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加谷珪一 『貧乏国ニッポン ますます転落する国でどう生きるか』を読む 現在の「値上げ大国」はどこへ行くのかが、ある程度わかる本だと思う 1

 毎日、すべてのモノが値上げされるというニュースが続いている。これは決してロシアのウクライナ侵攻が理由ではない。そもそも、「コロナ」によって世界の物流が大停滞しているのと、サウジを始めとする産油国が非米化しているからだ。つまり、覇権国としてのアメリカの原油増産要請をサウジおよび他の産油国が、拒否しているからだ。経済のことは素人の私にもわかるように現在のニッポンが置かれている状況を教えてくれる高著だとおもう。それにはまず、ニッポン人が抱いている「日本は世界第三位の経済大国」という幻想を捨てろと筆者は言う。そのあたりを紹介したい。

第3章 なぜここまで安くなってしまったのか

「昭和モデルから脱却できない日本企業」

 物価や景気に対する誤った理解という点では、「デフレは諸悪の根源」「デフレ脱却しか日本経済復活の道はない」というスローガンも似たようなものでしょう。
 不景気とデフレというのは、ニワトリとタマゴの関係ですから、デフレになるとさらに物価が下がってモノが売れなくなり、これがさらに景気を低迷させるという作用をもたらします。したがって、デフレは諸悪の根源であるという主張は完全な誤りではありませんが、正しい認識とまでは言えません。
 デフレというのは、物価が下がり、逆に貨幣の価値が上がる現象のことを指しています。物価がどのようなメカニズムで決定されるのかについては次章で詳しく解説しますが、景気が悪い時には物価は下がりやすいですから、不景気とデフレはたいていの場合、セットになっています。したがって、不景気を脱却できれば、デフレからインフレにシフトするだろうという予想が成り立ちます。
 しかしながら、デフレから脱却したところで、必ず経済が成長するとは限りません。経済が成長しないまま物価だけが上がるというケースも士分に考えられ圭すから、デフレを脱却することが、そのまま景気の拡大にはつながらないのです。
 物価動向はともかく、まずは経済を回復させることが重要であって、物価上昇はその結果として得られるものです。したがって、デフレさえ克服すれば何とかなるというのは、因果関係が逆と考えるべきでしょう。
 もっとも、量的緩和策というのは、あえて大量のマネーを供給し、市中にインフレ期待を発生させようという政策です。インフレが発生する、つまり物価が上がると多くの人が予想した場合、株価や不動産価格が上昇し、資産効果から消費が増える可能性が高まります。また物価が上昇すると、名目金利から物価上昇率を差し引いた実質金利か低下するので、これが企業の設備投資を拡大させるという作用も期待できます。
  ケインズ経済学の分野では、貨幣の供給量が大きく変わらなかった場合、物価が需要供給に影響を及ぼすメカニズムが説明されていますし、実際、インフレを誘発することが景気拡大のきっかけになる場合もあります。
 しかしながら、根源的な話としては、経済の動きが物価を決定するのであって、物価が経済を動かすことはないと考えた方がよいでしょう。
 では、なぜデフレさえ克服すれば、経済が復活するという少々、短絡的な話が拡散する結果となったのでしょうか。筆者は、長年の景気の低迷がもたらした一種の心理的作用ではないかと考えています。
 日本経済はバブル崩壊以降、30年にわたって、景気回復のきっかけをつかめないまま推移してきました。
 こうした状況に対して日本政府は、公共事業を拡大するというケインズ的な財政政策を実施し圭した。1990年代には10兆円規模の公共事業が何度も行われ圭したが、目立った成果を上げることができず、膨大な政府債務を残す結果となりました。財政出動に特に積極的だった小渕政権の成立以後、国債の発行額が急増し、250兆円程度だった国債発行残高は約20年で900兆円に迫る水準まで拡大しています。
 巨額の公共事業を実施しても効果が得られないのは、日本経済の仕組みそのものが制度疲労を起こしており、従来の公共事業では十分な乗数効果が得られなかったことが原因であるとの声が大きくなってきました。
 こうした状況を受けて登場してきたのが、小泉政権が掲げた構造改革路線です。
 これは大胆な規制緩和を実施することで、日本経済の根本的な仕組みを改革し、自律的に経済を成長させようという試みです。この手法は1980年代に米国のレーガン政権が導入したもので、企業の競争力を強化して生産力を高めるという観点から、サプライサイド(供給サイド)の経済政策と呼ばれます。
 しかしながら、一連の構造改革には相当の痛みが伴います。このため国民の一部から猛反発を受け、改革は思うように進みませんでした。その結果、中途半端に規制緩和を実施する形となり、大量の非正規社員を生み出すなど、弊害ばかりが目立つ形でこの政策も頓挫してし圭ったのです。
 その後誕生した民主党政権は、「コンクリートから人へ」というスローガンを掲げ、公共事業からの脱却を試みましたが、それ以外には目立った経済政策を立案できず、再び自民党に政権の座を譲っています。
 その後、登場したアベノミクスでは、金融政策の一種である量的緩和策が中核的な政策として掲げられましたが、これは、ケインズ的な財政政策もサプライサイド的な構造改革もうまくいかなかったという流れで出てきた政策であり、実質的にそれしか選択肢がないという状況でした。
 このため、政権側にも国民の側にも、何とか量的緩和策によって日本経済が復活してほしいという願望が生まれ、それが「デフレ脱却しか道はない」といった極端な価値観につながっていったものと思われます。
 しかしながら、日本経済が低迷から脱却できない最大の理由は、日本企業のビジネスモデルが薄利多売をペースにした昭和型の形態から脱却できておらず、競争力が低いままで推移していることですから、これは経済政策だけでどうにかなるものではありません。
 実は量的緩和策を実施する直前にも、企業の経営体質を変えないまま量的緩和策を実施しても、これまでの経済政策と同様、十分な効果を上げない可能性が高いという指摘は一部から出ていましたが、「これしかない」といった感情的で声高な主張にかき消され、顧みられることはありませんでした。

今すぐ捨てるべきこ日本は大国に幻想

 一連の事例からも分かるように、長期にわたる景気低迷は、人々のマインドに悪い影響を与え、これがさらに社会の雰囲気を悪くし、問題解決を遅らせています。筆者は、近年、何かと問題になっているネット上での誹誇中傷といった出来事についても、経済の悪化が関係しているのではないかと考えています。
 筆者はこれまで何度も、メディアに寄稿した記事やインタビューなどで「日本経済は基本的に成長できておらず、諸外国の物価上昇を考慮すると、実質的にマイナス成長に近い」と説明してきました。これは事実なので、状況を改善するためには、この事実をしっかりと受け止め、対応策を考えなければなりません。
 しかしながら、これまでの日本社会の反応はむしろ逆でした。
 最近はだいぶ落ち着いてきたのですが、残念なことに、こうした主張を行うと、一部の読者や視聴者から「反目」「国賊」など聞くに堪えない誹誇中傷を受けるというのが日常でした。
 こうした過激な言動を行う人たちは全体のごく一部ではありますが、それでも束になれば引当なインパクトとなります。筆者自身は慣れましたのでどうということはありませんが、それでも、過激な誹諧中傷がコメント欄に何百と並ぶのを見ると、この国は本当に大丈夫だろうか、と半ば絶望的な気分になってしまいます。
 一方で、こうした現実を無視し、日本について無条件に「スゴい」と持ち上げる論調の言論に対しては多くの支持やPV(ページビュー)が集まります。新聞やテレビ、雑誌など各種媒体はボランティアで運営しているわけではなく、あくまで営利事業ですから、仮に事実と異なる内容であっても、人気の取れる記事を優先する結果になりがちです。
 筆者は独立した立場で言論活動を行っていますから、仮に事実に基づいた主張によって批判を浴びても、持論を撤回するつもりは毛頭ありませんし、その覚悟もできています。しかしながらマスメディアの仕事に従事している人の多くは一般的なサラリーマンですから、これだけの誹誇中傷を受けてし決うと、たいていの人は精神的な負担に耐えられません。結果的に不都合な真実について言及する記事は少なくなってしまうのです。
 こうした誹謗中傷を行う人たちは、日本は常に豊かで美しく、そして力強く成長しているのだと説明しないと納得しないようなのですが、これは一種の自己防衛反応からくる幻想であると分析することができます。
 それなりの規模を持つ国家が、30年近くにわたって景気の低迷から脱却できないというのは現代社会ではかなりの異常事態であり、その意味では、日本経済は他国が経験したことがない苦境に陥っていると解釈することも可能です。これだけ厳しい環境に長年、据え置かれてし圭うと、一部の人の気持ちが激しく荒んでし圭うのも無理はないでしょう。経済を豊かにするということは、お金の問題だけではないということがこの事例からもよく理解できると思います。

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