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かけがえのない他人

私は、かけがえのない他人と出会いたい。
最近、どうしようもなくモヤモヤして溜まっていくこの気持ちを、今日は吐き出してみることにします。

約2年付き合った元彼と別れてから、約1年半の月日が流れました。
改めて考えると結構経ったなぁ、としみじみ…
別れた際、これを機に1人を楽しめる人間になったら?と、お世話になっている心理士の先生は声をかけてくれた。
1人はさみしい、何をしたら良いのかと悩んでいた頃が嘘のように、今となっては、1人旅も余裕だし、1人の時間を思う存分楽しめる私になりました。人は変わるものですね。

でもやっぱり、美味しいものを食べた時、綺麗な景色を見た時、何か感動する出来事に遭遇した時、それを共有する相手が欲しい。
そんな風に思うこともあります。
1人で完結する幸せと、他人と関わることで広がり、ふくらむ幸せもあると私は知ってしまったからです。

先日、とあるイベントに参加してきました。
20代〜30代が集まる少人数制のイベントで、男女4〜5人ずつ、ローテーションして会話する形式でした。
ありがたいことに、連絡先を交換したい、カフェにでも行きませんか、などと声をかけてくださる方がいました。
でも、これは私の問題で、その人に惹かれていない自分がいるから、お断りさせていただきました。
直感的に、と言ってしまえば簡単です。
見た目、年齢、仕事、将来性…。
学生の頃と違って、現実的な、生々しい観点が増え、良くも悪くもその人自体を真っ直ぐに見れなくなっていました。
付加価値のような、その人と付き合うメリットだとか、そんなことを考えてしまうのです。
ただ、この人に惹かれる、というそんな純粋な気持ちは、私の中のどこかに眠っていて、目覚めてくれません。

元彼が同棲を始めたみたいです。
お酒を飲んだ勢いで元彼のSNSを覗いたら、思わぬところから矢が飛んできて、不意打ちを喰らった気分になりました。
そりゃあ一年半も経てば、物事は移り変わり、変化します。変わらないものなどなかなかありませんし、私も変わりました。
別れたことに一切の後悔などしていないのに、なんだろうこの不快な、重たい気持ちは…

かけがえのない他人は、誰でもいいわけではありません。
が、性別や年齢にこだわるつもりもありません。
かけがえのない他人、この表現はとある文学小説から拝借したものです。
しっくりくるので気に入っています。

美味しいものを好きなだけ食べて飲んで、そのまま眠ってしまって、朝起きたら隣にいて、それを見てまた眠ってしまう。そんなことを許し会える誰かと出会いたい。
眠れない夜に、永遠かと思えてしまう長い夜に、語り合える誰かと出会いたい。
なんでもない日常を共に過ごし、たまにすれ違ってもまた手を繋ぎ、見えないもので繋がっている、そんな相手と出会いたい。

ということを長々と書き連ねたわけですが、これは後から読み返して自分きもいな現象が起きる予感が大いにします。なんならもうすでに寒気がしてきました。

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