絶罪殺機アンタゴニアス外典 〜この熱き血潮に懸けて〜 #5
「起きてくださーい!!! 朝ですよー!!!」
砲撃でも始まったのかと思う大音声にも、流石に一週間毎朝聞かされれば慣れてきた。トウマは目を擦りながら起床する。恐ろしいことにソファで寝ているパットは未だ目を覚ましていない。
バロットがカーテンを勢い良く開け放つ。だが朝陽等当然望むべくもなく、天井パネルの弱々しい罪業灯の光が僅かに差し込み部屋の中に陰影を作った。
パットのねぐらには生活臭が全く無い。いつでも引き払えるような最低限の荷物。家具は備え付けのものだけ。唯一パットが今寝ているソファだけは使い込まれた形跡があった。人口過疎地帯故に部屋はアパート内でも一番広い物らしく、トウマにはまるで外の廃墟がそのまま地続きになっているかのように思える。
殺風景な部屋の中で唯一物が大量にあり、豊かさや彩りを感じさせるのがキッチンだった。バロットが持ち込んだ調理具や食器が綺麗に磨かれて並べられている。
「はいこれ着てくださいね!」
バロットは床にそのまま脱ぎ散らかされてあるトウマ達の服を回収して洗濯機にぶち込むと、クローゼットから新しい服を用意してそのままキッチンへと向かった。完全に勝手知ったる様子で、以前から通い詰めていたのが分かる。
トウマは欠伸をしてベッドから下りると、洗面所へと向かった。バロットはああやって毎朝起こしに来ては掃除洗濯食事の用意をテキパキとこなして帰ってゆく。「大家の娘として当然のこと」と言っていたのをトウマはあっさり信じた。「青き血脈」の少年は生まれた時から奉仕と監禁を与えられてきたので、普通の生活という物を全く知らない。
「ごはん出来ましたよー!!!」
シャワー(エネルギー不足のため冷水)を浴びて出た所でバロットがそう叫んだ。あの声量でなぜ近所迷惑にならないのか不思議に思ったがそもそもこのアパート唯一の住居人がパットらしい。そこまで過疎が進行しているのによく家賃収入だけで生きていけるものだ。
ここでようやくパットが起き出してくる。戦場ではあれほどの働きを見せる男だが、日常生活は怠惰そのものだった。恐らくバロットが起こしに来なければ午後まで寝ている。
「おはようございますパットさん!!!」
パットはバロットの元気が良すぎる挨拶に片眉を上げるだけで応え、無言で食卓につく。巨体にのしかかられ椅子が悲鳴を上げた。
メニューはシンプルで、毎朝変わりがなかった。合成蛋白質を丸めて茹でカロリーフィルムを巻き付けた物。ビタミン錠剤を投入して煮たスープ。街外れで唯一稼働している前時代の作物プラントが定期的に吐き出すよく分からない葉菜のサラダ。そしてお湯にコーヒー味のカロリーフィルムを溶かして作った飲み物。
今日日「噛んで食べられる」だけで贅沢だというのは聞いていたが、ここまで味気ない食事は〈王冠〉セフィラでは口にするどころか見たことすらなく、トウマは如何に自分が特殊な環境にいたのか理解していた。
「ところで今日も食後のあれ、お願いしますねパットさん!」
肉団子をリスの様に頬張りながらバロットが言った。
「僕からも頼むよ、パット」
2人の言葉にサラダをわしわしと食べていたパットは眉根を寄せたが特に否定のジェスチャーは見せず難しい顔のまま食事を続行した。パット・マーロウという男は、どうやら頼み事は余程のことがない限りは断らない……断れないたちらしく、バロットの「お願い」は大体無制限に引き受けていた。
大男が困り顔でサラダを草食動物のように静かに食む様を見て、トウマとバロットは顔を見合わせてくすくすと笑った。
食後。三人は服を着替えてアパート裏のがらんとした駐車場に集まっていた。着ているのは「ドーギ」と呼ばれる服で、これの着用は修行の時の基礎マナーなのだそうだ。トウマとバロットは白い帯を、パットは黒地に金糸が縫い込まれた帯をつけている。
「……肩の力を抜いて、目を瞑れ。丹田を意識して呼吸しろ」
銃機勁道の基礎教練を受けているのだった。どうやらバロットは前から習っていたらしいが全く物にできておらず、初心者仲間が欲しいのでトウマも引き入れられた格好である。
呼吸、体捌き、経絡の把握、氣のコントロール、大地力の応用、銃機の扱い……それらを統合し、自らの認識システムそのものを別物に変えるのが銃機勁道の骨子であり、一朝一夕で身につくものではない。恐らく幼少期の段階から身体そのものを血反吐を吐きながら最適化していく必要があるような、そんな超絶の武道。
だがバロットは手軽なエクササイズ程度に思っているらしく、今も横では「むむむっ!」などと言いながら大袈裟な呼吸をしている。パットが背中と腹に手を添えて補助しようとすると「パットさんのえっち!」っと顔を赤らめて逃げてしまうので、身につかない筈だ。
一方トウマはそれなりに真面目に習っていた。呼吸することで身体を巡る力の流れ、その把握。丹田に貯め、回し、解放すると体温が上がり、身体から湯気が立ち登る。
「……お前は、筋がいい。套路を覚えてもいいだろう」
パットがその様を眺め、言った。
「私はどうですかパットさん!」
「全くダメだ」
「うわーん! トウマくん置いて行っちゃやだー!」
「真面目にやらないからだよ」
「トウマくんがいじめるー! 私のほうがセンパイなのにー!」
えいっ! と抱きついてこようとしたのをすっと半身をずらして躱す。「ぬゃー!」べちゃ。派手にこける。パットがピクリと反応するが、トウマもバロットも気づかなかった。
「今日はここまで」
「えーまだやれますよー!」
「悪いが、仕事だ」
そう言って一足早く部屋に帰っていくパットを眺めながら、トウマはバロットに尋ねた。
「彼は……なんの仕事をしてるんだい?」
「教えてくれないんですよねー」
バロットは溜息を吐く。
「何か、危ないことをしているのは分かってるんですけど。トウマくんの方が実は詳しいんじゃないですか?」
「……どうしてそう思う?」
「女の勘です。お二人が何やらトクベツな関係なのはお見通しなんですから!」
「いや別にそんなことはないけど……バロットこそ、パットと特別な関係……というか恋人じゃないの?」
「いーえー。私は大家の娘ですよ。これまでもこれからも」
笑顔でそう言うバロットの感情を、トウマは上手く推し量れなかった。
パットは一人、〈栄光〉セフィラの「中央」──即ち現在セフィラを実効支配している〈血錆組合〉の本部がある区画までやって来ていた。偵察と情報収集……多少強引な手段を問わない類……の為にだ。
トウマを保護してからこれで三回目。初回は空振り。二回目は巡回していた三下を締め上げた結果、今日何やら大規模な会合があると掴んだ。
前時代では市庁舎であり、十年ほど前までは罪業貴族の館として機能していた巨大な建物の前には罪業馬や最新式の罪業駆動車が並び、警備も物々しい。
パットは斜向かいの雑居ビルの一室からその様を窺う。部屋の元の住人は静かになって床で寝ている。
義眼が微かな機械音を立てて作動する。遠隔、透視モードへ。盗聴や透視対策はもちろん施されてあるが、パットの義眼は特別性だ。地方豪族が取る防諜など薄紙の様な物だ。
本部の中、特に熱源が集まっている会議室には、馴染みの幹部が勢揃いし、それどころかパットすら直接面通しされたことのない頭取すら円卓に着いていた。
突如、轟音。義眼を切り替え通常の視界に戻すと、パットは身を固くした。
巨大な、あまりに巨大な、それは船だった。もちろんセフィラに海などない。それは浮いていた。女性的な優美さを持つ官能的な曲線で構成された船体に、男性原理の象徴の様な巨砲が針鼠の如く設置されている。そして、それらの表面には金色のエネルギーラインがびっしりと走り、宗教画にも、あるいは子供の落書きにも見える複雑無比な紋様を描いていた。
何よりパットを戦慄させたのは、その船体全域を覆う罪業場だ。恐らく重力制御の効果を持つその巨大な罪業場を発生せるには如何なる程の罪が必要なのか。そして、「どうやって」あのような巨大な船体がセフィラに入城出来たのか。
想起するの一週間前の出来事。機動牢獄。そして……〈法務院〉。
巨船の腹がばくんと裂け、長大なタラップが〈血錆同盟〉本部の入り口まで展開された。まず降りて来たのは巨大な宇宙服……序壱式機動牢獄。そしてそれらに挟まれる様に、ゆっくりと徒歩で出てきたのは一人の男だった。その顔立ちはまさに入神の美。「青き血脈」の証。アルカイックな笑みを浮かべ、本部の窓から何事かと身を乗り出す〈血錆同盟〉の幹部たちに余裕を持って手を振っている。
パットは思わず手に持つ銃を握り直した。
その「青き血脈」の男に、見覚えがあったから。
男は、トウマをそのまま成長させたかの様な顔をしていた。
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