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では、最悪の安倍政権はどのような歴史的背景の中から誕生したのか?!

 ここまで、敗戦によってアメリカは日本のことを多大な犠牲を払って得た「戦利品」と考えてきたことを白井さんの論考を引用して書いて来たが、その結果としての最悪の政権としての安倍政権はどのような経緯をたどって誕生し、その中身とはなんだったのかを「自民党という絶望」から白井さんの論考を借りて述べたい。

拉致問題で爆発したナシ∃ナリズムが安倍政権を生んだ

    東西対立構造が崩れたことで、アメリカにおける対日政策にはどのような変化がもたらされたのでしょうか。

白井  庇護すべき対象から収奪すべき対象へと明確に変わりました。
 1980年代にすでに経済摩擦が非常に深刻になってきていました。ロックフェラーセンターやコロンビア映画などがバブル景気に湧く日本の資本に買収されてしまうなど、アメリカにとって大変屈辱的な出来事が続き、1990年代にかけてジャパン・バツシングが強まります。「日本は安全保障をアメリカに押し付けておいて、不正なやり方でビジネスをやっているからあんなにも儲けているんだ」というような論調がアメリカで盛んに語られるようになっていました。日本の世論は、「そっちがうまく車を作れないから八つ当たりしているだけだ、自業白得だろうが」といった反応だった。お互いの利害対立が表面化していましたから、今に比べればよほど健全な日米関係だったと言えます。
 しかしその後、暴力としてのアメリカが忘れ去られた結果、その暴力性が日本に向けられるかもしれない、ということが想定外となったのです。ソ連崩壊後、日本は「失われた30年」に突入していくわけで、そこからはやたらとグローバル化が叫ばれ、それに合わせることが正義なんだと言われるようになりました。そうした流れを愚かなマスコミと竹中平蔵さんのような学者たちが盛んに煽って加速させましたね。

    そして小泉政権が誕生します。

白井  イラク戦争への参加で対米追従の極みと言われた小泉さんのときでも、まだ白主外交を模索する動きがありました。直前の森喜朗政権で、ロシアとは北方領土問題において多少の妥協をしつつ平和条約を結ぶべく動いていましたし、もう一方では北朝鮮との国交樹立を目指していた。当時のアメリヵは2001年の9・11事件によって対テロ戦争に入っていました。北朝鮮も、イラクやイランとともに″悪の枢軸”呼ばわりされていた頃ですが、それでも小泉政権は北朝鮮との国交を開く、という日本の独自外交を目指します。
 しかし結局は、拉致問題がはじけてしまい、「こんなとんでもない国とは国交交渉なんてできないぞ」という被害者ナショナリズムが国内で爆発してしまった。このナショナリズムの爆発から、「保守派のプリンス、安倍晋三」が誕生するわけです。

   安倍政権とナショナリズムは非常に親和性が高かったですね。

白井  自称保守ですね。安倍氏に代表されるナショナリズムの前提には、常にアメリカ依存があります。何が何でもアメリカに依存していたい。アメリカヘの依存と従属を続けるために、次々に近隣に敵を作り出す。ここにきて、

「対米従属を通じた対米自立」の後半の部分が完全に失われ、「対米従属を続けるための対米従属」になってしまいました。


「トランプには敬意を払わなければならない。なぜなら日本の唯一の同盟国だから。あなたの党も政権を取るつもりがあるなら、そのくらいわかっているでしよう」
 トランプをノーベル平和賞に推薦したのかどうかと国会の場で野党から問いただされた安倍さんは、そんな趣旨の発言をして居直りました。アメリカ以外に友好な国はない。だから、たとえどんな人間であろうとも、アメリカの大統領である以上は敬意を払わないという選択肢はないのだという。もっとわかりやすく言うと

「属国なんだから、汚い靴を紙めるのも当たり前だろうー」ということです。これほどまでにわかりやすくアメリカ依存を言葉にしてしまった首相が、これまでにいたでしょうか。今やアメリカに甘える、依存するというメンタリティが完全に定着してしまったということです。

〝腹話術師に操られた人形”と化した岸田政権の惨状

    安倍政権における外交において特筆すべきことは何だったのでしょうか。

白井  あの長かった安倍政権において注目すべき点は、前半と後半で外交方針が見境もなくブレていったところにあるでしょう。前半はTPPを推進し、集団的自衛権の行使容認を強引に進めていきました。つまり、日米で対中包囲網を作っていこうという強硬な姿勢を明確に示していたのです。
 ところが途中で、それは無理だということを認めざるを得なくなった。日本経済の現実を考えたら、中国の封じ込めなど到底不可能だと気づいたことで、政権後期になって明らかに毛色の違った方向性が出てきます。
 まずはロシアに接近していった。アメリカ一辺倒の外務省からは大反対されますが、安倍さんは外務省出身の行内工太郎氏のルートを切って、今井尚哉(たかや)氏を筆頭とした経産省出身の官邸官僚主導の交渉に転換し、ロシアに積極的に近づいていきました。そして、4島返還という方針を放棄して、2島返還で手を打って平和条約を結ぼうとします。しかし、2016年に来日したプーチンに「アメリカに追従してきた姿勢を改めることはできるのか」と突きつけられて、言葉に窮してしまった。つまり、アメリカとの関係を相対化する覚悟はあるのかと問われ、そこでほぼ「ゼロ回答」のような対応をしてしまったわけです。いくら「ウラジーミル」などと名前で呼びかけて親しさを演出してみたところで、本気の外交姿勢を見せなければ相手の不信を招くだけです。ロシアも日本が日米安保体制をやめられるとは思っていませんから、「独立国としての気概はあるのか」と問いかけただけなのに、その程度のことにさえ答えられなかった。
 対中国との外交においても、当初は中国包囲網だの価値観を共有できないだのと言って対決姿勢を鮮明にしていたにもかかわらず、米中対立が深まっていく最中で、2019年3月に安倍さんは「日中関係は完全に正常な軌道に戻った」と発言し、ガラリと方針を切り替えます。そして2020年4月に習近平を国賓として招聘することを決めました。これはコロナ禍のために無期限延期となってしまったのですが。
 つまり、いずれの方向転換も不徹底で、簡単にブレる、場当たり的だったことが特徴と言えるでしょう。安倍さん自身に深い考えがなかったことについては能力の問題があり、そもそも彼にそんなものを期待できないのは自明だったのですが、官邸の官僚たちはいったい何をやっていたのでしょうか。実は彼らにも外交戦略など存在していないのでしょう。
 大局観もなければ、信念もなく、戦略もない。あるのは惰性と自己保身だけ。だからフラフラした挙句、結局はずっとやり続けてきたこと、つまリアメリカ追随の路線に立ち戻っていくのです。

    ポスト安倍政権についてはいかがでしょうか。

白井  首相を辞めたあとの安倍さんは、かつて習近平を国賓で招こうとした人とは別人であるかのように、アメリカに回帰していきます。そして「台湾有事は日本有事だ」と盛んに言い立てるようになりました。結局、多元的な外交がうまくできなかったので、その試みをなかったことにしたかったのではないでしょうか。
 そして、今や防衛費の大幅増額、大軍拡が進んでいます。この動きの背後にあるのは、要するにアメリカでしょう。大メディアではほとんど誰もこのことを口にしようとしない光景におぞましさを感じます。政治家もメディアも、「国際情勢は厳しさを増しているのだから、我が国の防衛力を高める必要があるのだ」の一点張り。2022年5月に岸田さんがバイデン大統領と会って、そこで「思い切ってやります」と約束済みという話でしょう。
 この約束はそもそも誰が言い出したのかと言えば、安倍さんです。安倍さんが「防衛費はGDP2%程度に増額しなければいけない」と言い、自民党総裁選で高市早苗さんがその主張を引き継ぎました。あの時、高市さんの路線は極端すぎると受け止められ、際物視されました。そもそも中国と軍拡競争をやつて勝てるわけがない。それに比べ岸田さんは穏健そうだし無茶なことはしないんじゃないか、と見られていたoしかし結局、岸田さんは今、高市さんが言った通りのことをやつている。高市さんが岸田さんのお面を被って自分の政策を実行しょうというようなものだ。しかも、言い出しっぺの安倍さんはもうこの世にはいないのです。
 この光景は何なのですか。3人の政治家がいるけれども、3人全部同じ、金太郎アメの腹話術人形ではないですか。もちろん背後の″腹話術師”はアメリカです。
 あるいは、こういう見方をする人もいます。「アメリカは日本の政治家に命じているわけではない。アメリカの意図に見せかけた形で日本の官僚や政治家が自分のやりたいことを通しているのだ」と。真相はわかりませんが、私から見れば、どっちだろうが同じことです。米中対立の大構造があつて、その中で日本がどう利用されるか、という話でしかない。自民党を中核とする親米保守勢力は、その中で自発的、積極的に奴隷になっているのであって、命ぜられて服従させられているよりもなお一層悪い。

日本という“戦利品”の利用価値

   しかし、有権者の側にも「増税はイヤだけど、防衛力増強は必要だよね」という意見が少なくありません。

白井  「軍隊は強くしたいけど、増税はイヤ」というのは単なるバカじゃないでしょうか。強い軍隊が欲しければ、カネがかかります。国民から税金をさらに搾り上げ、アメリカと一体となって軍事力を行使していこうという道を、今、日本はひたすら突っ走っています。戦前は天皇制というものに日本国の原理があつたように、戦後も天皇制と同じような構造が、アメリカをトップに入れ替えたうえでこの国の内的原理として続いているのではないか、というのが『国体論』以来繰り返し述べてきた私の考えです「天皇陛下を慕うようにアメリカを慕ってきたのだから、今後はアメリカのために死ねるよな、命を投げ出せるよな」ということを今から突きつけられるのではないですか。
 米軍は、火力としては世界最強で情報力もありますが、イラク戦争やアフガン戦争では勝てなかった。それはなぜか―。相手をいくら火力で圧倒したとしても、最終的には大量の兵士を上陸させて、「面」で制圧しなければ勝ち切れないからでしょう。でも、それをやろうとすると大勢の戦死者が出ます。アメリカの国内世論はそれに耐えられないし、指導者も耐えられない。つまり、自国の兵隊を大勢殺すような戦争はできなくなっているわけです。しかし、もしも中国との対決ということになったら、犠牲を避けられない局面も出てくるでしょう。そうなった場合には、誰かに死んでもらわなければならない。誰に死んでもらうのか、となったときに「日本の利用価値」が最大化するのです。長らく手元に置いておいた”戦利品”というのをこうやって活かすことができるのだ、ということになるのでしょう。
 

私がアメリカの政策当局者であったとしたら、日本という国を心の底から軽蔑します。なぜなら、あらゆる手段を使って、自立した存在であることから逃れようとしているから。自分たちが主体であることから、何とか逃れようとする。天皇制に依拠したように、アメリカと一体となることに日本のあり方を委ねようとするからです。そんな人たちに人間としての尊厳を感じられるでしょうか。そんな人たちの命など、軽んじられるほかないでしょう。

 「対米従属のための対米従属」で延命を図ってきた自民党が、そうした流れの中でどのように振る舞うのかは、すでに自明でしょう。自己保身のためにいくらでも自国民の命を差し出すはずです。自民党を王者とする日本の政治は破減に向かっているということを、私たち一人ひとりがどう自覚していくかが問われていると思います。


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