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私が弓を引く理由

高校時代、弓道部でした。
運動部に入りたかったけど、小、中学校から続けている子たちに勝てる自信がないから、高校から始められるスポーツをしたかったのです。

「なんとなく、日本人っぽいっていうか…」
「和風っていうか…なんかカッコいいから!」
そんな薄っぺらな気持ちで、入部を決めたのでした。

弓道部は、文化系運動部と呼ばれていました。
あまりガツガツ身体を動かさないイメージがあるからでしょう。
しかし、1年生の私たちを待っていたのは、過酷なトレーニングの日々でした。
弓を引くのだけなのだから、腕しか使わないし、運動音痴の私でも出来るかも…なんていうのは甘かった。
まず、道場で初めの挨拶をしたら、3キロ走ります。
校舎の周りを1周すると約1キロになるので、それを3周します。
そのあとは、筋トレです。とにかく筋トレ。
腕、腹筋、脚まで、全身を鍛えます。
あまりに過酷だったので、私はトレーニング初日、友人の母に送ってもらった車から降りる際、過度の脚の疲労により力が入らず、ずしゃあ、とそのまま地面に崩れてしまいました。
アスファルトととの摩擦により、新品のジャージに早くも穴が空きました。
トレーニング1日目、自分のパワーの無さに笑うしかありませんでした。

しかし、若い身体はどんどんと強くなりました。
辛いトレーニングも、同じく高校から弓道を始めようという仲間たちと一緒なら、なんとか耐えられました。
同じ中学校の友達が誰1人としていなかった私ですが、趣味や帰りの方向が同じ女の子が1人おり、あっという間に打ち解けることができたのでした。
ちなみにその子とは今も仲良しで、もう8年ほどの付き合いになります。出会いに感謝…!

弓道とはほど遠い、もはや筋トレ部なのではないかと思うような日々も、唐突に終わりを告げました。
顧問の先生から許可がおりました。
いよいよ、弓を触るのです。
縄文時代から行われていたであろう、弓を引くという行為。
それを現代に生まれた私たちが、競技として、部活動としてやっているのだと思うと、なんとも不思議な気持ちになったのを覚えています。
トレーニングで体づくりをし、礼儀作法や弓道用語などをひと通り座学で勉強し、暗記テストなどをクリアした私たちは、待ちに待った弓とのご対面が許されます。

始めは、矢は使いません。
矢をつがえずに、「素引き」という練習から始めます。
それと並行して、ゴムで作られた弓(ゴム弓)で、一連の動作を練習します。
その次の段階は、巻藁です。
米俵のようなむっちりとした藁の束に、矢を放ちます。
もちろん至近距離からですし、先生方や先輩が側でサポートしてくれます。
そうした基礎練習が始まると、みんな、いよいよ自分が弓道部に入ったんだという自覚を持ち始めました。

矢を放つ際に右手にはめる手袋のようなものを、「弽(かけ)」といいます。
かけがえのない、という言葉の語源でもあるらしいです。
確かに、弽がないと弓を引くことが出来ないし、人のものを借りるのではなく、自分の手に合った弽でないと、上手に引くことはできないのです。
だからこそ、弓、矢、弽などの自分だけの道具は、「かけがえのないもの」なんだと思います。

素引き、ゴム弓、巻藁練習を経て、いよいよ的前での練習が始まります。
最初は的に近づいて、至近距離から矢を放ちます。
緊張とワクワクで、弓を握る手が汗でびっしょりでした。
季節は、あっという間に夏になっていました。

弓道には、近的(きんてき)競技と遠的(えんてき)競技の2種類があります。
私がやっていた(今でもやっている)近的競技は、直径36cmの的を28mの距離から狙って、的中数を競う競技です。
射場から的見た時、的がとても小さく思えて、私の矢はそこまで届くのだろうか…と不安な気持ちになりました。
初めてきちんと射場に立ち、矢を放った日のことを私はぼんやりと覚えていて、あの時の緊張感を忘れたくない、とそう思うのでした。

※的は被り物ではありません

私はなんと奇跡的に選手に選抜され、いくつもの大会に出ることができました。
県で個人5位に、北海道、東北、関東を合わせた大会で団体3位になるという輝かしい成績も残しました。
段位審査では弐段をとりました。
私は高校生活のほとんどを、部活に捧げたことになります。
勉強や恋愛への未練があり、全く後悔が無いわけではありません。
でも、仲間たちとどんどん上へ進んで、見たことのない景色を見ることができて、尊い青春時代を送ることができたと思います。
弓道は、団体戦でもある意味個人戦で、自分との戦いでもあります。
その中で、仲間たちと、自分と、しっかりと向き合う。
心から楽しみ、最後まで諦めずにやり尽くすこと。
それが、高校時代の私が、弓を引く理由だったのだと思います。

そして今、私が弓を引く理由。

学生の頃とは違う様々な種類の悩みが、日々生きていると現れます。
安定した仕事、それなりの貯金、友人の結婚や出産、老後のために投資を…などという、学生の頃には縁がなかった悩み事たち。
つい生き急いでしまうし、数え切れないほどの悩みたちに、行手を阻まれてしまいそうになります。
頭の中にもやがかかったように不鮮明で、先のことばかり考えてしまう日があります。
けれど、道場へ行き弓を引くと、「今ここ」に戻ってくることができる。
そんな感覚があるのです。
弓を引きながら、将来の不安を考えることは、同時にはできません。
ただ、心を無にして、的へ向かう。
心も身体もありったけ全部使って、今の私にできる最高の射を目指す。
そうすることで、心と身体が分離していた私がようやっとひとつになります。

学生の頃とは違って、ガツガツ大会に出ては入賞を狙う、という訳ではありません。
自分のペースで、好きな時に好きなだけ弓を引きます。
仕事終わりに道場で、同じく社会人で弓を引く仲間たちと、何気ない会話を挟みながら穏やかに過ごします。
生産性や効率化ばかり求められる世の中で、ゆっくりと丁寧に、一つ一つの動作を行う必要がある弓道は、私を本来のペースに戻してくれる気がするのです。
日々の生活の中に、弓を引く時間を取り入れて良かったなぁ…と思うばかりです。
くれぐれも怪我には気をつけて、今日も弓を引いてこようと思います!^_^

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