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ポスト・ポストカリプスの配達員〈15〉

 文化とは、人類という無垢の布地についた頑固な染みのようなものだ。洗って薄くなっても、消え去ることはない。数京個のポストに呑み込まれ、文明が一度崩壊したポスト・ポストカリプス世界。世界は均され、漂白化されたように見えたが、各地に根強くかつての文明の名残がある。
 ここはモスクワ。300年前まではソヴィエト・ロシア二重帝国の首都だった街だ。現代では東欧どころかユーラシア最大級の都市であり、大陸横断の貴重な移動手段、『シベリア郵便鉄道』の始発点でもある。
「おお! あれこそはAPOLLON本部が入居するクレムリン宮殿! サハラ支部勤務だったので、一目見たいと思っていたのだ!」
 かつて長らくロシアの執政庁として広く知れ渡っていたクレムリン宮殿は、名前だけはそのままだが今は全てポストの赤色に染まっている。赤の広場が文字通りの場所になったのは、少しも面白くない歴史の皮肉であった。
 ポスト・ポストカリプス世界で最も身近に存在する建材と言えばそれはもちろんポストである。人々はポストで家を造り、ポストに囲まれながら生まれ、死ぬ。人類はポストによって存亡の淵に追い込まれたが、ポストから齎される恵みで破滅の一歩手前で踏み止まっている。
 どの家も赤いが、一部の好事家や金持ちは貴重な塗料を消費して家を塗りわけており、街の風景にささやかな彩りというものを加えていた。遠くに見える段々畑は、スーパーカブ畑だ。
「APOLLON本部なんて行かねえぞ俺は。配達員〈サガワー〉の営業所に向かう」
 撤去人〈ユウパッカー〉が所属するAPOLLONは超国家的組織だが、配達員もまた国家に依存しない組織である。と言っても撤去人ほどガチガチの規則や法に縛られているわけではなく、緩い相互扶助を目的とした組合のような物であるが。
 かつてのモスクワがどのような街並みだったのか最早知りようもないが、現在は碁盤上に整備され、目抜き通りは幅広く、撤去人たちの努力により地面にポストは一本も生えていない。行き交う人々とスーパーカブの群れ。撤去人共は気に食わないが、歩きやすいのは実際助かる。
「ああ? モスクワのような大都会にも貴様ら配達員のしみったれた営業所があるのか?」
「大都会だからあるに決まってんだろ少しは考えて物を喋れよこのモヒカン」
 ピリピリしたやり取りをかわしながら、営業所に向かって歩く。結局タグチはぶつぶつ言いながらも俺達に付いてくるようだった。ナツキは鼻歌交じりで周囲の光景を物珍しそうに眺めている。
「ねえねえヤマトくん。なんだかいい匂いがするね」
「ああ。屋台街か。誰かさんが朝に残った食料全部食っちまったせいで飯抜きだったしちょっと食べていくか?」
 俺は半眼でタグチを睨みながら提案した。やったーと無邪気に喜ぶナツキ。子供か。一方俺の当てこすりにタグチは目を剥いて反論してきた。
「吾輩が開けたポストから出てきた食料を吾輩が食べて何が悪い! 貴様ら配達員のルールではポストを開けた物が中身を独占できるのだろうが」
「まあそうだが、貴様らには人権がないとかほざいておいてよく言うぜ……。あとそのルールは中身から出てきたものをきちんと処理することって但し書きもつくからな?」
 俺は目についたロシア料理屋台で、ピロシキを二つと少し考えてからビールを二杯注文した。代金を払う。ちなみにポスト・ポストカリプス世界の共通通貨は、切手の形をしている。詳細な原理は不明だが、これを適当な紙に貼ってポストの中に入れると、中から額面に見合っているのか見合っていないのか曖昧な物資が出てくるのだ。ただ切手自体もポストの中からしか見つからないので結局全てポストに依存していることになる。
「お昼からお酒! いいね!」
 ナツキは嬉しそうだ。
「あれ? でも未成年が飲んでいいの?」
「いやがっつり成年だから。初めて会った時も俺のことを少年呼ばわりしてたけどそんなに子供っぽく見えるか俺?」
「うん。すごい童顔」
 かなりショックだった。確かにこれまでも遠回しに人から指摘されることがあったがこうも真正面から、しかも異性に言われるとは……。タグチは横でガハハと笑いながら自分の分のピロシキを注文していた。朝あんだけ食ったのにまだ食うのかこいつ。
「あいよ! 奥さんと仲良く食べな!」
 屋台のおばちゃんが差し出してきたのは顔の半分くらいはありそうなバカでかいピロシキだった。そしてビールは缶に入ったもので、銀地に黒で『曙光』を意味するポストカリプス前の表音文字が書かれている。ポストの中から良く見つかる、かつての日本で最も親しまれていたというビールである。
「えっ――これがこの時代のビールなの……?」
 奥さんだって! とケラケラ笑っていたナツキは缶ビールを見て物凄く複雑な顔をした。
『ポストの中の物資を利用している文明ですからこういうこともあるのでしょう』
 何故かトライが慰めるようなことを言った。何か地酒的な物を期待していたのだろうか? だとしたら悪いことをしたかもしれない。
 ともあれ熱々の肉汁迸るピロシキは中々の美味だった。歩き食いするにはデカすぎるのが難点だったが。中の具材も勿論ポストから採集されたものだが、意外とポストの中身というのは地域差みたいなものが存在し、別の場所では中々お目にかからない物もあったりする。だからこそ俺達配達員が重宝される訳だ。モスクワが現在も栄えているのは周囲のポストから採れる物資の種類の豊富さが一因でもある。
「肉汁あっつぁ!!」
 タグチが思いっきり吹き出した肉汁で口の中を灼かれているのを、ナツキが指を指して爆笑している様をうんざりと眺めながらしばらく歩くと、配達員の営業所に到着した。配達員の営業所は真っ青に塗られているので、どこの街に行ってもまず見つけるのに苦労することはない。
「そういえばここに何しに来たの?」
「シベリア郵便鉄道に乗るのにはもちろん金がかかるからな。軍資金の調達と、後は銃弾とかの補給……スーパーカブも買っておきたいし。あとはナツキ、お前の服もだ」
 今は俺のコートを着せているからそんなに目立ってはいないが、病人服のままなのはいい加減辛いものがあるだろう。
「換金出来るもの、あるの? はっ、まさか私を売るつもり?」
 んな訳あるか。
「貴様――婦女子の売買など吾輩の目の前で行ったらどうなるか分かっておろうな!?」
「お前は黙れ」
 営業所の中は雑然としており、青いコートの配達員たちが忙しそうに行き交っていた。役所と雑貨屋を足して割ったような雰囲気だ。俺は二人を待たせると、受付に向かった。
「配達員、ヤマトだ。認証用シグサガワーはこれ」
「お預かりします。少々お待ち下さい」
 受付嬢はそう言ったが、少々ではない時間待たされた。配達員の組合は外部には秘伝としている独自の方法で、一部の野生化配送システムネットワークの馴致や再家畜化に成功しており、それを利用した世界的通信網を所持している。APOLLONやその他の実力ある国家とも対等に渡り合えている理由はこれが大きい。ただ家畜化された配送システムは野生のものと違って怠けるようになるのでレスポンスは絶望的に遅く、今回も銃のシリアルナンバーと紐付けられた俺のIDを検索するだけで時計の針が結構な角度を移動した。
「お待たせしました配達員ヤマト・タケル様――おや? 三日前に西サハラ営業所で登録されていますね。なにかの間違いでしょうか」
「いや、間違いじゃない。色々あって三日でモスクワに着けたんだ」
「まさか、ポストを使ったテレポートを行ったのですか? よくご無事で」
「運が良かったよ。それで移動する際に色々失くしちまったから金を借りたい。後補給も」
「ヤマト様はBランク配達員なので審査無しで組合の基金から借り入れが可能です」
 俺は細々としたやり取りを受付嬢と交わす。だから気付けなかった。
 暇を持て余したナツキが営業所の外に出たことに。それを遠くから眺める者がいたことに。

「おやおや。おやおやおやおや。あれに見えるは郵聖騎士カネヤ・ナツキちゃんじゃないか。1200四半期ぶりといったところか? 今まで何処で何をしていたのやら。懐かしいし挨拶でもしに行こうか、メリクリウス
『血生臭いやり取りは勘弁ですよ、パトリック
「やだなあ。ちょっとあそこで銃を乱射してみてナツキちゃんがどんな顔をするか見てみたいってだけじゃないか」
『はあ。まあ止めはしませんよ』
「冗談だよ! もちろん冗談さ! やだなあまるで僕がサイコパスみたいじゃないかそれじゃあ! ただおっかない団長と副団長から逃げ回るのにも飽きたし、久々に団員との旧交を暖めたいだけだよ僕は!」
『そうですか。じゃあ行きますか?』
「ああ。派手に行こう!」
 金髪碧眼のその優男、パトリック・シェリルは晴れやかに笑うと、モスグリーンの迷彩柄のアルティメット・カブ『メリクリウス』に乗り込み、重力制御を開始した――!

【続く】

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