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「私たちの信仰」と「私の信仰」

2022年10月2日(日)徳島北教会 世界聖餐日礼拝 説き明かし
出エジプト記12章21~28節(旧約聖書・新共同訳p.112、聖書協会共同訳p.104)
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最後に動画へのリンクもあります。「読むより聴くほうがいい」という方は、そちらもどうぞ。

十の災い

今日は実は「世界聖餐日礼拝」です。教会の暦では、毎年10月第1日曜日は「世界聖餐日」となっています。
 世界聖餐日というのは、第2次世界大戦が始まる直前に北米キリスト教教会連盟というところから提唱された記念日で、第2次大戦が終わったあとは、世界教会協議会(WCC)という組織が改めて提唱し、これを受けて日本キリスト教協議会(NCC)を通じて、日本のキリスト教会にも広まりました。
 私の手元にある説明では、「異なる文化・経済・政治の状況にあってなお、世界の教会がキリストのからだと血を分かち合うことを通し、主にあって一つであることを自覚し、お互いが抱える課題を担い合う決意を新たにする日」とあります。
 徳島北教会では通常、第1日曜日ではなく第3日曜日に聖餐式を行っていますけれども、今日は世界的にキリスト教会では世界聖餐日となっておりますので、聖餐に関わるお話をしようと思います。
 今日もちゃんと聖書日課から取ってまいりました、聖書の箇所は旧約聖書の出エジプト記12章の21から28節です。
 ここは、過越(すぎこし)のいけにえを献げる場面で、それがユダヤ人の「過越祭(すぎこしさい)」という祭の起源なんだよということを伝えようとしている場面です。
 過越の「過越」というのは、主(すなわちイスラエルという民族の神さまである「ヤハウェ」のことですが)、このヤハウェ、あるいはヤハウェが遣わした「滅ぼす者」と呼ばれる霊が通り過ぎてゆく。過ぎ越してゆく。そのことを指しています。
 ヘブライ人の家は通り過ぎてゆくのですが、エジプト人の家には入り込んで、そこの初子(つまり最初の子、すなわち長男)、それはその家の主人の長男であれ、女奴隷の長男であれ、そして家畜の初子にいたるまで、全ての初子の命を奪っていきます(出エジプト11.5)。
 なぜヤハウェはそういうことをするのかというと、ヤハウェの民イスラエルが、エジプトで奴隷にされていたところに、エジプト人を痛めつけてイスラエルを解放するためです。
 イスラエルにはモーセというリーダーが立てられまして、このモーセを通じてヤハウェはお告げを、民やファラオ(エジプトの王さま)に伝えます。
 モーセは「私たちを解放しろ」と要求しますが、ファラオは取り合いません。そこで、ヤハウェがエジプトに災いを下すということになってしまったわけですね。この災いのことを「十の災い」といいます。
 この災いは、最初はナイル川の水が血に変わってしまうことから始まります。それに続いて順番に言いますと、蛙の大発生、ぶよの大発生、あぶの大発生、疫病が流行し、腫れ物がはやり、生えている木が全て砕かれてしまうような雹が降ってきたり、バッタが大発生したり、暗闇がエジプト全土を3日間覆って、何も見えなくなってしまったり……ここまで9つ言いました。
 このような災いが起こるたびにファラオは後悔し、モーセに赦しを請うので、一旦は災いが退くんですけれども、災いが収まるとまたファラオは心をかたくなにして、イスラエルを解放しない。それで、とうとう災いは10個目に到達します。

過越の儀式

最後の10個目の災いは、先程も申しましたように、エジプト中の初子を皆殺しにするというものです。夜の間にヤハウェがエジプトを行き巡り、人間と全ての家畜の初子の命を奪います。
 その際、イスラエルの家はヤハウェが過ぎ越してゆくように、家の前に印をつけて、「ここはイスラエルが住んでいる家ですよ」というマークをつけます。それが小羊の血です。
 12章の最初の方に書いてありますけれども、その災いが起こされる日の夕暮れ、小羊を1匹選んで、これを屠り(おそらく喉を刃物で切り)、血を抜きます。その血を平らな鉢に入れて、ヒソプという一種のハーブですね、これを刷毛のようにして、家の入口の鴨居と両側の柱に塗りなさいと、ヤハウェはモーセを通じて指示します。
 こうやって入口に小羊の血が塗られた、つまり目印のある家はヤハウェが過ぎ越し、命は奪われない。それ以外の全ての初子の命がヤハウェによって奪われ、それはファラオの一人息子も例外ではなかったんですね。
 それで結果的には、ファラオは自分の後継ぎを失ったショックからか、ついにイスラエルがエジプトを出てゆくことを許します。それでイスラエルは解放される。その解放の記念日が「過越の祭」、「過越祭」というわけなんですね。そして、古代のイスラエル人はこの小羊を屠って、その血を玄関に塗ったり、決められた食事を食べたりしてお祝いしていたわけです。
 さすがに現代のユダヤ人は、羊の血を玄関に塗ったりするようなことはしませんけれども、「過越の食事」という特別なメニューを用意して、お祝いをしたりします。小羊の血を表す赤ワイン、小羊の骨付き肉、荒れ野で放浪した時のつらさを思い起こすための、苦菜と呼ばれる野菜、そして、急いで夜中に逃げるために発酵させないで焼いた、酵母のないパン、つまり種なしパンなどです。
 そして、今日お読みした箇所で、出エジプト記12章の26節に「あなたたちの子供が、『この儀式にはどういう意味があるのですか』と尋ねるときは、こう答えなさい。『これが主の過越の犠牲である。主が(つまりヤハウェが)エジプト人を撃たれたとき、エジプトにいたイスラエルの人々の家を過ぎ越し、我々の家を救われたのである』と。」(12.26−27)
 このあたりは、物語の中に編集した人が付け加えた言葉だろうと言われています。物語があって、それに注釈をつけるように、「子どもたちにはこの儀式の意味をこのように教えなさい」という言葉が付け加えられているんですね。それで、ユダヤ人はこの言葉に従って、代々子どもたちに、過越祭の意味を語り伝えるようにしているわけです。

神観・神解釈の違い

しかし、こういう物語を読むと、ヤハウェというのは何という恐ろしい神さまかと思われても仕方がない面がありますね。10種類もの災いでエジプト人を苦しめて、最後の災いではエジプト中の子どもの1人を、人間から家畜に至るまで全て殺し尽くすと。
 もちろんエジプトが一方的に被害者かというと、そういうわけでもありません。こういう事が起こる前に、エジプトの方もイスラエル人奴隷の人口が増えすぎて、反乱を起こしてはいかんからという理由で、イスラエル中の男の子の赤ん坊を皆殺しにするんですね。この赤ん坊の大虐殺から運良く命拾いをしたのが、先程出てきたモーセです。
 ヤハウェによる初子の皆殺しというのは、このエジプトによるイスラエルの赤ん坊の大虐殺に対する報復とも言えるんですね。ですから、ファラオとヤハウェはどっちもどっち。お互いに血なまぐさい戦いを繰り広げているわけです。
 それで、このヤハウェというのが、最終的には私たちが礼拝している神さまと同じ神さまということになっているんですが、そんなことがにわかに信じられますでしょうか?
 こういうケースを見ますと私などは、「本当に人間というのは仕方ないなぁ」と思ってしまいます。「本当に人間というのは、自分たちに都合の良いように『神さまはこういうことをなさったのだ』と言い、物語を作り、儀式を営んでゆくのだなぁ」と思わされます。
 ある種のクリスチャンの方々は、ここで自分たちをイスラエルと同一化して、イスラエル側に立って「ヤハウェが私たちの味方になってくださるのだ」と考えたりもするようです。
 旧約聖書はもちろんイスラエルが主人公ですし、神さまがイスラエルを守ってくださるのだから、私たち聖書を信じるクリスチャンも新しいイスラエルとして神さまに守られているのだ、と考える人たちもいます。
 しかし、私はそのように無邪気にはなれないのですね。ヤハウェとイスラエルの側から見れば、そういう見方もできるかも知れないけれど、逆にエジプト人から見れば、イスラエルとヤハウェというのは、10倍返しで報復をする恐ろしい奴らだということになります。
 もし、神さまが世界・人類を愛する神さまだとしたら、エジプト人をも愛するはずだと、現代人の私は考えてしまいます。そうすると、かつてのイスラエルの民と私とは、同じ神さまを拝んでいると言えるのかどうか。疑問を抱いてしまいますね。
 少なくとも、「神はどんなお方か」という認識の仕方は全く違ってしまっています。同じ神さまかどうかはともかく、神さまについての見方、考え方、解釈が全く違っているということは確かです。

新しい過越

ところがイエスは、この過越に全く新しい意味を与えました。つまり、「神はどんなお方か」という認識、解釈、意味付けを全く変えてしまったんですね。
 イエスは、自分が敵の手に渡される前の最後の夕食(最後の晩餐)。その食事の場でパンを取って、「これは多くの人のために引き裂かれる自分の体だ」と言いました。そしてぶどう酒についても、「これは多くの人のために流される自分の血だ」と言いました。
 もともとユダヤ人の間では、自分たちの初子の代わりのものだとして小羊を生贄として殺していたのに、そうではなく「実は殺されるのは私自身なのだ」と言ったわけです。
 自分が生贄となる……。
 生贄というのは、死ぬべき存在であった人間から、身代金のようなもの、あるいは保釈金のようなものをして支払われて、人間をこちらに買い戻すという役割を持つものとして考えられてきました。ですから、人間が自分の罪の罰として受けるべき災いを、人間の代わりとなる動物に負ってもらうということで、「どうぞ」とその動物を生贄として献げてきたわけです。
 ところが、イエス様は「自分が生贄になる」とおっしゃるわけです。ここで、過越の食事で表されていた生贄の意味がガラッと変わってしまいます。
 つまり、それまでの過越というのは、エジプトをやっつけてくれたヤハウェに感謝し、ユダヤ人のアイデンティティを確かめ、誇りを高める祭だったのが、イエスにおいては、どこの民族が敵であり、味方であるという問題ではなく、「多くの人のために肉体を裂かれ、多くの人のために血を流される」、つまり「多くの人」すなわち「全ての人」を買い戻すために自分を生贄として献げるという意味に置き換えられてしまうわけです。
 神さまに背を向けた生き方をしている人間の罪に対して、その罰を受けるべき人間に代わって動物に血を流してもらっていたのを、今度はイエスという人間が血を流すことによって、もうこれで十分だろう、これで生贄を献げる必要はないと思い知らされた。これによって神さまと人間は和解した。それがイエスによる新しい過越の理解です。

あなた自身はどうなのか

そして、このイエスがもたらした信仰の変化は、「私たちの神さま」から「私の神さま」への変化でもあろうかと私は感じています。
 過越祭で祝われる神さまはイスラエル人、現代で言うユダヤ人の「民の神さま」です。つまり、彼らにとっては「私たちの神」です。
 民族全体で、また家族で一体となって神を崇めるという集団的な信仰。これは、集団をまとめる絆や秩序の役割も果たし、その民族全体の生き方を方向づけるものです。そこでは個人の個性的な信仰などは必要とされませんし、逆に秩序を乱すものとして嫌われます。
 これに対して、たとえば私などは「私の信仰」という感覚が強いです。信仰は私個人のものという考え方をしていて、これはユダヤ人の信仰とはかなりかけ離れたものだなと感じます。
 これは、おそらく自分が「信仰は個人のものである」という認識が定着している今のような時代と社会に生きているから、その影響を受けているからでしょうけれど、それと同時に、やっぱりこれはイエスの影響という側面もあると思っています。
 イエスはユダヤ人であり、ヤハウェを信じる人でしたけれども、民全体としてのイスラエルのためというよりも、一人ひとりの信仰を問うような態度で癒しや教えを行っているように見えます。
 特に病気を治したりする場面では、一人ひとりの病人とイエスの間のやり取りの中で、癒しが行われます。「あなたの信仰があなたを救った」という言葉も残されていますよね。
 信仰についての教えも、民全体の救いのための信仰を教えるというよりは、もっぱら「あなた自身の信仰はどうなのか」と問いかけるような形のものが多いように感じます。

個人主義的なイエス

たとえばマタイによる福音書の5章から7章にかけての、いわゆる「山上の説教」と呼ばれるところを読んでゆくと、たしかに「あなたがたも聞いているとおり、何々と命じられている。しかし、私は言っておく……」という風な言い回しが何度も繰り返されています。
 ここでは、「あなたがた」という複数の人びとに語る形を取ってはいますけれども、そこでイエスが命じているのは、「きょうだいに腹を立てるな。兄弟に『馬鹿』と言うな」とか(マタイ5.22)、「情欲を抱いて女を見るものは誰でも、既に心の中で姦淫を犯したのだ」とか(5.28)、「一切誓ってはならない」とか(5.34)、誰かがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい」とか(5.39)。
 他にも「見てもらおうとして、人の前で善行をしないように注意しなさい」とか(6.1)とか、「祈る時は奥の部屋に入って戸を閉め、隠れた所におられるあなたの父に祈りなさい」など、イエスの教えには、個人としての生き方、倫理や信仰のあり方を問うものが多いんですね。
 そして、それらの言葉は、たしかにユダヤ人の生き方そのものである「律法」という掟を基にはしていますが、イエスは伝統を遵守するという人ではなく、それをイエス独特のやり方で解釈して教えていますから、ユダヤ人の集団的な宗教からちょっと逸脱してしまっているところがあります。
 律法を守るときも自分の解釈で、たとえば「隣人を愛せ」と言われているのに、「敵でも愛せ」とか、「殺してはならない」と言われているのに、「馬鹿と言ってもダメだ」とか、えらい拡大解釈をしたりしますし、時と場合によっては安息日の掟を破ってしまっても、「人のために安息日があるのか、安息日のために人があるのか」と開き直ったり。かなり個性が強い律法解釈をするので、もともとのユダヤ人的な信仰に基づいた安息日の慣習もぶっ壊してしまっている。
 つまり、イエス自身がかなり個人主義的であったと言えるわけです。
 これに対して、イエスより後のたとえばパウロなどの手紙を読むと、個人の倫理についての話が全く無いわけではありませんけれども、それよりは教会という集団全体のことを念頭に置いて、ものを言っているという印象が強くなります。つまり集団的な信仰のあり方を説く形に戻っていっているわけです。
 ですから、イエスより前のユダヤ教は集団的な信仰、イエスよりも後のキリスト教会も集団的な信仰。これに対して、イエスだけが非常に個人主義的な信仰でもって突出していたと言えると思います。

「私の信仰」と「私たちの信仰」

あるいは、イエスが徹底的に「私の信仰」という視点から信仰を掘り下げたのに対して、後に続くパウロたちが、そうやって掘り下げられた「私の信仰」を突き詰めた者たちが集まって、再び新しい「私たちの信仰」を作り上げていこうとしたのではないかと考えることもできるのではないでしょうか。
 言い換えると、「私の信仰」というものを掘り下げた人でないと、新しい「私たちの信仰」を作り上げることはできないのではないでしょうか。
 最初に私は、世界聖餐日とは、「異なる文化・経済・政治の状況にあってなお、世界の教会がキリストのからだと血を分かち合うことを通し、主にあって一つであることを自覚し、お互いが抱える課題を担い合う決意を新たにする日」だとご説明しました。
 1つの民族のアイデンティティを確立する日だった過越の食事が、一旦イエスによって解体され、新しい意味づけを与えられました。そしてイエスが私たちに突きつけたのは、「あなたが神さまから離れてしまっている、すなわち『罪』の状況から、そんなあなたを取り戻すために私が生贄になったのだ。あとはあなた自身がどう神さまと関わりを再び結び合うのかなんだよ」ということなのだろうと思います。
 かつては、「私たちの信仰」以外の者は、敵でしかありませんでした。しかし、今の我々の「私たちの信仰」は、「私」という個人と神との関係がきちんと結び合わせられた人間たちによって、改めて作り上げられてゆくものではないかと思います。
 みなさんはいかがお考えになりますでしょうか。「私の信仰」と「私たちの信仰」はどのように関連づけられていますでしょうか。このあと続く分かち合いで、皆さんの思いをお聴きできればと思います。
 祈りましょう。

祈り

 私たちを造り、この世に送り出してくださった神さま。
 今日ここに、会堂とそれぞれの場所に散りながらも、こうしてひとつの礼拝を守ることができます恵みを感謝いたします。
 私たちは、それぞれの個人の信仰と、私たち共同の信仰の両方を持ち合わせていると思います。
 各々のあなたを信じようとする気持ちを大切にしつつ、独りよがりになるのではなく、自分以外の人の信仰をも認め合うことができますように。そして、互いに認め合う者が、より大きな共同の信仰が持てるようにと導いてくださいますように。
 世界の人が1つとなって平和を作り出すことを願って、世界聖餐日は広められました。しかし、今も地上は戦争に満ちあふれています。
 どうか、神さまこのような私たちの過ちをお赦しください。
 私たちがこれ以上イエス様のような犠牲を出さないように、私たちをとどまらせて下さい。
 私たちを失望から救い出してください。そして、ひとりひとりの信仰を、この世の全ての人と共に生きてゆくための力とさせてください。そうやってこの先1週間を生きてゆく力を与えてください。
 ここに集うひとりひとりの願いと合わせ、イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。


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