ポスト・ポストカリプスの配達員 第一話

 自己増殖した数京個のポストにより、文明は崩壊した。今世界で最もポピュラーな職は配達員サガワー撤去人ユウパッカーだ。
 俺は配達員の方をやっている。ポストに稀に入っている食料や水を探し出して、売り捌くのだ。ちなみに撤去人はポストを憎んでいるので丸ごと引っこ抜いてしまう。
 俺が今いるここは、かつてサハラ砂漠と呼ばれていた場所だ。今は砂の代わりにポストがびっしりと屹立する。
 ポストを一個一個調べて当たりがあったらスーパーカブに積む。カブも増殖するので世界中の乗物はコレになった。
 その時頭上に影が差し、俺はポストを咄嗟に盾にする。
 ブーンという音と共に来たのは、肉食性配達ドローンだ。ーーまずいな、俺のシグサガワー・マシンピストルでは火力不足だ。奴らは郵政省のバッジをつけていない者を無差別に襲う。つまり、郵政省が滅びた今となっては、全人類を襲うって事だ。
 次の瞬間、隠れていたその更に背後に巨大ヤドカリじみた肉食性宅配ボックスが音も無く潜んでいると気づいた時には、俺は叫びながら安定超ウラン元素弾頭を撃ちまくっていた!

「ハンコオネガイシマース!」

 BRATATATATATA!

 ●

 テレポートの語源が「tele-post」というのは皆さんご存知のとおりだろう。第四次環太平洋限定無制限戦争時に開発されたそれは、ポストに物を入れると遠くの別のポストに瞬時に転送される戦略的インフラとして造られ、戦後瞬く間に、ある意味普及した。普及しすぎた。
 開発を主導したのは再び官営化され、物資補給や通信を担当していた当時の日本の郵政省。なにしろ戦争中だった。画期的なインフラも破壊されては意味が無い。物質の可逆的量子化や無質量化はまだ実用化前だったし、金属分解ナノバクテリア入りの有機ミサイルが引っ切り無しに飛んできては国土を石器時代に戻そうと頑張っていた。
 だから自己複製能をつけた。壊れても増えれば問題ないよね、と。
 自己複製能の制御系を壊されるとは、考えていなかったようである。
 グラウンド・ゼロは恐らく帝都・霞ヶ関。
 現在も増え続けるポストはその総数を誰も把握出来ず、戦争を終わらせ、文明を終わらせ、しかし世界をギリギリ終わらせなかった。自己複製の際に中にあるものも一緒に増えるので、凡そ無限の水と食料が齎されたからだ。
 こうしてポスト・ポストカリプスの世界が出来上がった。

 俺はそんな世界を旅する配達員サガワー。ポストの中身を集めて回って必要とされる場所に届ける、この世界で最もありふれた職業。
 楽そうに見えるか? 実はそうでもないんだ。
 なにせ戦争中だった。奪われたインフラが敵に利用されるのなんて当たり前。だから対策を立てていた。ポストは郵政公社のIDを確認出来ないと開けられない。これはいい。こじ開ければ済む話だ。
 問題はこじ開けた場合に中身がランダムで転送され、中には名状しがたきものが混ざるという点だった。

「SHHHHHHHGHAHHHHHHHHHHHHHH!!」
 八つの眼と無数の触手から恐るべき溶解粘液を撒き散らすのは、『切手収集家スタンプコレクター』と呼ばれる怪物だ。名前の由来は、食い殺したやつの顔の皮を自分の身体に貼り付けるから。こいつは確認できるかぎりまだ三人しか食っていない小物。
 郵政省が創りだした物ではないだろう。テレポテーションの理論は、散らかった郵便局の状態を波動関数として捉え、それを基底に〒空間を経由して物質を飛ばす。その際に宛先不明だったり料金不足だったりするとこういうバケモノが生成される。かつては日本国内と戦地を結ぶだけだったが、今や世界中あらゆる場所に偏在するポストはそのネットワークのカオスとエントロピーを無限に増大させており、よってポストを開けるとバケモノが出てくる確率も相応に高い。
 BLAME! BLAME! BLAME!
 俺は両手でしっかりと握った52口径のシグサガワー・マシンピストルを三点バースト。冒涜的なミートボールのような剥き出しのスタンプコレクターの脳に過たず命中。
「GRUUUUUUGHHHHHHHHHH!!」
 怪物は絶叫と共に溶解粘液を四方八方へと撒き散らすが、俺は宅配ボックスの殻――安定超ウラン元素の重金属製――で防ぐと今度はフルオートで撃ちまくった。
 BBBBBLLLLLAAAAAMMMMMEEEEEE!!!
 逆光の中、発狂したイソギンチャクみたいなスタンプコレクターの陰が一部欠けて四散した。
「サイハイタツハ……ウケツケテオリマセ……ン……!」
 謎めいた断末魔と共にビクリと一度痙攣すると動かなくなる。俺はしばらく息を潜めて見守っていたが、再度動き出したりしないのを確認すると宅配ボックスから這い出した。
「ウェー……」
 紫色の体液がサハラの砂に染みこんでいく。俺は体液を踏まないように慎重にポストに近づく。配達ドローンと宅配ボックスに加えスタンプコレクターまで相手に大立ち回りだ。これで目当てのポストの中身が空振りだったら久々の大赤字になってしまう。
 そのポストは、青かった。
「絶対お宝が眠ってるぜ、これは……!」
 青いポストには様々な伝説がつきまとう。俺は興奮を抑えきれずにポストの腹を……開いた!
 ブシュー! 真っ白い冷気が激しく漏れ出す! やったぜ、レジェンド級宅配物、クール便だ!
 俺はそのとても重い発泡スチロール製のコンテナを慎重に取り出すと、ほとんど恭しく蓋を開いた……!
「なっ……」
 そこに入っていたのは俺が期待していたような冷凍有機ナノユニットやエントロピー中和冷媒剤などではなかった。

 それは、凍った、女の子だった。

 その肌は白すぎて、うっすらとついた霜と区別がつかないほどだった。長い睫毛、長い髪の毛、綺麗な形の眉。それらの体毛も全てが白い。水色の発泡スチロール製コンテナの中に、胎児のような格好で丸まって、眼を閉じている。
 ポストカリプス前のデータライブラリで見たことがある服装。患者服、というやつだ。薄手で、身体のラインがはっきりと分かる。乳房は大きかった。瞳を閉じていても分かるあどけなさが残る。未成年だろうか? 微妙なラインだった。
 難病の患者を、医療が発達した未来が来るまで冷凍保存する……そんなこともポストカリプス前の文明では行われていたらしい。彼女もそんな患者の一人なのだろうか?
 しかし何故ポストに?
 しかも青いポストに。
 青いポストにまつわる伝説……それは青ポストが戦時中に重要戦略物資をやりとりする基幹ポストノードだったことから生まれたものだ。曰く横流しされた金塊が入っている。曰く戦争を終わりへと導く秘密決戦兵器のパーツが入っている。曰く亡命した将校が未だに生きたまま複製され彷徨っている……。
 凍った女の子が入っているとは、ついぞ聞いたことがなかったが。

 俺はおっかなびっくり女の子に触れてみる――冷たい。親指でキュッと霜を拭う。拭ったところをつついてみる――柔らかい。俺は少し驚いた。ポスト・ポストカリプス文明では冷凍冬眠といえば血液を全て有機不凍液に入れ替え、不凍液の糖分を栄養にして低温の永の眠りにつかせるものだ。蘇生確率は2桁を切る。こんな……まるでただ本当に眠っているだけのような有様は、俺の知らない超技術によって成された処置だった。
 サハラ沙漠は消滅したとはいえ、ヒートポスト現象により気温はやはり高いままであり、太陽はほぼ天頂にあって林立するポスト群の日陰に隠れることもできない。このままだと女の子はじき自然解凍されるのは確実だと思われた。
 俺は冷気を吐き出し続ける青ポストと女の子を交互に見る。
 ――このまま見なかったことにして、戻しちまおうか。
 それがベストだな、うん。このまま手ぶらだと大赤字だが、酒の席で大受け間違いなしの与太話が出来たと思えば、まあいいか。本当は良くないが、俺の配達員としての勘が告げていた。「関わるな」と。
 俺は発砲スチロールの蓋を手に取ると、コンテナを閉――目が合った――じた。
「……んん?」
 何か今、良からぬことが一瞬起こったような……。脳味噌も理性も網膜に埋め込んであるナノアイカメラも起こった出来事を正確に把握していたが、ナノアイカメラは更に視界の片隅で120fpsのコマ送りでリピート再生していたが、感情がそれを否定したがっていた。開けて確かめればめんどくさいことが確実に起こる。
 速やかにこのままポストに再投函すべし!
 俺がコンテナに手をかけた、その時。
 ――ばっこーん!!
「うおおお!?」
 コンテナの蓋が内側から勢い良く吹き飛ばされた!
 そして、白い女の子が右腕を高々と突き上げて立ち上がったのだ! 叫びながら!
「密閉が甘い荷物をポストに入れるな―――っ!」

 再び目が合った。彼女の目は、赤かった。そして、その瞳の中には……。
「ここはどこ?」
 女の子はキョロキョロと辺りを見渡しながらそう言った。俺は腰を抜かして口をパクパクとさせることしか出来ない。どんな怪物の不意打ちアンブッシュにも動じずにこれまで配達稼業をこなしてきた俺だが、さすがにこれは感情制御モジュールの閾値を越えていた。
「私はだあれ?」
 続けて女の子が言った
 ……マジかよ。記憶がない……? 俺はから唾を飲み込む。冷凍睡眠からの覚醒時には記憶の混濁や消失はよくあることらしい。まあ記憶がないなら都合がいい。このまま舌先三寸で丸め込んでしまおう。
 だが。
「うっそでーす」
「ああ!?」
 俺は立ち上がって思わず叫んだ。なんだこいつは?
「ユーモア。ブラックジョーク」
「ブラックジョークって自分で言うんじゃねえよ!」
「どうどう。怒らない怒らない。あっUFO」
「……」
 俺は険しく睨んだまま、女の子が指差した方をチラッと見る。当然、サハラの青い空が広がるばかり。
「やーい引っかかってやんのー」
「……」
「黙ってちゃつまらないなあ。あっ後ろ危ないよ」
「……もう引っかからんぞ。お前は、誰だ」
「んー。その前にここはどこ? 起きたばっかでGPSグローバル・ポスティング・システムが上手く働かないんだ」
 なんだそのシステムは?
「ここは、サハラだ。西サハラ。元モロッコ領」
「ああサハラね。はいはい郵便衛星PoSatコール……郵便番号同期完了、と。ところで君、後ろが危ないよ」
「あのなあ、ちょっと乳が大きいからって俺がいつまでも許すと思うなよ? もう引っかからんぞ、と、……」
 気がつけば、俺は日陰にいた。太陽は天頂にあり、ポストの影は足元に丸く、ぬらりとした溶解粘液が頭上から、
 BLAME! BLAME! BLAME!
 肩越しに背後へと咄嗟のノールックバースト射撃。片手で撃ったためシグサガワーの強烈なリコイルで身体が前につんのめるが俺はむしろそれを利用して、跳んだ!
 直後!
「SHHHHHHHHHHAAAAAAGYAAAAAAAAAAAAAAHHHH!!!」
 百年は調律をしていない巨大パイプオルガンの鍵盤の上で下手くそがワルツを踊ったような、おぞましき咆哮! スタンプコレクターが蘇生していたのだ! 小物と侮っていたか……!
「だから危ないって言ったのに」
 白い女の子はのんびりというと、スタンプコレクターに向き直った。
「ふーん。アドレス不明時の『手紙の悪魔メーラーデーモン』か」
「何わけの分からんことを言ってる! 早く逃げるか隠れろ!」
 だがかく言う俺も隠れようにも宅配ボックスの殻はスタンプコレクターの近くにあり逃げ場なし! 一か八か、ポストに飛び込んでみるか!? 俺は青ポストに視線をやる――そして目を見開いた。
 ポストから、巨大な――圧倒的に巨大な質量が現れようとしている!
「GRRRRRRRRRR!?」
 スタンプコレクターもその気配に気づき触手を強張らせて警戒態勢を取った。唯一のこの場の例外は、白い女の子。
 自然と。悠然と。泰然と。
 当たり前のように。何でもないように。息をするように。
 女の子は青ポストの中から片手でその質量を取り出すと、残像と衝撃波を伴う速度で怪物に叩きつけた!!
 CRAAAAAAAASH!!!
「GYYYYYAAAAAAASSSSHHHH!!??」
 俺は、青ポストにまつわる伝説を思い出していた――曰く戦争を終わりへと導く秘密決戦兵器のパーツが入っている――だがそれは兵器、なのだろうか? そうと呼ぶには、それはあまりにも、あまりにも異形だった……!

 少女の赤い瞳、その虹彩に爛々とかがやく『』マーク!
 そして少女の片手には俺も見慣れた機械マシン。赤と白に塗り分けられた、そう、それは兵器などではなく配達スーパーカブ……ただし、その大きさは10メートル超!
 もはや『アルティメット・カブ』と呼ぶのが相応しい、雄々しき神機!
 そのフロントカウルにはやはり『』マーク。少女の瞳と同期して、機体全体に有機的に走るパワーラインが、力を蓄えるかのような脈動明滅を繰り返す……。

「YOU、ちょっと消えておくれよ」

 白い女の子はにっこり笑って、そう言った。

 ●

 ポスト・ポストカリプス世界では、スーパーカブが畑で採れるということは子供でも知っている一般常識である。
 増殖したポストのそばには時々、カブの種が落ちている。種――高密度圧縮されたカブの空間情報体は丁寧に耕した畑に埋めると、ポストカリプス前から存在する、かつて生産インフラを動かしていた地下ネットワーク茎へとタキオンファイバー製の根を接続する。そしてコンポストと呼ばれる特殊なポストから公開暗号鍵とエネルギーや資材やらを受け取りすくすくと成長するのだ。
 旬は3~5月の春と、10~11月の秋。通年出荷されているが、春物は乗り心地がやわらかく、秋物は排気ガスの匂いの甘みが強くなると言われている。スーパーカブ農家はポスト・ポストカリプス文明の基盤を支える大事な第一次産業だが、近年後継者不足に悩まされており、特に全世界規模での厳しい人口減による嫁不足が深刻化している。
 畑産カブのサイズは凡そ1.8メートル。よほどの大物でも2メートルを超えるくらいであり、祭事に使われる特別な種類でようやく3メートルほど。
 10メートル超のカブなど、俺はこれまで見たことも聞いたこともない。

「この誓約は、郵便の軍務をなるべく安い料金で、あまねく、公平に提供することによって、公共の福祉を増進することを目的とし、ひいては郵政省の勝利にこの身を捧げる為のものである」
 白い女の子がこれまでのどこか投げやりで気怠げだった口調から一転、朗々と、滔々と口にするその内容に俺は覚えがあった。かつての郵政省の部隊の中でも最精鋭と謳われた、カンポ騎士団ポスタル・オーダーの入団時の誓詞だ。
 カンポ騎士団とは謎めいた総帥、ロード・カンポに率いられた神出鬼没の軍団であり、第二次環太平洋限定無制限戦争時、八丈島の戦いで南アメリカ連合王国軍相手に陸海空全てを走行可能なスーパーカブの機動力を最大限活かした、圧倒的包囲殲滅戦を仕掛けたことで名高い。
 だがカンポ騎士団は人類最後の戦争となった第四次環太平洋限定無制限戦争の時代には既に解散していた筈だが……。
 俺が訝しんでいる目前で、女の子が詠唱する入団誓詞と共に、巨大スーパーカブ――アルティメット・カブがパワーラインに沿ってパーツ展開を始めた!
「郵便の軍務は、この誓約の定めるところにより、カンポ騎士団が行う」
 ガゴンガゴンガゴン! 巨大パーツ同士が擦れ合い立てる音は、これから戦場へと向かう兵士を鼓舞する銅鑼鐘の様だ! パワーラインを走る光の色が女の子の瞳と同じ赤色に染まり、吹き出す圧縮蒸気を払暁の空色へと染め上げる!
 アルティメット・カブのカウルの〒マークからレーザービームが投射され、空間に巨大な〒マークを拡大投影する――と、〒マークが形を歪め、まるで人型のように直立した。アルティメットカブもそれに合わせた形へと姿を変えていく。
 変形! 変形である!
 サイドスタンドとメインスタンドはバシャバシャッという開放音とともに前後・左右に二段階展開、チェンジペダルやキックスタータペダルと組み合わさり、逞しい脚を形成。
 タイヤも分解、再結合が行われ、分厚いゴムは肩パーツとなる。スポークが絡み合いスカスカな腕を作り上げる。隙間はすぐにエネルギーラインが走り、謎めいたチューブやシリンダーで埋められていく。
 フロントカウルは頭部へと移り、折れ曲がって武者兜のような装甲となった。ポジションランプとヘッドライトが顔面部分に縦に並び、カバーが内側から炸薬破砕され広域センサーとモノアイカメラが露わになる。
「郵便に関する任務は、郵便事業の能率的な作戦の下における適正な戦闘を行い、かつ、適正な勝利を含むものでなければならない」
 グオオオオオオン!! 胸部の横型エンジンが排気を開始した! まるで大地そのものが震えて音を出しているかと錯覚する凄まじいアイドリング!
 二足で大地を踏みしめるその威容、凡そ全高12メートル。神々しき佇まいは、まさにこの世に顕現した郵便の神・ヘルメスの如し!
 しかし胸の部分に未だ空白がある。だがそこに生えている二本のハンドルグリップを見ればその役目は明らかだ。
「……何人も、騎士団の庇護下において差別されることがない」
 白い女の子はぐっと屈むと砂煙を巻き上げながら大跳躍、空中で捻りを加えた回転をすると地高8メートルの部分にあるコックピットにピタリと収まった。同時に透明なキャノピーがコックピットと外界を遮断する。
定形外スーパーカブ型決戦配送機アルティメット・カブ・個体識別用概念住所『トリスメギストス』起動完了。配達員ポストリュードによる誓約認証突破を確認。おはようございます配達員・ナツキ』
 モノアイを〒型に光らせながら、アルティメットカブ・トリスメギストスが穏やかな男性の音声を発した。
 白い女の子――ナツキというのか――は目を文字通り輝かせながらそれに応える。
「おはよう、トライ。だいたい1200四半期ぶりかな?」
 四半期というのはポストカリプス以前に存在した神秘的な時間の単位だ。主に軍事用の暦として用いられ、戦争もこれに合わせて行われていたという。
『正確には1211四半期ぶりです、ナツキ』
 のんびりした会話を行う一人と一機。今はそれどころではないだろうが!
 スタンプコレクターはアルティメット・カブを叩きつけられたダメージから既に立ち直り、なおかつその体躯を二回りほど膨らませていた。その巨体は今やトリスメギストスに匹敵するほどだ!
 俺の銃撃からの回復といい、異様にタフネスの秘密は周囲のポストに巻きついて何らかの郵便エネルギーを吸い上げている触手にあると見て間違いないだろう。
「SHUSHUSHUUUUUU!!」
 スタンプコレクターは複数の触手を束ね高速回転させる。溶解粘液の飛沫を撒き散らしながら周囲の大気を引き裂く唸りをあげるそれはまさに肉色をした岩盤掘削機。悪夢的!
 対するトリスメギストスは6本のマニピュレーターが生えた腕をガードするでもなく前後にぶらぶらと揺らしているだけ。おい大丈夫なのか。
「少年、危ないからそこで伏せといて」
 ナツキが外部スピーカーを通して俺に警告を送った、瞬間――颶風が荒れ狂った。
「うおおお!?」
 俺は手近なポストに咄嗟に掴まり、空高く吹き上げられての落下死を辛うじて防ぐ。
「ハッハアァッ!!」
 高揚の笑いとも裂帛の気合ともつかないナツキの声が遅れて聞こえてきた。網膜ナノアイカメラの120fpsスロー撮影モードでも上手く捉えきれない、それは言ってしまえばただの踏み込みだった。地面が爆発し、砂とポストを跳ね飛ばし、音の波は発生するそばから前方の波にぶつかって甲高い破裂音を作り出し周囲一帯にぶちまける。それは破滅的な有様だったが、全高12メートル重量50トンの鉄塊(内蔵カメラ調べ)がこの速度で動いたにしては静かすぎる上に、破壊の規模も小さかったのを俺は看破した。
 俺はつい先程、ナツキが片手でトリスメギストスを持っていたことを思い出す。これは、やはり――重力制御が行われていると見て間違いないだろう。
 ポストカリプス前文明で、人は4つの力のうち3つまでに服従を強いることに成功した。常温核融合炉、常温超伝導、テレポテーション等の技術はその賜物だ。だが最後の壁、重力だけは頑迷に人の軍門に降るを良しとしなかった。そのはずだ。
 俺は周囲を見渡す。奇妙に歪んだ景色を。重力制御によって空間に偏在するダークマターを超圧縮し、それを触媒にしてさらにダークエネルギーを呼び込んで燃料とする4ストローク単気筒二段階重力エンジン。ポストカリプス前のデータライブラリでも仮説として概要だけが載っていたオーバーテクノロジー。
 一体何者なのだ、こいつらは。
 トリスメギストスはあっさりとスタンプコレクターの背後をとることに成功、両腕を弓のように後ろに引き絞る――その指先が陽炎のように揺らめいているのはダークエネルギーがそこに集中しているからだ。
伯爵カウント級なんて」
 弓が――放たれる。
「もう食い飽きてるんだよね」
 トリスメギストスの両腕はスタンプコレクターの胴体を貫通し、一息に左右に切り裂いた。
 SPLAAAASH!!
 バラバラに飛び散った肉片や危険な粘液は空中で即座に陽炎に食われて消滅していく。怪物は断末魔すらあげることが能わず、完全に、無欠に、消失した。
 ナノアイカメラが録画を停止する。録画時間は、1.98秒だった。

 戦闘の砂埃が収まってきた。同時に、歪んでいた景色や揺らめく陽炎も徐々に通常の状態へと戻ってゆく。復元時に発生した重力波が波紋の様に空間を流れ、俺は軽い眩暈を覚えた。
 バシュッという圧縮空気音と共にトリスメギストスのコックピットのキャノピーが開放され、8メートルの高みから、患者服の裾をはためかせナツキが何の苦もなく地面に三点着地する。
 そのこめかみに、俺はシグサガワーを突きつけた。
「……助けてあげたのに、これは酷くないかな少年?」
 ナツキはさして動揺するわけでもなく砂埃を払いながら立ち上がった。俺は肩を竦めて答える。
「こんな銃でお前を殺せるとは思っていないし、殺せたとしてもその後そこのデカブツに殺されるのは理解しているさ」
『デカブツではなく個体識別概念住所はトリスメギストスです。よければトライとお呼びください』
 穏やかな男性の声が降ってきた。トリスメギストス――トライがモノアイとセンサーが並ぶ顔をこちらに向けている。先程から俺の頭の中では被照準警報が鳴り響いていた。
 俺が銃を抜いた瞬間、いや抜くと〝決めた〟瞬間からトライが俺に向けて電磁波による狙いをつけていた。それだけのことを出来る奴が隠匿もせずにこちらに狙いを合わせる理由は警告のためだ。それでも俺はナツキに向けた銃を下ろさない。
「まあつまりこれは、分かりやすい俺の態度だと思って欲しい。助けてくれたことには感謝しているが、正体の分かってるバケモノより正体不明のお前たちの方が俺は恐い。配達員サガワーとしちゃ情けねえがな」
 感情制御モジュールの働きで銃を持つ手は震えていない。俺は精一杯タフな配達員を気取りながら言葉を続けた。
「まだ俺の最初の質問に答えてもらってないよな? 改めて問わせてもらうぜ、ナツキさんとやら。『お前は、誰だ』」
 ナツキは面白そうな顔で銃口と俺の顔を見比べる。
「そういえば、自己紹介がまだだったね」
 ナツキはおもむろに姿勢を正すと、ビシっと敬礼をした。
「自分は郵政大臣直属、カンポ騎士団の郵聖騎士カネヤ・ナツキであります。こっちの大きいのがトリスメギストス。通称トライ。私の相棒? 半身? そんな感じのやつ」
『正確な表現を用いるならば、同じ概念住所を利用する半共生体です。当機体が配送機プレリュード、ナツキが配達員ポストリュードと呼称されます』
 いや、説明されても分からないのだが。
 俺は途方に暮れて一人と一機を交互に見た。

PS5積み立て資金になります