとされる。多くの人は自由意志を信じているようであり、それを前提とした責任や自己コントロールの認識が社会規範に沿った行動をとることにつながっているとの推測もある。裁判において、責任阻却理由の証拠などに脳神経データが活用される機会が増えており、自由意志の存在を前提とする法規範の見直しが求められるかも、という議論がある。

 以下空想に戻って、

 サイコパス義務化以前から、脳神経データに基づいて最適化された提案に従った行動をとることや自分の心理状態を可視化できる状況が日常化するにつれ、自分が意識するよりも先に行為が決定されることを認識するようになり、自由意志の感覚が薄れていっている状況が生じているかもしれない。それに伴い、自分や他人の行為に対する責任の感覚も変わっていく。
 これらを背景に、刑事責任に関する規範の見直しが図られる。加害者個人に(法を犯すことを目的に行為に及んだことがはっきりしない限り)原則責任が問えなくなる一方、被害者が受け入れられるシステムを考えた場合、犯罪予測・未実行犯の拘束が一つの解として支持されるようになっていく。なお、既にサイコパスを元にした脳神経的介入による精神疾患治療や就業支援が普及していることもこの傾向の後押しとなる。
 一部では監視社会を懸念する声も継続的にあるが、心理傾向の影響が疑われる過度な懸念として、リアル世界ではまともに取り合われなくなっている。もしくは、諸外国の暴動が、経済格差に加えて自由意志信念の崩壊が人々の規範意識の低下を招いたことによる、みたいな論考が出ている。(そもそもその世界情勢で治安と経済の立て直しに成功したことで、国民の政府への信頼が比較的厚いことも前提にある)

空想経緯3:人口減少の警察活動への影響

 多死社会を迎え、基本的な機能を維持できない市町村が増え、都市部でしか生活が難しくなっていく。(巨大な無人穀倉地帯が必要となったのも食料自給率100%を実現するための就業人口が確保できないことがシビュラ計算で示唆されたため。)人手不足かつ職業適性が出にくいことなどから、都道府県警察の形を維持することが困難になり、活動に支障をきたし始める。これにより、都市部において防犯カメラとサイコパス測定が組み合わされたシステムの導入が始まる。この時には既に同様のシステムが会社、学校等で健康管理目的に導入されていた(データが犯罪捜査に用いられることもあった)ことから、受け入れられる。通報から臨場までの時間短縮や(拘束によらない)未然防止の効果が認められるようになる。

空想経緯4:「潜在犯」制度施行と引き換えに警察制度廃止

 サイコパスに基づいて治療を推奨されたり実質治療しなければならない状況に置かれることはあっても、強制的な治療や身体拘束はなかった。「潜在犯」制度は後者を可能にすることから、あくまで「生涯福祉支援」の範囲であると位置付けるとともに、「潜在犯」の就職口を確保しつつ元の権力を縮小させる、という形で制度への支持を図った。

よし、辻褄を合わせられた。

スルーした点

 人口減少を前提におくと、生殖への政府の(シビュラシステムを使った)介入、適職診断と同等レベルの強制マッチングサービスや女性のキャリアコントロールを狙ったヤバい制度、みたいなものが出現してそう、と思いつつ、空想経緯中ではスルーしている。子どもが少なすぎて逆に血縁主義が廃れた、というシナリオも考えたが、楽観的すぎるだろうか。
 作品自体は人口爆発の設定(日本は不明)のせいか、監視社会のわりにそこは介入対象でなさそうで良心的にすら感じる。(マッチングサービスはあり使うのが当たり前、のような雰囲気はあったが強制されているわけではなさそう)なにせ、シビュラシステム的に最適解ではないとされている、としてしまえばクリアできてしまう。
 あと、PROVIDENCEを観られていないので、ピースブレイカー周辺の話を考慮できておらず、それで何か大きな見落としがあるような気がしています。観たら修正版考えます。

結論 シビュラシステムの問題

 槙島が、幼少期からシビュラシステム上では透明人間であることに気付き、孤独を感じてきた(結果とんでもないシリアルキラーになった)ように、免罪体質の問題がある以上、サイコパス測定を義務化し、社会的生活に必要な全てをそれベースにしてしまうのは、公共サービスの役割を果たせていないことになる。こんな、支援が必要な人が明らかに生じる仕組みをそのまま厚生省(が元々厚労省と同等の所掌を持っているとみなした場合)が「生涯福祉支援」として運用できていることに疑問がある(今もそう、と見えるかもしれないけれども)。
 加えて、やっぱり監視社会は良くない、ということに尽きる。監視があることで、多数派意見が増幅され、少数派が意見を表明しにくくなるという状況が生じるとの説がある。これにより、言論ではなく、極端な出来事・事件でしか社会システムを改変することができなくなる。シビュラが自己進化のために凶悪犯を取り込んでいる、というのもこの構造の中での合理的な手段と言える。
 知能系シリアルキラー・犯罪集団が暴れる前に、言論で社会を変えられる仕組みを保証したい。そのためには、もしかしたら、自分の心・頭の中と自分の行動の間に第三者を必要以上に介入させない(広告等既にあるともいえる)、というところが監視システムの社会的な受容に滑っていかないようにする、大切なラインなのかもしれない。
 
 とりあえずPROVIDENCE、早く公式の配信で観たいです。


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