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ポスト・ポストカリプスの配達員〈32〉

『警告、警告。本艦はこれより人型最終決戦モードへと移行します。艦内の重力加速度は最大20Gまで相殺可能ですが予期せぬ事故が発生する恐れがあります。お近くの手すり吊革にお掴まり下さい』
 艦内に鳴り響くアナウンスに、ナツキは医療品が満載されたコンテナを運ぶ脚をふと止めた。
「……トライ、こんな機能知ってた?」
『寡聞にして存じませんね。どうやら旧日本帝国軍の中でも最重要機密だったようです。先の艦内ネットワークハッキングの際にも制御系を発見出来なかったことを鑑みるに、このシークエンス実行システムは完全に独立しているとみられます。……少々お待ち下さい。情報、来ました。機体コード『凄ノ王』。重力制御もある程度行えるようです。魔王〈ルシファー〉級メーラーデーモンともやりあえるかもしれません』
「2体相手でも?」
『それは恐らく厳しいでしょう。魔王級はカンポ騎士団でも基本は2対1で戦うことを推奨された敵です。それはナツキもご存知でしょう?』
 知っている。ナツキは単騎で屠ったこともあるが、それも騎士団で上級騎士に次ぐ実力を持つからこそだ。
「じゃあ、後一体の魔王級は――」
『ヤタガラスが相手をするしかありません。当初の予定通りに』
「――ヤマトくん……」
『外部から彼の無事を知る方法が存在しない以上、信じる他ありません』
 祈りましょう、とトライはAIらしからぬ物言いをした。ナツキはそれに小さく笑うと、一応手を合わせてみる。だがナツキには信じる神がいない。だから、ローラ副団長に祈ってみた。ナツキが知る中で最もアルティメット・カブの操縦に長けていた彼女に。ヤマトくんを助けてあげて下さい、と。
 祈りは短かった。ナツキにもやるべき事がある。難民の数に対して医療の心得がある者は圧倒的に不足していた。トライの知識が頼りだ。
『ヤマト様が成功した場合、私の機体の再生も叶うでしょう。そして、その時は――』
 ミネルヴァが、来る。
「大丈夫だよ」
 ナツキは努めて明るく言った。
「〝私たち〟なら、大丈夫!」
『――そうですね。ああそうだ、一通り落ち着いたらヤマト様とナツキに二人の恋人関係についての面談を行う予定ですので、それにも備えておいて下さい』
「面談ってなにするの」
『勿論ヤマト様がナツキに相応しいかどうか私が審査いたします』
「娘は渡さーん! ってやつだ」
『――貴女が選び、私が認める予定の男です。必ず成功しますよ。医薬品搬入を急ぎましょう。コールがひっきりなしに鳴っています』
「うん!」

「七年分の、お兄様の記憶を消し去ります」
 タチバナのその言葉を聞いて、俺は押し黙った。トライから何かを失うと告げられた時、無論「記憶」の事も考慮していた。だが――
「つまり、俺はここから出て行く時の俺に戻るという訳か」
「そうなりますね」
「なあ、タチバナ。俺たちは代償を選べると言ったな。他のものではダメなのか?」
「記憶以外の代償だと、お兄様がヒトとして存在できる閾値を超えてしまいます」
 つまり死ぬってことか。
「全ての記憶を失って廃人になる訳ではありません。以前のAIと配達員の組み合わせでは、まさにその様な事態が起こり、故にヤタガラスは封印されていました。ヤタガラスは『時喰らひ』です。AIと配達員が共に過ごした時間以外を求めます。促成育生され、圧縮教育を受けた配達員と出来上がったばかりのAIではどうしようもありませんでした。ですが――私達は違います。二人だけで過ごしたあの日々があれば、お互いだけがいれば、私達はこの神機を動かすこと能うのです」
 そこまで言われても、なお俺は返事をする事が出来なかった。
 十日前ならば即答していたかもしれない。いや――二時間前の俺でも、二つ返事で引き受けただろう。
 だが俺の脳裏にはこんな時だというのに――いやこんな時だからこそか――白い少女の笑顔が浮かび、沈黙を俺に強いていた。
「お兄様、如何なされましたか?」
 タチバナが眉根を寄せて尋ねる。
 俺は、答えた。
「悪いが、それだけは出来ない」
 今度はタチバナが黙りこくる番だった。俺はタチバナの目から視線を逸らさずにいた。それだけが七年前に妹を救えず、そして今もまた拒絶した愚かな兄のせめてもの責務だと思った。タチバナの瞳に溜まっていた銀砂のような涙は今や決壊し、ぽろぽろとその頬を伝っている。
「――お兄様には、私以上に大切なモノが出来ていたのですね」
 しばらくしてタチバナはそう言った。
「いや、それは――」
 俺は言いかけ、止める。
「そうだ。その通りだ」
「女の人ですか?」
 タチバナは涙を拭いて、悪戯っぽく笑う。
「……そうだ」
 俺の言葉を聞くと、タチバナはわざとらしく盛大に溜息をついた。
「あーあ! 七年も待ってたのになあ! フられちゃったなあ!」
「誰だ、とは聞かないのか」
「いやですよ、お兄様の惚気話など聞きたくありません」
 タチバナは真顔でそう言ったので俺は少し後ずさった。
「しかし――代償を拒否した場合はどうなるんだ。郵便番号の同期がなくとも動かせるとは聞いているが」
「概念住所共有無しで動かせるのは一般アルティメット・カブの話です。ヤタガラスは、概念住所共有を前提に造られた機体です。AIの緊急時権限でこうやって飛ばすくらいのことは出来ますが、それだけです」
「つまりこのままでは、俺たちの故郷は滅ぶと」
「ええ。お兄様が好きな女の子のことを忘れたくない故に」
 俺はぐっと詰まったが、それでもなお記憶を――ナツキとの僅か十日足らずの思い出を差し出す事には強い抵抗があった。
「しかし代替案はあります」
 タチバナは、笑っていた。笑いながら、泣いていた。
「郵便番号を共有するということは、互いを不可分に結びつける行為です。つまりAIと配達員はシステム上は等価値と看做されます。他のアルティメット・カブで配達員のみが代償を支払ったのは、万が一でも機体制御に関わる部分が代償にされた場合致命的だからです」
 タチバナはそこで一旦言葉を区切る。頭の悪い俺でも、タチバナが何を言い出そうとしているのか、もう理解していた。
「しかし私はAIとなってから既に七年を経ています。この部分の記憶を、ヤタガラスに喰らわせることで代償と致します」
「――駄目だ!」
 俺は反射的に叫んでいた。だが、二つに一つなのだということも理解していた。俺か、タチバナ。どちらかが差し出さねばならないのだ。
「ワガママを言っていると自分でも理解できているようですね、お兄様」
「だが、お前は既にもう肉体を失っている。何も記憶まで――」
 俺の言葉は途中で止められた。
 タチバナの唇によって。
 俺は七年前のように、呆然とタチバナを見つめた。
「私はお兄様のために造られました。全てを捧ぐことになんの躊躇いもありません。むしろお兄様は『七年前の私』に会えますので喜んで貰ってかまいませんよ」
「――それで喜ぶと思うか、俺が?」
「いいえ、全く。ですのでこれは私のエゴです。当てつけです。醜い嫉妬です。見返りなど求めるべきではないのに、お兄様にも私を愛して欲しいと願ってしまった私の、自罰です。私は自らを忘却することによって、今度こそお兄様と一つになり、忘れらない存在となります」
 むしろ恍惚とした顔でタチバナはそう言った。一度目は国の都合で、そして今度は俺の都合でタチバナが犠牲になる? 駄目だ、そんなことは、認められない。
「――トリスメギストスというアルティメット・カブを知っているか?」
「? ええ、一応知識として存在を知っています」
 唐突な俺の言葉に怪訝そうにしながらタチバナは答えた。
「そのAIと配達員が今、戦艦大和に乗り込んでいる。ヤタガラスの重力エンジンと直結させることが出来ればトリスメギストスの再生が可能だ。そうすればあのバケモノ共も斃す事が出来る!」
 俺は早口で捲し立てる。タチバナはゆっくりと首を振った。
「情報コアからのアルティメット・カブの再生は確かに可能ですが、一瞬で終わる訳ではありません。それにお忘れですか? ここはヤマト朝廷。ポストの恵み以外は不毛の地。地下の前ポストカリプス時代のネットワーク茎には堆積したポスト層のせいで接続不可能です。つまり、旧帝都屍街までヤタガラスとそのトリスメギストスを運ぶか、海外まで一旦退避せねば再生は不可能という訳です」
 淡々とタチバナは俺のアイデアを否定した。
「じ、じゃあ、俺が記憶を!」
 ぱぁん、と甲高い音がした。衝撃を感じたのはその後で、頬を叩かれたと理解したのは更にその後だった。
「男ならば、一度出した言葉を引っ込めるのはやめて下さい。お兄様も、お兄様が愛している女性も、そして私をも侮辱する行為です」
 今度こそ、俺は押し黙るより他なかった。タチバナは俺を拘束していた触手をゆっくり解いていく。
「死ぬ訳ではありません。この七年間お兄様を想い続けて参りましたが、七年前の私が今の私に想いで負けているとも思っていません。ですから、私が失うのは大したものではないのです」
 タチバナが両手で俺の顔を挟み込む。
「ですが七年前の私は、お兄様と離れて寂しがっていたはずです。だから、その様な表情はなさらずに笑顔で迎えてあげてください」
 その手が、縮んでいく。手だけではない。背丈も縮んでいく。七年前に戻っていく。
 俺はタチバナを抱きしめた。タチバナも俺の事を強く抱き返してきた。
「ああ うれしい わたし こんどこそ おにいさまの うでの なかで」
 燐光を放ちながら、退行していくタチバナを俺はどうすることも出来なかった。
「すまない。ありがとう……さようなら」
 俺は絞り出す様にそれだけ言った。
「なかないで おにいさま わたしは だいじょうぶ
 いつもの おにいさまが いちばん すてきで おつよいですから」
 それが〝今〟のタチバナの最期の言葉だった。

続く


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