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私の美しい部屋

こんにちは。
3連休の初日、お茶を飲みながら、穏やかな気分でこれを書いています。

さぁ、本題に入りましょう。
私にとって一番落ち着く場所、それは自分の部屋です。
実家の、昔は祖母が使っていた部屋を、今は私が使っています。

投稿主の自室です↑

去年の4月に亡くなった祖母は、数年前から認知症を患い、足腰もかなり弱っていました。
そのため、2階にあるこの部屋ではなく、リビングに介護用ベッドを置き、主に1階で生活していました。

だから、2階の部屋を祖母が使っていた頃といえば、まだ祖母が健康だった時。
印象的な思い出として覚えているのは、私がまだ小さい頃、2階の祖母の部屋に遊びに行き、一緒に絵を描いたり、お菓子を貰ったりしていたことです。
思い出すと、つい顔が綻んでしまいます。

私は祖母のことを、「ばーやん」という愛称で呼んでいました。(ちなみに祖父のことは「じーやん」です(笑))
祖母はいつも優しく、柔らかな性格で、私を癒してくれました。
怒っているところはほとんど見たことがなく、家族の中でも、孫の私には特に甘い。
アイスクリームやマドレーヌ、色々なお菓子を買ってきてくれたのを覚えています。

認知症がまだ軽度だった頃、お菓子を買ったことを忘れてまた買ってしまったり、ものすごい量を買ってしまったりしたことがありました。
私は祖母に、「そんなにいらないでしょ!なんで買ってきたの?!」と怒りました。
今思えば、私を喜ばせたくて、私の笑った顔が見たくて、買ってきたんじゃないかと思うのです。
病気が邪魔をして、色々なことが思い出せなくなって、苦しかったと思います。
祖母の困惑した顔が、目を閉じれば思い出せてしまって、少し切なくなります。

高校を卒業し家を出た私は、帰省するたび祖母の認知症が進むのを、ただ受け入れるしかありませんでした。
最終的には私のことも忘れてしまったけれど、それでも、会いにいくたび、柔らかな表情で私を見つめてくれました。
言い争いもしたし、祖母にとって可愛い孫でいられたのかは分からないけれど、私は、祖母が大好きです。

祖母との思い出が詰まったこの部屋。
祖母が暮らしていたこの部屋。
私は、祖母の遺品を整理した後、出来る限り綺麗に掃除しました。
高校卒業後家を出るまで、母と1階の和室を2人で使っていたため、自分の部屋というものがありませんでした。
4年ほど実家を出て1人暮らしし、青森に帰ってきた今、祖母の部屋が自分の部屋になりました。
なんとも、不思議な感覚です。
専門学生時代の学生寮の部屋も、その後住んだ賃貸のアパートも、どれも気に入っていたけれど、祖母が使っていたこの部屋が1番落ち着きます。
なんだか、祖母が守ってくれているような気がしてなりません。
この部屋でぼーっとしていると、祖母の笑顔が近くにあるように感じるのです。
天井の木目、畳の暖かさ、古びた障子、そこに不思議と馴染む私の家具たち。
大好きな、私だけの空間。聖域です。
どんなに疲れた日でも、ここに帰ってくれば、エネルギーチャージができるような気がしています。
毎朝仕事に行く前、出来る限り部屋をきちんと整えてから出かけています。

凪良ゆうさんの小説、「私の美しい庭」が大好きなので、それをもじったタイトルにしてみました(笑)
いつまでここに住むかはわからないけれど、この家を、この部屋を、大切にしていきたいです。
ここまで読んでくれて、ありがとうございました!

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