遺忘のナヴィガトリア
高度100km、カルマンライン。天獄と地国のあわい。希薄な大気故に昼でも空は黒い。天獄から来る異形の天使達を迎撃する最前線。
僕は広漠な空を滑る様に舞う。天使の死骸製のスーツは秒速8kmの弾道飛行能力を人に与える。
目標を視認。
II型天使が三体、編隊を組んで哨戒中だった。合計で300ある眼が此方を捕捉するより先に戦闘妖精を展開し、攻撃態勢に入る。
だが8kmまで接近した瞬間、II型天使達は高みからの光線に貫かれ爆散した。
呆然と見上げる。黒い空を背景に、白い髪と紅い瞳の少女が浮いていた。体のラインが強調された白いスーツ表面では異教の刺青の様な光が明滅している。
「やっと見つけた。〈忘れ子〉、貴方を天獄へ連れ戻す」
そう言うと少女は僕のスーツを強制停止させる。落下が始まった。彼女は泳ぐ様に傍に来ると、僕の手を握りしめた。
大気濃度が増し、空が青くなる。灰色の地国が迫ってくる。
「連れ戻す? なぜ?」
「忘却圏〈レーテスフィア〉を抜ければ思い出すわ。一旦ディーテ市に降りる必要があるけど」
高度50km。空気の味が変わった。少女の言葉通り僕は段々と思い出してきた。この子はそう、
「──ナヴィガトリア、君は地国で逆に記憶を失くしてしまう」
「その調子。その為に貴方が必要なの」
ガクン、と衝撃。眼前で雷撃が散った。遥か下方から、悪鬼〈マレブランケ〉が複数上昇してきている。
『ダンテ・アリギエーリ、任務放棄ハ許サレナイ』
その名を聞いて、後悔と羞恥が同時に湧く。
ああ、空では全てを忘れていられたのに!
愚かな天獄の外交官を再び拘束せんと悪鬼達は迫り来る。
「天獄はまだ貴方に期待している。戦争を止めて、ダンテ」
ナヴィガトリアのスーツとの同調が完了し、魔法陣の様な光が僕の全身に宿る。
光をそのまま矢と化して悪鬼を撃ち落とすと、僕はナヴィガトリアを抱えたまま地国へ堕ちる。
まずはオデッセウスに会う必要がある。
霧と石の街が見えてきた。
【続く】