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ポスト・ポストカリプスの配達員〈25〉

 まあその後のことは語るほどのことはない。極秘の研究だったから一般の兵士を使って俺を追跡することも出来なかったか、それとも別の理由でもあったのか、ともかく俺は大した追撃も受けずにあっさり外に出られた。
 軍の降雪地用スーパーカブと食料を失敬して俺は帝都から脱出した。初めてこの目で見る帝都だ。蒸気を吹き上げ蠢くイセ・パレスは確かに荘厳さを覚えかけたが、周辺のバラック小屋の様な粗末な建物との落差を見ると何の感慨も湧いてこなかった。俺は背を向けて、カブに跨った。
 本当に大変なのはここからだった。研究所でモジュールが盗んだ情報の中にはシベリア郵便鉄道の存在があったので俺はデジマ・アイズル――ウラジオストク駅を目指したが、実際の距離を俺は全く理解していなかったと言っていい。雪に覆われたポストの原をひたすら進む1100kmの旅路がどれほどの苛酷さなのか、完全に舐めていた。
 詳しく言うことなど特に無い。俺は内蔵モジュールの七割をこの旅程で機能不全〈オシャカ〉にし、命からがらでウラジオストクまで辿り着いた。カブを売り払い、その金を狙って後をつけてきた奴らから更に『借り』て、俺はモスクワ行きのチケットを買ってヤマト朝廷から本当に離れた。
 配達員〈サガワー〉になったのは身元保証のないガキでも就ける仕事だからというのも理由だが、〝弟〟が俺に言った言葉を思い出したからだった。『いつものままの俺でいろ』。まあ要するに、死ぬほど苦しい目に遭っても愚痴って「ウオオオオオン!」笑い飛ばせと、そういう風に解釈した。だから死ぬよう「ウオオオオオン!」な、でも笑っていられそうな仕事を選んだんだ「ウオオオオオン!!」。

「ってうるせえな!」
 タグチが顔面をしわくちゃにして滂沱の涙を流していた。漢汁塗れで気持ち悪い。
「お、お前ェ……! 子供がそんな……そんな……ムゴい……ウオオオオオン!!!」
 顔を覆って泣き叫ぶとやおら立ち上がり、
「ゆるっせんッ! ヤマト朝廷!! 人非人なその行い、天が許そうともこのタグチ・リヤが許さんッ! APOLLONと撤去人〈ユウパッカー〉を代表して我輩が誅してくれるッッッ!!!」
「その朝廷に今とっ捕まってるんだが。あと勝手に代表するな。なあ、ナツキも何とか言ってやって、く、れ……」
 見ると、ナツキもその紅い瞳からぽろぽろと真珠のように丸い涙を零しているのだった。
「お前まで……あのなあ、これはもう七年前の話で、他人に話すのこそ初めてだけどもう後悔なんて」
「うそ」
 ナツキは静かに泣きながら、断言した。
「だって、ヤマトくんも、泣いているもの」
「え……」
 思わず頬に触れた俺は、指先に湿り気を感じて動揺した。いや、そんな、
「だったらなんであの時、」
 〝弟〟の死に顔を見た時に、
「泣けなかったんだ」
 自覚すると、後から後から涙は溢れてきた。意識的に止めようとしても無理だった。壊れた蛇口のように、堰き止められていた七年分の涙がただ出口を求めて殺到した。
 突然手を掴まれて、俺は驚いて涙と鼻汁だらけのひどい顔を上げる。ナツキだった。ぐいっと顔を近づけてきて、半ば自分に言い聞かせるような、あるいは諭すような口調でナツキは言った。
「〝弟〟さんは、いつものヤマトくんで居て欲しいとは願ったけれど、『泣くな』とは言わなかったんでしょ?
 だったら、いいんだよ。泣いても。いいんだよ」
 そして、そのまま俺を抱きしめた。細い体。高い体温。柔らかい感触。
 ぇぐ、と嗚咽が漏れた。
 俺は人生で初めて、声を上げ、子供みたいに泣いた。ナツキの長く白い髪に俺の涙が吸い込まれていったが、ナツキは気にするそぶりをみせずに、子供をあやすように俺を抱きしめたまま一緒に泣いていた。
「子供に辛い思いをさせてなんのための大人か! なんのための撤去人か! 至らぬ我輩らを許せッ!!!」
 横では一人タグチが盛り上がっていた。

『そろそろよろしいでしょうか?』
 5分ほど泣いていただろうか。遠慮がちなトライの声がナツキの胸元から聞こえてきて俺たちはバッと身体を離した。何か今感情に任せるままに相当恥ずかしいことをしていなかったか?
 気まずい空気が流れる。んっんーと咳払いをして顔を拭い、(今の出来事は今後触れないようにしよう)と全員が思った。
『先のヤマト様のお話を聞いて、色々分かったことがあります』
 そんな空気を読んでいるのか無視しているのか淡々とトライは続ける。
『私とナツキは昔、一度だけヤタガラスとその配達員と会って会話をしたことがあります』
「少しだけだけどね。楽しい子たちだったから、カミサマになってるって聞いた時は嬉しさ半分、悲しさ半分って感じだったよ」
『今まで説明していませんでしたが、ヤタガラスとその配達員は実戦に出ること無くポストカリプスを迎えました。彼らは、完成しなかったのです』
「何か問題があったのか?」
『ええ。概念住所の共有が上手くいかなかったと聞きました。アルティメット・カブのシリーズの中でも最後に創られた彼らは色々先進的な機能を盛り込まれていましたから、それが原因でしょう』
「未完成……? それじゃあヤタガラスを起動させてトライの再生は出来ないんじゃないか?」
『いえ、恐らく可能でしょう――ヤマト様がいれば。『再配達計画〈プロジェクト・ダルセーニョ〉』とは、読んで字の如く『再び配達員〈ポストリュード〉を創る計画』でしょうから』
「待て、それはつまり」
『ヤマト様は現代で創られた配達員である蓋然性が高い。カンポ騎士団、最後の郵聖騎士です』
 半ば予想していた答えではあった。昔研究員達の言っていたことは100%正しかった訳だ。
「じゃあ俺が乗ればヤタガラスは動くのか?」
「うん、動かすだけならできると思う。でも――」
『アルティメット・カブと配達員は、DNA郵便番号を完全同調させてこそその真価を発揮します。私の機体を回復させるだけなら恐らく未同調でも可能でしょう。しかし私とナツキだけでは、悔しいですが――ミネルヴァとヒソカには、勝てない』
「つまり――俺がヤタガラスと概念住所同調を果たして、お前たちと肩を並べて奴と戦えと。今まで一度も会ったこともないやつと命を預け合う一蓮托生の存在になって、今まで経験をしたこともない巨大兵器を操って――あのミネルヴァを倒せと。そう言っているのか」
『無茶なお願いだとは分かっています。ですが、恐らくヒソカは再生した私たちの元へ再び来る可能性が高い。ナツキと私を仲間に引き入れたがっていましたから』
「やる」
 俺は即答した。
「俺はもう二度と、泣いて困っている女の子を見捨てないと決めたんだ」
 研究所の廊下。泣いたまま走り去っていく〝弟〟。
「ヤマトくん……」
 ナツキがまた俺の手を握ってきたので、強く握り返した。ナツキは笑顔を浮かべて、頷き返す。
「何やらよくわからんが話はまとまったか? まずはこの俘虜の状況を打破してヤマト朝廷に一泡吹かせてやらんとな……!」
 タグチが鼻息も荒く言った。気合が入りすぎたのかスクワットまで始める。
「もちろんそのつもりだ。諾々と従ってなんていられるものか」
 この戦艦大和を見た時は、逃げ出した過去がついに追いついてきたと半ば運命を受け入れようと思っていたが、全く気が変わった。
 俺は息を吸い込んで、宣言する。
「反撃、」
「「「『開始』」」」
 全員の声が、揃った。

続く

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