見出し画像

厄介なAI

東京大学大学院情報学環の山内祐平先生の記事が話題です。

山内先生がおっしゃっていることには納得しかないのですが、改めて「厄介だよなぁ」と思ったのがこの部分。

ChatGPTは、みんなが書いたものを切り貼りして読書感想文を生成できますが、「わたし」のつくった作品の感想は書けないんですよ、だってつくってないから。「自分がこういうものをつくりました」「それに対して私はこう思いました」って文章は自分の感覚、自分の経験から生まれてきた言葉ですよね。それは、AIでは生み出すことができない。

学び!と美術 <Vol.132>
生成系AI時代にこそ図画工作・美術が学びの核になる ~STEAMの“A”を読み解く~
東京大学大学院情報学環 教授 山内祐平

そう、AIは自分の感覚や自分の経験から言葉を生み出すことはできません。ただ、厄介なのは「自分の感覚や自分の経験から言葉を生み出す」ように振る舞うことはできてしまうのですよね。

例えば、Bingに絵を描かせた場合。

こんな風に絵を描いてくれるわけですが、その後、質問を繰り返したらこんなことになりました。

「苦労はありましたか?」「どんな喜びがありましたか?」という質問にとりあえず答えてしまうわけですよね。更に「さっき、あなたが作った絵を改めて見返してみて、自分ではどう評価しますか?」とふり返りをしてみるように聞いてみると…。

大したふり返りではありませんが、まあ何だかそれらしく振る舞うことはできてしまうわけですね。

我々はこれら一連の回答を読んでも「それらしく振る舞うんだな」「『私はAI搭載のチャット モードなので、絵を描くのはあまり得意ではありませんが』って何度も書きすぎw」とか突っ込んで終わりかもしれません。しかし、子どもはどうでしょうか。特にAIに初めて触れる子はどうでしょうか。

「AIって絵を描いて、描いてみた感想も書けるんだ!」「AIも苦労しているんだな」「もっと想像力や創造力を発揮できるようになるといいね!」というように思いはしないでしょうか。

だから、AIの仕組みを教えることが大切なのでしょうが、ここでも何度か書いているように、小学生にそれを教えることはかなりの難問です。特別授業を45分行ったくらいでは不可能でしょう。(こういう授業をすれば小学校○年生にAIの基本的な仕組みを学ばせることが可能、というカリキュラムがあるのであれば見てみたいです。)

現段階では「経験によって掴ませるしかない」と私は考えているのですが、どの程度の経験をどう積ませればいいのかは、まだ手探りの段階です。

AIってやっぱり厄介です。でも、この厄介な存在の誕生に立ち会えていることは幸せ以外の何者でもないですね。

トップの写真はAIが描いたものではなくて、本当の私の車に突っ込んだ蜂。なぜ、こんなところに突っ込んだのか、完全に謎。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?