愛すべき坊主たちへ

「高校は野球部が強い学校でマネージャーをやって、甲子園に行く」
そう決めたのは、初めて甲子園を観た小学5年生の夏だった。
それは高校に入学するまで、退屈と憂鬱とを行ったり来たりしていて、なんとなく居場所もなければ、心から信じられる人もいなかったし、信じてくれる人もいなかった私を支えてくれた、たったひとつの大切な、大きな夢だった。

そして本当に野球部のマネージャーになって2年半。引退した18歳のあの夏から、私は甲子園を全く観なくなった。マネージャーとして関わってきた私の高校野球は、あの夏にもう終わったものだったのだ。けれど毎年、家で当たり前のように流れている映像を観ると、あの頃ほどの熱を持って観られるわけでもないくせに、他人事として観られるようなものでもないと気づかされる。画面に映る些細なことから感情を掴まれては激しく揺さぶられ、記憶や思い出は無限に引っ張り出される。あの歓声や空気はテレビ越しでも当時を鮮明に思い起こさせ、無意識のうちに当時にタイムスリップする。しかもそれは当時の試合の光景ではなく、普段の何気ない練習風景なのだから面白い。まぁ単純に考えたら、試合をしている時間よりも、練習している時間のほうが長いのだから当たり前なのかもしれない。毎日聞いていた打球音と選手の声、ランニング体操、選手たちの背ネーム、グランドの照明が点く瞬間。寮のお風呂や食堂、廊下…。それは、結果がすべての世界に生き、結果ばかり求められる日々を過ごす彼らを、目で追っていた私の日々の記憶であり、結果とは真逆にある”過程”だった。

たまたま同じ高校に入学した、個性あふれる素晴らしい仲間たち。一緒に過ごした、一生に二度とない三年間が、今でもいとおしい思い出として、私の中で息をしている。当時は気づかなかったけれど、あの頃、私たちは間違いなくリアルな青春群像劇のど真ん中にいたのだと思い知り、もう二度と戻ることができない時間があるという尊さに気づく。”普通”で”当たり前”だった毎日が、”特別”で”大切”だったと思い知る。彼らがマネージャーにしてくれて、同じ時間を過ごし、同じ思い出を持ち、今もあの頃と変わらない笑顔で乾杯できる仲間に出会えたことは、私の生涯の宝物だ。

外から甲子園を一生懸命に見ていた小学生〜高校入学までの時間と、当事者として過ごした2年半の高校野球生活を経て、引退してからは毎年「ありがとう、私の高校野球」と思う夏になった。今の私を、あの日々なしに、あのとき出会った仲間たちなしには語れない。甲子園には行けなかったけれど、あのとき、あの場所にいた大切な人たちは、今でも、そしてこれから先もずっと、私の大切な人たちだ。

今年も11回目のありがとうを。
ありがとう、私の高校野球。

#あの夏に乾杯

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