見出し画像

シリ-ズ「おまえ(ニッポン)はすでに死んでいる 4 原発避難者は棄民か

 「復興五輪」という詭弁を弄したオリンピックが始まって一週間経とうとしている。毎日、メダルの数を報じるメディアや各競技の中継や各選手を応援する画像ばかりがテレビの画面をおおっている。メルトダウンした原発は「アンダー・コントロールにある」と臆面もなく言い切った人物が総理大臣に君臨することを許したわれわれはどのような顔をして、この惨状を眺めていればいいのか?そう思っているところに、この記事を目にした。以下、2021年7月28日付 朝日新聞より引用します。

政治が責務を放置「自主避難」理由に住宅支援奪われた

原発事故避難者 村田 弘(ひろむ)さん1942年生まれ。2003年に新聞社を退職後に故郷の福島県に移住した。原発事故被害者団体連絡会(ひだんれん)幹事。福島原発かながわ訴訟原告団長。

 この夏、コロナ禍を押して開催されている「復興五輪」のさなか、首都圏に暮らす福島県からの「自主避難者」が住まいを追われようとしている。福島からの県外避難者は少なくとも約2万8千人。自主避難者は、その約半数を占めるという。「棄民は許されない」と訴える原発事故避難者の村田弘さんに聞いた。

  政府が「復興五輪」と名付けた東京五輪が始まりました。

「ほとんど関心を持っていない、というのが正直なところです。震災以降の10年で、僕には過去2回の夏季五輪の記憶はほとんどありません。最初の2年ほどは錯乱状態でしたし、それからも生きることに必死で、目を向ける余裕はありませんでした」
 「そもそも『復興五輪』なんて詭弁です。原発避難者はまだ全国各地に避難したままで、事故処理の見通しも立だない。それなのに政権は『原発事故の被害は軽かった』と世界に発信したい。その総仕上げがこの五輪です」
 「2013年の招致演説で当時の安倍晋三首相は『福島はコントロール出来ている』と言い、さらに『健康の問題は今までも現在も、将来もない』と断言した。実際は県の検査で子どもたちに甲状腺がんが見つかり、大量の汚染水が海に流れ、問題だらけでした」
ご自身は、移住先の南相馬市で被災なさったそうですね。
 「はい、東京電力福島第一原発から約16kmの南相馬市小高区で被災しました。妻と子猫と、着の身着のままで情報も無く逃げ惑い、最終的には次女を頻って神奈川県にたどり着いたんです」
 「あのとき68歳僕たちは78歳を過ぎ、妻は認知症が進んでいる。退職後、田舎で余生を過ごすはずだったのに、人生を破壊されてしまいました。そして僕たちよりもさらに悲惨な暮らしを強いられ、悔しい思いでいる被災者だちが、全国にたくさんいます」
      ■  ■
  復興庁によれば、福島県外への避難者は今も全国に約2万8千人いるそうです。その約半数が避難指示区域外からの「自主避難者」と呼ばれる避難者です
 「この『自主避難』という表現に、当事者は強い拒否感を持っています。『避難指示区域』の線引き自体、行政による一方的な区別であり、『勝手に避難した』という意味合いが込められている。しかし放射線被害から逃れるための正当な避難であり、勝手な判断によるものではありません」
 「僕の地域は『避難指示区域』だったので『自主避難者』ではなかった。しかし16年7月に避難指示が解除され、指示の有無を物差しにする国や東電からは『自主避難者』ということになり、賠償や住宅無償提供が打ち切られました。しかし自宅は今も放射性物質で汚染され、雨どい下の地面からは年間28ミリの線量が計測されます。帰りたくても、帰れない」
  避難者の数は、実際にはもっと多いといわれています。
 「国が正確な数字を把握できないなんて不思議ですよね。10年前には国は『避難者』の定義すら出来ていなかった。14年になって、やっと復興庁が『東日本大震災で住居の移転を行い、前の住居に戻る意思を有する者』という定義を都道府県に通知したぐらいです」
 「復興庁の発表値は各都道府県の報告をとりまとめるだけです。福島県で事故直後の避難者数と帰還した人数を比べると、5万人以上がまだ避難中という計算もあります。行政に認識されない限り、支援もケアも受けられない。国による棄民ですよ」
 棄民ですか。辞書には「国家の保護から切り離された人々」とあります。
 「だってそうですよ。国策で進められてきた原発が事故を起こし、それから国民の身をどう守るかが最大の問題のはずです。しかし現実には、身の安全が保証されない線量を基準に住めと言われる。子を守りたい一心だった母子避難者ですら放置されている」
 「生活の基盤である住宅支援も徐々に奪われました。災害救助法の適用で『応急仮設』として無償提供された住宅も、17年に避難指示区域外からの避難者への提供が打ち切られたのに始まり、昨年3月末には、帰還困難区域からの一部の原発事故避難者も打ち切られました」
 「住まいを追われたことに絶望し、自ら命を絶った人もいます。最近では、東京の東雲住宅など首都圏にある国家公務員宿舎に避難している人々に対する、福島県の対応が大問題になっています」
  どんな対応なのですか?
 「国家公務員宿舎を仮設住宅として利用する制度が17年に終了し、福島県は緩和措置として、居住者が通常賃料を払う条件で2年間の利用延長を認めました。しかし、それでも転居できなかった避難者がいます。県はこのうち34世帯に19年4月から、通常の2倍の家賃を請求し始めたのです」
 「昨年末には避難者の親族に対して『退去させろ。さもなくば訴える』という趣旨の文書を送りつけ、一部には戸別訪問までしました。さらにこの6月には、居住者のもとに、県から再度の明け渡し請求が届けられています」
 「今日を生きることで精いっぱいな被災者に『出て行け。さもなくは訴えるぞ』です。親族を訪ねた県職員の中には、『立派な家があるじゃないですか』と言い放った者もいたそうです」
本人の承諾なしでの親族照会は、行政手続き上の「禁じ手」のはずですが。
 「ある人など、10年で悪化した親族との関係性にさらに亀裂が入ってしまった。対象には生活保護世帯も含まれていて、親族にその情報が伝わってしまい、絶望的な思いでいる人もいる。これが行政のすることなのかと、はらわたが煮えくりかえる思いです」
 「自力で生活再建を果たした人たちがたくさんいることは紛れもない事実です。しかし原発事故によって人生が根底から崩壊してしまった人たちもいる。国家公務員宿舎に残っているのは、そんなぎりぎりの人たちです。昨年春にはこの件とは別に、4世帯が県に提訴されました。だから当事者団体として、県に『向き合い方を考えて欲しい』と訴えていますが、『正当な業務執行』の一点張りで、取り合っていただけない」
     ■  ■
  福島県としては「被災者に寄り添い、転居に必要な支援を続けてきた」という立場です。
  「彼らの立場ではそうかもしれない。しかし例えば『住宅相談会』と称する場に行くと、首都圏の賃貸住宅をあっせんする不動産業者に引き合わせただけ。避難先で何とか見つけた仕事との兼ね合いや本人や家族の心身の不調のこと、子どもたちの教育のことなど、転居出来ない事情を勘案してはくれませんでした」
 「転居先として都営住宅を薦められて応募したものの、世帯要件が『18歳未満の子ども3人以上を育てる多子世帯』などと厳しく、10回近く落選している人もいます。対応は、避難先の自治体によって濃淡がある。自然災害に対応するための災害救助法だけを根拠に、その場しのぎの避難先しか確保しなかった政策のツケですよ」
  12年に成立した「原発事故子ども・被災者支援法」には「避難先での住まいの確保の施策は、国の責務」とありますが。
 「あの法律にはまっとうなことが書いてあるんですがね。『被曝を避ける権利』を基本理念にし、居住、避難、帰還のどれを選んでも、住まいや医療、就業に至るまで国の支援を保証すべきとしている。ところが、政治の『風景』が悪すぎた。政治家たちも、法の成立までは原発事故の深刻さに向き合おうとしていたのに、実行に必要な基本方針の策定が1年以上も放置されたうえ当時の安倍政権に骨抜きにされてしまった」
  「復興五輪」が終わると秋には総選挙です。原発避難者を巡る状況は、少しでも変わりますか。
 「僕たちがこの世を去っても汚染水は流れ続け、廃炉の問題もなかなか片付かないでしょう。しかしそうした状況に、社会が忍従し続けるとは思えません。今は僕たちだけが孤立してしまっているけれど、ひとごとではなくなる時がくる。長期的には変わらざるを得ないと思います」

今井 照さん

生活再建支援ではなく賠償を

地方自治総合研究所・主任研究員 今井照(いまい あきら)さん
 1953年生まれ。元福島大学教授。専門は自治体政策。避難者調査を続け「原発避難者『心の軌跡』」出版。

 「復興五輪」は最初からフィクションでした。この10年、国は原発事故処理に必要な法整備や「次」に備える制度づくりが十分ではありませんでした。例えば「廃炉法」は今もって存在しない。廃炉の定義がないので、国がいつでも「はい、これで廃炉は完了」と言えてしまう状態です。
 原発事故避難は、避難が広域に及び期間が長期化し、避難者数は大量になる。その特徴を踏まえれば、まず避難元と避難先の2拠点居住の権利、つまり避難する権利を「個人の権利」としてしっかり法制化する必要があった。その上で、住宅再建を柱とする支援法を整備するべきでした。
 自然災害を想定した災害救助法は国が被災者を「支援」するしくみですが、原発事故は人為的な災害なので、被災者は「賠償」で元の生活を取り戻すのが大原則です。特に住宅再建は喫緊の課題ですから、まずは国が被災者の住宅を再建して、その経費を事故の加害者に求償する法制度が必要だった。それを自然災害と同様に処理しようとするから、国家公務員宿舎の退去問題のように事態が泥沼化するのです。
 賠償のしくみが整わず、国の原子力損害賠償紛争解決センターも機能しなかったので、被災渚個人が東京電力という大企業と対峙しなくてはならなかった。今も各地で原発避難者による損害賠償請求訴訟が続いていますが、適切な賠償の構図があれば、簡便で早期の解決があったはずです。
 そして何より被災者の多くが不安に思うのは健康問題です。初期被曝の影響を心配する人たちに対して、検査費用や被曝の影響と思われる症状が出た場合の治療費を生涯にわたって国が保証する法整備も必要です。
 昨年あたりから、福島県を筆頭に国や自治体は外から住民を呼び込む移住政策を強調し始めましたが、本末転倒です。本来「復興」とは、地域空間を建物や移住者で埋めることではなく、被災した個々人の生活が再建されること。避難先での生活も含まれます。
 そもそも原発事故の当事者は福島の人たちだけではなく、国民全体のはずです。いま我々が直面するコロナ禍と同様に誰もが当事者という認識があれば、「復興五輪」というフィクションは生まれなかったはずです。
                     (聞き手・ともに浜田奈美)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?