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パラメータ更新と指針

誕生日なう 27歳になりました。

7歳から20年、17歳から10年で、後者はだいぶ思うところありますね。
7歳なんて1年年を取るだけで成長以外あり得ない世界だけど、
17歳から身長はほとんど伸びていないし、(いや3cmくらい伸びたかも)
高校大学で多少社会とか人間関係とかを経験したうえで、
だいたい24歳くらいからの成長って、環境と本人の意識によるところが多い気がします。

 その点振り返ると、26歳はかなり厳しい環境で戦っていたので、よくも悪くも成長せざるを得なかったというか、叩きつけられてだいぶ伸びました。


 心の面で、別に特定の思想に感銘を受けたとかではまったくないけれど、「これは一生心がけとして大事になるんだろうなー」とか「人との付き合いで大事になっていくんだろうなー」みたいな根本にちょっと触れられたと思っているところがあります。

 人生の先輩的から見たらちゃんちゃらおかしー青臭いことかもしれないけれど、できれば一回文章にしたいと思っていたので、目次機能を初活用して書いてみようかなと思います。

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章にするほどでもない話:まぁ全体的に、自分がどうしたいかに責任を持ちたい。生かされている感出ちゃいがちなので、やりたいことをいっぱい見つけてやっていきたい。人生足りない!と思うくらいに。やりたいことをやらないのは自分への冒涜なので。

なんとなくこの先人生で一生大事になるだろうなと感じたこと

どこを見て話を話を聞いて、返すか

 話をするときに、相手を見るか自分を見るか、ってことです。
前提として、コミュニケーションは、めちゃくちゃに薄めた暴力です。自分と外部のやり取りって基本的に刺激のやり取りです。強すぎると痛くて、弱すぎると何も感じない。ハマるポイント、すごく嫌なポイント、人によって様々です。

 一方的に話す場合(今こうして文章を書いているのもそう)を除いて、会話は刺激のやり取りです。よくキャッチボールに例えられているけれど、ボールは無限にあるので投げられたボールを必ずしも受け取らなくても続いたりして。投げるのが好きな人と、受け取るのが好きな人がいて、人類は成り立っているのではなかろうか。

 私は取るのも投げるのもあまりうまくはなくて、終わったあとから拾いに行って、どこに走れば取れたかを考えたりします。投げたとしてノーコンになって申し訳ないから、とりあえず取れるボールをとって、返すことが目標になってしまう。これって、結局自分の手元しか見てないんだよなって思うんです。投げるのが下手なのも多分手元しか見えていないから。相手に届く方向とか距離感とか、向こうが見えるほど余裕がない。自信がない。

 たぶん、手元を見すぎなんだなって最近思っています。暴論を言えば、たとえ投げすぎたって相手が走れば取れます。取る気持ちのある人であれば。その場では取れなくても、後で拾いに行くかもしれない。もっと言っちゃえば、思いっきりデッドボールにしたって、致命傷でなければ治ります。ただ、投げるボールが全部デッドボールだと、流石にキャッチボールはお断りされるかな。それはこちらも同じだし、それが人間の相性ってやつなんじゃないでしょうか。

 大事なのは、手元ばっかりじゃなく相手の方を向いてボールを投げることなんだと思う。でも、ラリーが続くとそれはやっぱり楽しいので、なんとか上手になりたいなと思っている今日このごろ。話の重心をどこに置くかみたいな話もあるんですけど、長くなりそうなのでまた今度。

好きを選ぶ才能/脅しは劇薬

 選択肢のなかから一つを選んでなにかするとき、それを選んでしているときと、それ以外の選択肢がないからしているときがあると思います。したいわけじゃないけど、しょうがなく。後者の言い回しはそんなときに使う印象です。積極的選択か消極的選択かってことですね。

 なんとなく、これはほんとになんとなくですが、選択肢が多いほど積極的選択肢で選ばれたものってキラキラして見えます。自分の直感と縁を信じている感じがして。自分の本当に好きなものを知っている人にしかできない選び方なんじゃないかなって。選択肢を消していった理由より、選んだ理由を語れるような選び方をしていきたいなって最近思う。

 好きで選択するって、実はコツのいることだと思います。自分のなかの好きを知るのって、いろんなことしてみて何が楽しいかを積み重ねてった結果どこが層として厚いかを観察することなのかなって。もちろん、ほぼまっさらでもここ!って決めて積み上げていったり、ある一部分だけ積み上がり方の勢いが半端ない人もいそうです。天才キッズかな?

 現実的に、選択肢を減らすまでは消極的でも、やってみてから好きなところを見つけられればそれはきっと続けられるなって思います。
 得意なこととかも絡んできそうだけどこの辺はまた今度。

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 もう一つ、消極的選択を他人に対して強いるとき、それは脅しになります。「早く寝ないとおばけが来るよ」みたいな。寝ないときの状況を嫌な方向に想像させることで、早く寝る以外の選択肢を取り上げるみたいなやつですね。言うこと聞かない相手に対して不機嫌をちらつかせるタイプは広範囲にこれです。言うこと聞かないとどうなるかわかってるよね?という。周囲に機嫌をとらせる厄介なタイプです。

 人を動かすのって基本的には大変で、脅しって劇薬になります。すごく効果があるんです。でも、長期的に信頼関係を築ける関わり方ではない。相手が納得してないからだと思います。相手との間の健康的な関係を食いつぶして成り立っているから。このタイプの関わり方に慣れている人は、自分の劇薬が効きそうな相手を見つけるのが上手だったりします。一度脅しを飄々と受け流すとターゲットから外れられたりするよ。

 人に対しても、自分に対しても、積極的選択で物事を伝えていく心がけをしたいと思っていて、そして今後の人との関わり方を変えていく気がしています。30歳くらいで、ここがターニングポイントだったなァ!と言えれば上々かな。

 関係あるかわからないけど「推ししか勝たん」みたいな言い回しが結構苦手です(?)

ルーチンワークを定めること

 これは全然できてない(というか続かない)ことなんですが、毎日これだけは絶対やる!とか、毎週このために時間を使う!とかを決めたいなと思っています。勉強どころか3分やってたラジオ体操も続かないのですが。

 あまりにも無秩序にスマホを見すぎてしまうので切り替えタイムを設けたいなというのと、決まった時間にやることを決めるとそのために周りの生活習慣を整える効果があるよ、というのを見たのがきっかけです。あとかなり前だけど同期に「やっぱルーチン整えるといいっすよ!」と言われたのもある。

 際限なくぼーっとしてしまうときって、次に何をやるかがはっきりしていないときだと思うんです。やることが思い浮かばないか、今やる必要なくない?というのが思い浮かぶから、まぁいっかでずっとしなくてもいいネットサーフィンをしてしまうんですよね。自分に甘々のあまちゃんなので、今やる?後でしょう!の理由が無限に出てくる。

 簡単なことでも決断ってエネルギーを使います。することとしないことを選ぶのもそうです。やることに決断力を使わない状態、当たり前の状態にして、できるだけそれをルーチンにして、螺旋状に登っていくことができたらなって。次の1年は、押し付けられて伸びるんじゃなく、少しずつ登っていって結構高くなったなぁ、みたいな成長の仕方を目指したいです。

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