ケーショガール 第1話
プロローグのススメ
「遅ぇな‼いつまで待たせるんだよ‼」
私がお釣りを持ってバックヤードの扉を開けると怒声が聞こえた。
店中に響き渡っているその声の標的が私だと言う事はすぐに分かった。
カウンターで座って待っているはずのお客様が立ち上がり、私に向かって吠えていたからだ。
え?何で?なんであんなに怒っているんだろう。私が席を外していたのはせいぜい3分程度なのに…。
いきなりの事で状況が把握できず扉に手をかけたまま固まる私に、新人教育として私に付いている先輩スタッフの三吉が「大丈夫、行こう」そう小さくつぶやき背中をポンと叩いてカウンターへ戻るよう促してきた。
恐る恐るお釣りの小銭が入ったトレイを差し出すとお客様は乱暴に小銭を掴み、私に向かって放り投げた。
茶色や銀色のコインは私の胸元にあたった後にカウンターの周りに散らばる。
「時間かかりすぎなんだよ‼︎だから新人は嫌なんだ」
三吉や隣のカウンターのスタッフ達がそそくさとコインを集め、突然の事に直立で固まっている私の手元のトレイに戻す。
ジャラジャラとトレイの中に集まる小銭に気がつきハッとして慌てて言葉を発する。
「大変申し訳ございません」
そう言ったものの自分が何に対して謝っているのかは分かっていない。
「だいたいいつも混み過ぎなんだよ‼そもそもお客様に対して時間を取らせるなんてありえないだろ。客が早くやれと言ったら早く―」
ヒートアップした男性は顔を真っ赤に染め上げ口角には泡を溜めながら謝罪など聞く気もない様子で私の言葉に被せ気味で怒鳴り続ける。
その姿はまるで沸騰した鍋に入れられた甲殻類のようだった。
窓口で1か月分の使用料金を払う。
ただそれだけの事に長い時間をかけたくないというお客様の主張に反論はいくつも浮かぶ。
まずスタッフはお客様がらお金を受け取りお釣りを渡す為にレジを通さねばならない。そのレジはバックヤードにあり月末ともなるとレジには何人ものスタッフが行列をつくる。
その為レジにたどり着くまでに時間がかかってしまい結果としてお釣りをお客様に渡すまでには時間がかかってしまううのだ。
とは言えその流れを知らないお客様が料金を払うだけでこんなにも時間がかかる事に疑問を持つのは仕方が無い。
しかしそれを口に出したら最後。
さらにヒートアップしてしまう事は火を見るより明らかである。そうでもなったら事態を収めるのに短くても一時間、長いと半日以上の時間を費やすことになりかねない。
反論したい気持ちをグッと抑えながら眉間に力を入れやや上目遣いにし、反省している表情を必死で作る。
何分たっただろうか、すみませんと何度言ったか分からなくなった頃、ようやく怒りのガスが抜けきったらしい。
「もういいよ‼もうこないからな‼」
そう捨て台詞を吐き鼻息を荒げつつもしっかりと小銭は財布にしまうと、のしのしと店から出て行った。
頭から湯気が出た甲殻類の後ろ姿が見えなくなると後ろから声が聞こえた。
「急いでるなら早く帰れよ。二度と来るな、クソ客が‼」
「まったくああいう自分勝手なクソ客がいるから余計に店が混むんだよ」
そう吐き捨てるとツンと踵を返しバックヤードに歩いて行った。
口は悪いが確かに三吉の言う事もわからなくもない。
待たされてイライラするくらいなら最初から銀行口座から自動引き落としに設定すれば良いのに…そんな事を考えながら釣銭のトレイを元の位置に戻し、電卓を引き出しにしまう。
カウンターの片づけを終えバックヤードに入ると
「古寺ちゃん大変だったねぇ」
「古寺、気にする事ないよ」
とそこにいたスタッフ達からねぎらいの声をいきなりかけられ一瞬何の事かと思ったがその理由はすぐにわかった。
三吉わかばが先ほどの受付の一部始終を他のスタッフに愚痴っている姿が目に入ったからだ。
その話を聞く周りのスタッフもどこかの土産の赤べこのように顎を縦に振りながら聞いていた。
「デラコ。こんなのでへこんでちゃだめだからね。気にしちゃだめだよ?」
私を気づかう三吉の言葉はまだ興奮がおさまらない自分自身に言い聞かせているようにも聞こえた。それはそうとさっきの受付で疑問があった私は三吉に聞く事にした。
「…三吉さん、何分だったんでしょう?」
「へっ?何が?」
三吉が言葉の意味が分からず聞き返す。
「あのお客様には何分お待ちくださいと具体的に時間を伝えていればあんなに怒らなかったと思うんです。」
一瞬バックヤードが静まり直後ドッと笑い声が響き渡る。
口を大きく開けて笑っていた三吉が涙をぬぐいながら私の顔を覗き込む。
「デラコねぇ…真面目すぎだから」
その言葉の意味は理解できなかったが、周りの様子を見るとそんなに思い詰めるような内容ではない事を感じ取った。そしてそれ以上深く考えるのはやめる事にした。
バックヤードの端にある従業員用の冷蔵庫から自分の名前の書かれているペットボトルを取り出しお茶を一口飲む。そうして一息つくと次のお客様を受付する為にカウンターに戻る為バックヤードの扉を開けた。
時代はスマホの台頭によりガラケーが旧時代の遺物になり始めている。
技術は日進月歩で進化を遂げているが業界の雰囲気や風習は停滞中。
売上を上げる為のノルマは昭和の体育会系の企業のごとく厳しく、成績が悪い人間は容赦なく糾弾されお客様とは契約内容で言った言わないの水掛け論が日常茶飯事。
いわれもないクレームに気持ちのこもってない頭を何度も下げ、お局からの皮肉にストレスを溜める毎日。
会社、キャリア、お客様、上司先輩同僚が織りなす出世競争や恋愛事情そして犯罪加担。
様々な人間の感情と思惑がどろどろと渦巻くここはまさに伏魔殿。
1つ確かな事はここは一般社会に溶け込む最も身近な異世界であり、そこで働く者にとってここは戦場である事に間違いない。
言うのが遅くなったが私、古寺真希美が働く、この身近な異世界の最前線の名はー
携帯ショップである。
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