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絶罪殺機アンタゴニアス外典 〜押し潰されそうな空の下で〜 #3

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 ヒュートリア・ゼロゼアゼプターは寒さで目が覚めた。首を傾げる。お気に入りの毛布がない。不安と苛立ちが募る。
 取り敢えずねぐらの壁に掛かっている〝おにんぎょうさん〟に向けて枕元に常備してある薄い刃片を、手首のスナップだけで投げつける。慣れすぎて、特に狙いをつけずとも当たるようになっていた。
「ひぅっ……」
 刃が突き刺さった〝おにんぎょうさん〟はか細い悲鳴を上げた。連れて来てからまだ三日しか経っていないので反応が新鮮だ。ヒュートリアは寝起きのストレスが緩和され満足気に頷く。僅かに出力が上昇した罪業変換器官から流れ込んでくる心地良い熱で暖を取る。毛布は寝床の傍らに落ちていた。
「みんな、おはよー」
 ヒュートリアが挨拶をすると、まだ口を利ける〝おにんぎょうさん〟達――ヒュートリアに誘拐された後手足を切断された、頭のついたトルソ状の少年少女達は、ガラガラの不揃いな声で一斉に「おはよう、ヒュートリアちゃん」と挨拶を返した。
 ヒュートリアは返事をしなかった〝おにんぎょうさん〟の前にとてとてと歩み寄る。十歳くらいの少年。その体表には刃片が無数に突き刺さり、殴られ続けた腹は青黒く変色し、そして体表のほぼ全てにヒュートリアの罪業場によって付けられた傷痕があった。抗鬱天使から貰ってきた様々な薬剤や器具がなければ即死していたであろう惨さだ。
「どうしてごあいさつできないのかな?」
 腹を、殴る。容赦なき呵責。身体が浮き上がり、少年はげぼ、という音と共に赤黒い血塊を吐いた。小さい腕に信じられないほどの力が込められている。
「あいさつは、だいじだって、パパとママに、ならわなかったのかな?」
 言葉の区切りごとに幼い拳を叩きつける。腹の皮が裂け、肉が露出する。内臓が破裂する感触。出血までもが弱々しい。少年は唇を震わせるが、結局それは言葉にならなかった。
 ヒュートリアは悲しげな顔で首を振ると、罪業場を右手から発生させ、
「わるいこはいらないです。わるいこはすてるです」
 少年をアズールブルーの光で包み込んだ。びくんと鎖で壁に戒められた身体が痙攣し、まるで熱い紅茶に入れられた角砂糖の様に空間に滲んで溶けて――消失した。周囲の〝おにんぎょうさん〟達は悲鳴を必死で押し殺す。ヒュートリアに求められた時以外に喋ったら、身体の端から切り刻まれるから。
 罪業エネルギーは、『罪悪感』で目減りしてしまう。故に〈原罪兵〉は共感性を削ぎ落とすために脳幹部に発信機付きのバイオニューロンチップを埋め込まれる。
 だから、ヒュートリアは心底楽しく、この〝おにんぎょうさん〟遊びに興じていた。
「いやはや! いや! はや! これはこれはこれはこれは! 何とも趣味の良いこじんまりとした棲家だねぇ! ヒュートリアちゃぁん、ヒュートリアちゃぁん、ヒュー・トリ・ア・ちゅわぁん、はじめましてと言わせてもらおうかねェ! 私はクロロディスというものだヨ」
 振り返りもせずに即座に反応。サイバネ改造された指先から無数の薄刃片が射出される。向き直ったヒュートリアの視界に映るのはハリネズミのように刃を顔面から深々と生やし崩折れる瀟洒な紳士――クロロディスの姿だった。
 だが。
「実は私は君の興味深い噂を聞いてやって来たんだ。なんでも君、内臓獄吏をその身に宿しているそうじゃあないか! エエ? いやはや、全く驚いたヨ? 喪われしかつての秘術がこんな場所に隠れているとはねぇ! それにしても一体そんな小さな身体でこれまでどうやって」
 真横から、そいつは何事もなかったかのように長広舌を振るってきた。双子? 幻覚ガス? 精緻なホロ映像? 驚愕を押し殺し、ヒュートリアは罪業場を発現させると、クロロディスの全身を包み込んだ。これまで80年もの長きに亘る〈原罪兵〉人生で培ってきた、それは滑らかな殺しのカノン。
 クロロディスの身体が、染み入るように徐々に薄れ、消え去った。
 しかし。
「私は罪業場に関する研究も行っていてねぇ、君の罪業場もそれなりに興味深いと思っているのだヨ。どうだろうかヒュートリアちゃぁん、このクロロディス、吝嗇家の誹りだけは我慢ならないタチでねぇ。内臓獄吏とそのアズールブルーの罪業場を調べさせてもらう代わりに君の望みを、叶えてあげようじゃないか」
 今度は逆サイドから現れた、紳士の姿をした悪魔は嗤う。
 ヒュートリアは――行動を止めた。理解不能存在に対しての恐怖やねぐらに押し入られた怒りも勿論あったが「望みを叶える」というその言葉に、興味を掻き立てられたからだ。
「……あおぞらが、みたいの」
 ヒュートリアは言った。
 この世界は、殻に閉ざされている。その殻の中に、更にセフィラと呼ばれる直径3500Kmのメタルセルで覆われた球体が浮かんで存在する。セフィラの自転が生み出す人工重力で内側にへばり付くようにして人々は塗炭に喘ぎながら暮らしている。セフィラの上層部――即ち中心に近い階層から上を見上げれば、大気に霞む途方も無く巨大な山脈のように迫り上がるセフィラの内壁を見ることが出来るだろう。
 セフィラの中に陽の温もりというものはない。温度は一定に保たれ、明かりも罪業駆動照明によって常に照らされている。その巨大さから大気はレイリー散乱を起こし遠くに行くに従って青さを増すが――それは空ではありえない。何故なら、果てがあるからだ。偽物の空。遥かな太古、人類が見上げたものとは似ても似つかぬ。
「もちろん知っているヨ。君のその願いを叶える方法は、唯一つだ」
 ぴっ、と芝居がかった動作で指を立てる。
この殻世界を作った人物を、殺せばいいのだヨ
 ヒュートリアは小さな顔の大きな目を見開く。
「そんなわるいやつがいるの?」
「いるとも。人類から〝空〟を永遠に奪った、第五大罪〈ワールド・シェル〉の担い手。
 名をアーカロト・ニココペクという」
 ヒュートリアは。
 にっこりと笑むと、己のアズールブルーの罪業場でねぐらの天井を消し去った。そのまま、罪業場を維持する。先程子供を殺したばかりなので、罪業変換器官の出力には余裕がある。上を見上げる。青い、光。
 己の罪が作り出す偽物の空の下で、ヒュートリアは悪魔と契約を交わした。

続く

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