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絶罪殺機アンタゴニアス外典 〜この熱き血潮に懸けて〜 #7

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 はその時まで何者でもなかった。血と暴虐の時代を生きる、徒人(ただびと)であった。奪う側に属せていただけ幸福と言っていいのかもしれない。
 だが掠奪者はいともたやすく踏み躙られる側へと転落し得る。
 彼らは犯罪率が激減し、罪業が希少となった社会において金よりも貴重な無軌道犯罪集団だった。故に当局はなおざりな手入れを繰り返すばかりであったが……ついに収穫の時が来た。罪の果実を得るために、警察機構は大型建機を戦車へと改造して攻め込んできた。仲間は皆罪業変換機関に繋ぐのに不要な臓器を抜き取られて連行され、彼一人が生き延びた。幸運に感謝はしなかった。彼は生まれてから一度も何かに感謝をしたことがないし、何かを恨んだこともなかった。人並みの情動は持ち合わせていたが、確実に何かが欠けていた。
 彼は一人セフィラの深奥を彷徨い──そして運命に出会った。運命は扉の形をして眼前に現れた。
 美しい扉であった。戯画化された様々な絶滅動物達が異常なまでの精緻さで以ってびっしりと彫刻されている。彼が思わず扉に触れると、柔らかい黄金の輝きが同心円上に拡がっていった。果てなく続く天井と壁にまでその光が到達すると、子供と、老人と、男と女が同時に喋っているような、奇怪な声が語りかけてきた。

《測定罪業値:知的生命への看過しえぬ虐殺、および両親の殺害により888。ただし両親に関しては情状酌量の余地あり。罪業値測定の一時保留を申請──認証。絶望値:128。憎悪値:0。導き手としての基準値を満たしているものと判断──認証》

《歓迎します。罪の導き手、英雄の介添人よ》

 意味は全く理解できなかった。
 開いた扉からは、セフィラのものとは違ったにおいのする空気が漏れ出てきた。それは彼の本能に訴えかけるにおいだった。
 そして彼の眼前に、その光景が広がった。
 どんな都市よりも広い、セフィラ内では決して見ることのなかった開けた空間。
 藍鉄色の建材で形成された、糜と美を極めし大カテドラル。青く霞むほど彼方に聳える壁には、ビルよりも巨大なステンドグラスが敷き詰められていた。その総てに地球時代の神話的なモチーフが描かれ、幽玄な光で一帯を染め上げている。どれも宗教的象徴か、或いは決して存在することのない文字にも見えた。
 天井には迫持が、交差しながら夥しい数架けられ、さながら拡大された分子構造の様だ。その狭間に覗くのは、ブオン・フレスコで描かれた、恐ろしい場面。民草が、ナニカの大群に追われ、吐き気を催す様な手段で鏖殺される様子が執拗に活写されていた。だが、そのナニカを詳らかにするには距離が遠すぎた。遠目には生物にも、機械にも、あるいはその両方が組み合わさったようにも見えた。
 その直下には、藍鉄色の冒涜的なシャンデリアがいくつも浮遊している。
 濃紺の素材に、鉄色の秘蹟的なパターンが打刻され、眩暈と吐気を催す光を薄らと放つ。そして中央に……脈打つ肉塊があった。逆剥ぎにされた胎児。空間の広さから逆算すると、驚異的に膨張した罪業変換機関だった。あれが食らう罪とは、どんな味がするのだろう。
 目下には、黄金の動力ラインが脈動変光しながら、床を葉脈の様に駆け巡っていた。無軌道とも思えるそれは、この距離から見てようやく判別できる神秘的な印とも字ともつかぬパターンを繰り返している。
 その全てはこのカテドラルの主座に結線していた。
 そこに、〈彼〉が眠っていた。
 彼は自分でも不思議だが、恐れも、そして畏れも全く抱かずにそこに長い時間をかけて歩み寄った。
 藍鉄色の棺が、ただ置かれている。棺の表面にはやはり文字が存在したが、彼には読めなかった。それはイングリッシュと呼ばれる地球時代の公用語。人類が地球を失ってから僅か120年ばかりであったが、セフィラ型社会は文化の変容と断絶を激烈に促し、過去の知識は急速に失われていた。
 彼は、棺を覗く。

《当機の座標は現在ロストしています。導き手よ、繰り手を覚醒させ、機体座標を確定後、作戦目標を設定してください》

 棺の一部が持ち上がり、粘液に塗れた触手が男に纏わりつき、神経系に接続した。嫌悪感は覚えなかった。彼は、ただ棺の中を注視していた。そこに眠る〈彼〉を見つめていた。
 ニューロンが発火し、様々な情報が直接記憶野に植え付けられていく。彼は涎を垂らして白目を剥き、ガクガクと痙攣した。
 唐突に全てを理解した。〈彼〉の正体も、この〈声〉──絶罪殺機が何を促しているのかも。
イーヴァルト・キュレレジス、というんだね。でも、それも君を定義する名の一つに過ぎないのか」
 彼は自分の本当の役目を知った。
《当機の座標は現在ロストしています。導き手よ、繰り手を覚醒させ、機体座標を確定後、作戦目標を設定してください》
「──断る」
 そして、彼は運命を拒絶した。

「父親……」
 生写しの様な顔を思い出す。生まれてから一度も何かを憎んだことのない様な、アルカイックな笑み。
「直接じゃない。彼の遺伝子と母の遺伝子を基に僕達が造られたというだけだ」
 トウマの口調には隠し切れない憎しみが混ざっている。だのに、何故あれほどまでに哀しい表情をするのだろうか。
「混迷する世情を治めるために、地球時代の人類は自らの上位存在を拵えた。それが『青き血脈』だ。自分たちが管理できそうもない〈無限蛇〉を、管理させるために。でも結局その破壊的なまでの生産力は発揮されることはなかった。当時のことは正確には伝わっていないけど、エネルギー不足が原因だったらしい。罪業エネルギー発見前の出来事だ」
 トウマは言葉を切る。キッチンからバロットの鼻歌が聴こえてくる以外静かで、この街の自分たち以外の人間が死に絶えたのだろうかと、パットは稚気染みた想像をしてみる。
「つまり……今の〈無限蛇〉を動かしているのは罪業エネルギーであり、しかもそれはただの罪業ではなく『大罪』ということなのか」
 パットの質問に、トウマは少し首を傾げる。そして床材からまた〈無限蛇〉で何かを作り出した。それはトウマそっくりの金属の彫像で、二体あった。
「〈無限蛇〉の動力の種火は大罪ではなく、僕ら一族に宿る原罪の方だよ。これがないとシステムは停止する。大罪は、僕が持っているけど、まだ産まれていない
 トウマは金属の彫像に触れる。すると二つはお互い引き合うように衝突し、音を立てることなく融合してしまった。
「油を撒いて家を焼き、住人を殺す時、悪いのは放火者だろうか? 油だろうか? それとも火種だろうか? もしくは殺される恨みを買ってしまった住人だろうか?」
 一つになった金属の彫像に色がついていき、トウマと全く見分けがつかない程になった。
「この例えで言うと、僕は油なんだ。僕は自分の意思では何もできないけど、火をつけられると全てを燃やし尽くしてしまう」
「だから殺せと? 先程から昔話や例えばかりで、肝心な事を何も言っていない。お前は何者で、お前を殺さなかったらどうなるんだ」
 若干苛ついてきたパットは金属の彫像を押し退けて言った。だが彫像がパットの手を掴み、ニヤリと笑った。
「君の『眼』は凄いな。多分〈知恵〉セフィラの特殊メタルセルから再現されたものだろう? けど僕たちの技術はそんなものとは一線を画す」
 さっきまで喋っていたトウマは緩やかに床に沈んでいき、姿が見えなくなった。
「だから君のその銃機勁道でしか僕を殺せない。早く殺してくれない場合、僕は遅かれ早かれ〈法務院〉に発見されて……『真なる人』になる」
 トウマは、ごくあっさりと、パットの疑問に答えた。
「人類は凌辱される。僕に。僕が操る〈無限蛇〉に。僕の持つ遺伝子(ウイルス)に。攻撃性を剥奪され、そして地獄(らくえん)で延々と暮らすんだ。罪業変換機関の贄として。その上には〈法務院〉が君臨し、贄(ヒト)を管理・維持していくことになるだろうね」
「……穏やかな人類を、一部の悪意ある者たちが搾取する社会」
「〈法務院〉罪業学部の計算だと、およそ現在の人口の1%が感染した場合10年後には安定した統治へ移行できるらしいよ」
 笑いながらこちらを辱める者たちを、俯きながら受け入れるしかない世界。全体の存続のために、大多数が呻吟にその身を浸す社会。
「そんな物を実現することなど……」
「出来る。そう定められていると言っていい。大罪とは……そういった物だから」
 トウマは口を閉し、パットもまた沈黙する。
 その沈思黙考を破ったのは、控えめなノックの音だった。
「はーい、どなたですかー!!!」
 バロットが必要以上に大きな声で応え、そこで初めてパットが異常に気づいた。
 ドアの向こうに、誰もいない。否、誰かいる事を認識できない。
 パットの義眼を欺く技術の持ち主、それは即ち──。
「ダメだ、バロット! 出るな!」
 パットの一喝にバロットは驚きこちらを振り返る。神速の抜銃、そしてファニングショット。勁力の乗っていない射撃だが、一息に吐き出された6発の50口径弾はアパートの扉を粉々に粉砕し、扉の向こうの存在に襲いかかった。
 だが。
「おおー、怖っ。んだよ手荒い歓迎だな。俺らはただ殺して犯しに来ただけなのによお」
「これはもうあれだな、新しく貰ったマシーンを試すしかないですな」
「生きながら刻んでえ、刻んだ肉は食ってえ、その間も犯してえ」
 三人組。男。無手。だがその殺し場にはそぐわない、軽く、そして不必要なまでに残酷性の高い雰囲気には覚えがあった。
「というわけでどうもー、〈王冠〉セフィラの方から来た政府の者でーす。大人しくとっとと餓鬼をこちらに渡さなきゃ死刑、渡しても死刑、結論、死刑でーす!」
 機動牢獄の囚人達は、軽く宣言すると各々の罪業場を展開した。

【続く】

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