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月下夜想機譚~二人ぼっちの絶滅戦争~〈2〉

 天罰体〈ネメシス〉――月より来たるもの。神罰の地上代行者。人肉喰らい。ナノマシン汚染源。
 人類の、絶対敵。
 背中の紅い翼のような器官はランセルと呼ばれている。人を喰う度に肥大化し、有機物・無機物を問わず分解するナノマシンを吐き出す死の翼。呼吸、あるいは脈動するかの様に明滅発光を繰り返す。
 その翼の持ち主は、白皙の少女。肌も髪も白く、ただ瞳だけがランセルと同期して赫々と熾っていた。
 完全な人型のネメシス等聞いたことも見たこともない。奴らは基本的に泥人形のように曖昧でグロテスクな造形をしている。その組成はナノマシン変成を受けた月の石だ。
 しかも、美しい少女なんて――悪い冗談だ。
 捻じ曲げられた波長の月光を浴びて、そのネメシスは咥えていた僕の腕を丸呑みにした。喉が異様に膨らむが、食道を通る間にそれは奇術のように消失する。
 食い千切られた腕の痛みはない。傷口にはすぐに青いジェルが染み出し、出血とナノマシンの 感染を防いでいた。不夜兵は死ににくいのが取り柄だ。
 ネメシスが一歩こちらに踏み出す。
 心臓が、高鳴る。
 それは恐怖の為だけではなく。
 僕は。この圧倒的に理不尽で、倒錯的に美しい存在に。
 一目惚れを、したんだ。
「――君は、僕を喰うのか?」
 呼吸を整え、ネメシスに声をかける。奴らと人類は一切のコミュニケーションが取れていないと知りながら。
 だが驚くべきことに、そのネメシスは立ち止まった。小首を傾げる。瞳孔は肉食動物の様に丸く開かれていた。
「いいよ。食ってくれ」
 残った腕を掲げながら、僕は死の天使に歩み寄る。不夜兵が心身を捧げる大義も、人類の存続も、頭の中からは抜け落ちていた。
『ヴァ……』
 ネメシスが口を開けた。僕の腕を凝視する。
 次の瞬間、その姿が掻き消えた。強化された動体視力を持ってしても残像すら捉えきれない。舞散った落葉がなければ本当に消えたと誤解しただろう。
 そして、
「あ……」
 僕の肘から先が、宙に浮いていた。

【続く】

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