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ポスト・ポストカリプスの配達員〈33〉

 CRAAAASH!!!
 凄ノ王の草薙剣が、真っ二つにへし折れた。ヤマタノオロチの鱗状の装甲は拡大して観察してみるとその一つ一つがブラックウィドウの顔をしており、厭わしき呪言を呟き続けることによってタクシス絶対不可触領域を展開している。ケージ粒子どころかヒッグス粒子まで拒絶するそれは、彼方の世界に属する暗黒のテクノロジーの片鱗であった。
「おい、平気か! おい!」
 タグチはヤスオミに呼びかけるが、今や血涙と鼻血を垂れ流しながら精神を完全に凄ノ王の操縦に没入させているヤスオミは反応を返さない。
 正面の戦術スクリーンに映るヤマタノオロチは七つの口を残虐な形に歪ませると、その各喉奥で不穏な輝きを膨らませ始めた。最初は暗いオレンジ、次に赤、そして直視出来ないほどの白光。明らかに危険!
 その時、ピクリとヤスオミの手が動くと太腿に注射を突き立てた。白眼を剥いていた表情が正常に戻り、鼻血を拭うと通信機に何事かを素早く打ち込む。
「やれるのか」
「ああ」
「小官に何か手伝えることは?」
「――俺が倒れた時、軍の取りまとめと、我が民を頼む」
「了解した。準備をしておく」
 短い会話を交わすと、タグチは重々しく頷き、ブリッジの人員を数名連れて万が一の場合の脱出プランとその後の事を策定するために退出した。
 ヤスオミはそれを見届けると、折れた草薙剣を握り直し、ヤマタノオロチと再び相対する。あの攻撃を止めねば不味い。だがバリアの出力が足りぬ。
 その時、通信機に返ってきた反応を見てヤスオミは凄絶な笑みを浮かべる! それは、地上の半壊したイセ・パレスからの応答!
 カッ!
 宇宙創世の光にも似た輝きが走り、その瞬間、様々な事が同時に発生した!
 輝きは宙と地、双方で起こっていた。半壊したイセ・パレスが機能停止も構わずに全開出力でエクスカリバーを射出! 目標は――凄ノ王の折れた草薙剣! 重力制御によって飴のように絡め取られたビームは草薙剣の剣の新たなる刀身と化す!
 一方、空! ヤマタノオロチの七つの顎から放たれたる破滅の閃光は視神経を掻き乱すスペクトルを伴いながら、一旦大きく拡散、その後急激に軌道変更し凄ノ王へ向けて殺到!
 凄ノ王は新たな剣――天羽々斬剣の神妙の太刀捌きでもって一つ、二つと時間差で襲い来る拡散ビームを弾いていく。だが、KABOOM!!! 変幻自在の軌道を取るビームがついに命中、バリアを貫き、左足装甲を一瞬で溶解せしめた。ヤスオミはブリッジで喀血! それでも操縦レバーを離さず機体との神経接続も維持する!
「ヤマト魂、舐めるなよ……!」
 ヤスオミはレバーを上下左右に小刻みに動かすと、側面のボタンを二つ連続で押した! ガコンッ! エンジンのエネルギーラインが全段直結。重力制御で機体を空間に完全固定。天羽々斬剣のエネルギー刀身が筒状に変形、内側には施条が刻まれ回転を開始! チャンバー内の圧力が臨界に達する。
 ヤマタノオロチは次々と拡散追尾ビームを放ち続けており、最早空は邪悪な曼荼羅めいて埋め尽くされている。防ぎようがない――ヤマタノオロチはその七対の眼に喜悦を湛え、最後は自らの爪で引き裂かんと身をくねらせた。
 キュンッ。
 それは音ならぬ音であった。大気の疎密波による振動ではなく、空間自体が軋んだ超絶的な破壊の、余りにも細やかな結果として生じた物だった。
「AAAAARRRRGGGHHHHHHH!?」
 ヤマタノオロチの七つの首のうち、六つが……斬り落とされた!
 空に咲き乱れる光爆! 追尾ビームが全て誘爆させられ……否、これも断ち切られている!
 天之御中斬砲〈レーヴァテイン〉! 重力制御された草薙剣〈エクスカリバー〉を凄ノ王の全ての動力を使って増幅、発射する奥の手である! 
 のたうつヤマタノオロチは身体の端からレターイーターとブラックウィドウに分解されていく。だが残った最後の首が喉元にまた光を溜め始めた。動力を使い果たした凄ノ王は為す術もなく落下を開始している。防御手段は、ない。
 だがその時再び、地! ゴヅラの執拗な熱線攻撃はついに金色の力場を打ち破り、未だ静止したままのヤタガラスに直撃した! ヤマトは間に合わず、何も成さないまま蒸発してしまったのか!?
 否! 否! 否!
 熱線はヤタガラスの寸前で停滞し……そして握り潰された!
 握り潰す? 然り。それは逞しい鉤爪を備えた禽獣の脚に似たマニピュレータである。
 そして――溢れ出した黄金のオーロラが辺り一帯を覆う。落下する凄ノ王はオーロラに抱き留められ、ゆっくりと地に着地した。一方で瀕死のヤマタノオロチに対しては、オーロラは破壊の化身たる雷槌に姿を変え、残る首を切断した。バラバラと地に落ちる低級のメーラーデーモン達もオーロラに触れるそばから消滅していく。
 果たして、これは何が起こったのか!?
 少しばかり時間と視点を変えて追っていくこととする。

 それほど長くは抱きしめていなかった。俺は胸元でタチバナがもぞもぞと動き出したので身を離す。
 幼いタチバナが、そこにいた。七年前に最後に見た、記憶の中の十歳のタチバナそのままの姿で。
「――お兄様?」
 首を傾げながら、タチバナは怪訝そうな顔でそう問うた。俺は、引き攣らない様に努力しながら笑いかける。
「ああ――そうだ」
「背がおおきくなられているので、一瞬誰だか分かりませんでした」
 タチバナはふんわりと笑った。
「おかえりなさい、お兄様。帰ってきてくれたということは、もうどこにも行かれないですよね?」
「どこにも行かない。これからはずっと一緒だ」
「よかった……わたくし、ずっと後悔していたのです。お兄様についていくと言い出せなかったことを。ごめんなさい、お兄様」
「いや、もういいんだ。全部終わったことだからな」
 俺の言葉にタチバナははにかんだ笑いを見せる。
「それで――これはどういうことなのでしょう?」
 タチバナは周囲を見渡し首を傾げた。俺は空唾を飲み込み、問いかける。
「変な事を聞くが、笑うなよ」
 俺の言にタチバナはきょとんとした表情になる。
「今のお前は――〝何だ〟?」
 ああ、と手を打ちタチバナは淀みなく答える。
「UC-0012-PRAI02-PO-SIY-2、アルティメット・カブの配送機〈プレリュード〉、タチバナです」
 俺は目を瞑り、小さく嘆息した。当然だ。これで良いんだ。それでも、記憶の中と全く変わりのないタチバナを見て、一瞬でも愚かな期待してしまった。何も知らなかったあの頃のままなんじゃないかと。いかんな、こんな考え、また頬を叩かれてしまう。
「俺は、ヤタガラスの配達員〈ポストリュード〉になるためにここまで来た――概念住所の同期を、今すぐ行いたい」
 タチバナはまあと口を抑えて驚いた。
「いつかこの日が来るだろうと思っておりましたが、帰ってきて早々だなんて……お兄様がそこまで興味がおありだったとは思いもよりませんでした。むっつりすけべというやつですか?」
「なんでそうなるんだよ」
 いや具体的に概念住所同期がどういった物なのか知らないが、スケベな儀式でないことだけは確かだろう。確かだよな?
「冗談です」
 真顔でタチバナは言った。これきちんと記憶消えてるんだよな……?
「――おっと、こんなことを言っている時間はないようですね」
 どうした、と言おうとした瞬間の出来事だった。周囲の部屋の風景が歪み、俺はコックピットに戻されていた。だが様子がおかしい。リアルタイムの筈のモニタの映像が停止している。
「これは――」
『もう周辺領域から同期が始まっています』
「なに?」
『下を見て下さい』
 言われるままに足元を見やる。そこにはゴヅラの執拗な熱線攻撃がついに金色の力場を破った瞬間の静止画があった。
『緊急事態と判断して、郵便番号同期を開始致しました』
「いや、だがまだ何もしてないぞ俺は。それになんで外は止まってるんだ」
 もっと特別な手順を踏むと思っていた。
『DNA郵便番号の同期は、お互いの完全な同意があれば特別な措置など必要なく可能なんです。外が止まっているのは――これが、わたくしの……いえ、お兄様とわたくしの〝ちから〟です』
「どういう、」
 ことだ、と言おうとした瞬間俺は広大無辺な宇宙の只中にいた。
 そこは、星々の代わりにポストが明々と輝き、手紙で出来た銀河が回転し、切手の彗星が飛び交う場所だった。俺は直感的に此処がどこであるかを理解する。
 ――〒空間。ポストの中に拡がる、無限大にして無限小の次元。隣にはタチバナもいて、この奇勝に目を輝かせていた。
『ただ今19桁目の番号同期が開始されました。もうすぐで終わりです』
 そう言い終わるのとほぼ同時に、彼方から何かが物凄い勢いで俺たちの側に飛び込んできた。避ける暇もない。流星の如く光輝放つそれを見て、俺は感嘆の声を上げた。
 お中元!
 果物の缶詰! ハムセット! タオル! 洗剤! 全て俺とタチバナの連名で届いている! そして立て続けに轟音を立てて流れ込んでくる白い雪崩の如き存在!
 当たりくじ付き年賀はがき!
 遥かな昔に失われた筈の文化的遺産。それが今こうして手元に存在する。しかも俺とタチバナ、二人分が!
「これが……概念住所同期……!」
『ここから先は少し苦しいかもしれませんので、備えて下さい』
 は? と俺が恍けた声を出した瞬間、それは始まった。頭の中を、身体中を、灼熱を放つ蟲が這いずり回るような感覚。
「う、ぐ、ああああああああ!!!!!」
 痛みを散らそうと叫ぶがどうにもならない。その感覚をタチバナも共有しているらしく、呻き声が隣から聞こえてくる。
 やがて痛みの中に異質な感覚が混ざり始めた。失われた物を取り戻すような。分厚い半透明の膜を取り払ったような。澄み渡る。冴える。鋭敏に。
 それは、七年前にヤマト朝廷から脱出する時に機能停止していた内蔵インプラント群が再生、統合されていく、治癒の痛みなのだった。唐突に入力される情報量が十倍近くに増え、悲鳴を上げかけるがタチバナが俺にそっと寄り添うと情報の洪水は整然としたデータストリームとなり俺の中で処理され始める。
『……っ。ずいぶん、お外で無茶をされたのですね、お兄様』
「……まあな」
 いつの間にか〒空間は去り、またヤタガラスのコックピットに俺は座っていた。
『「さて」』
 俺とタチバナの声が重なる。タチバナの考えが分かる、というだけでなく。「どう世界を感じているのか」――つまりクオリアすらも共有されている。別個にして不可分。それが概念住所共有。全く意識せずとも、お互いの次の行動が重なる無欠のユニゾン。前奏曲〈プレリュード〉が在れば後奏曲〈ポストリュード〉が在るように、タチバナがいるから俺が存在する。
「この誓約は、郵便の軍務をなるべく安い料金で、あまねく、公平に提供することによって、公共の福祉を増進することを目的とし、ひいては郵政省の勝利にこの身を捧げる為のものである」
 俺自身が誓った覚えなどない、それは三百年前に滅びたとある騎士団の誓詞。それが自然と口から漏れ出る。
「郵便の軍務は、この誓約の定めるところにより、カンポ騎士団が行う」
 周囲のホロディスプレイのグラフが忙しなく変化する。心地良い振動。エンジン点火。
「郵便に関する任務は、郵便事業の能率的な作戦の下における適正な戦闘を行い、かつ、適正な勝利を含むものでなければならない」
 巨大黄金スリーターたるヤタガラスが、その形態を変形させ始める。それは他のアルティメット・カブの様な機械的、あるいは有機的変形ではない。
 周囲の空間構造そのものを書き換え、そこに折り畳まれている過剰次元を引き出し、自身の質量をも制御する。
「……何人も、騎士団の庇護下において差別されることがない」
 変形にタイムラグはない。全ては一瞬。時空連続体の襞の奥から引きずり出された真の姿をヤタガラスは纏う。
 三輪のタイヤはそれぞれ逞しい猛禽の脚を思わせるマニピュレータに。ハンドルからはそれぞれ金色の羽根が生える。シート部分は後方に長く伸び、優雅な尾羽根にも見える。ヘッドランプ部からは全てを刳り抜く鎌の様な嘴状の衝角〈リム〉が発達し、猛々しい印象を付与する。
 翼長、20メートル強。空間の歪みを篩い落とし通常空間に顕現したその姿はまさしく世界を覆うフレースヴェルグが如し! 或いは世界樹・郵グドラシルの上に棲むと云われる黄金の雄鶏ヴィドフニルか!
『定形外スーパーカブ型決戦配送機〈アルティメット・カブ〉・個体識別用概念住所『ヤタガラス』起動完了。配達員〈ポストリュード〉による誓約認証突破を確認。参りましょう、お兄様』
 そして〝能力〟が解除されると同時に飛来した熱線をいともたやすく握り潰すと、ヤタガラスは天に向けて咆哮を放った。
 誕生、歓喜、勝利――あらゆる肯定的な感情を思わせる、それは雄叫び。

『ハンコオネガイシマース!!!』

 ポスト・ポストカリプスで唯一の、配達員〈サガワー〉にして配達員〈ポストリュード〉である俺の、ヤマト・タケルの、世界に対する宣言だった。
 舐めんじゃねえぞ。
 俺は、やる。

続く

PS5積み立て資金になります