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『イコライザー』『イコライザー2』(The Equalizer, The Equalizer 2)2014, 2018

 1作目の『イコライザー』があまりに面白かったので、続けざまに『2』も観た。
 イコライザーという言葉の意味は2つあり、均衡を保つ人や装置、システムといった意味。もう1つは刃物や銃器など致命的なダメージを与える武器を指す俗語として使われることもあるという(Google 検索より)。歪んでしまった世の中を、少しでも正義の方向に(暴力的に)正すという意味で、主人公の役割を表しているのかもしれない。
 アクション映画として痛快な作品だが、それについてのレビューは他の人に任せておくとして、筆者は「過去と人間」というテーマをこの2つの作品から読み取ったので、その話をしようと思う。
 主人公であるイコライザーすなわちロバート・マッコールは、過去に生きている人物である。
 彼は、亡くなった妻(死因は明らかにされていない)との思い出の中に生きている。彼は、妻が「読むべき100冊」という読書リストによって本を読み続けており、もう少しで100冊を達成する前に亡くなったために、自分もその100冊を読み切ろうとしている。彼の読書は、妻の人生を追体験しようとする悲しい試みなのだ。
 また彼は、元CIAの工作員という過去を完全に消し去ることができず、再び殺しの世界に入ってゆく。もちろん、殺しの目的は違う。今度は過去の罪を償う意味も含めて、苦悩する人を助けるのが目的だ。しかしその手法は、過去に彼が積み上げてきた殺しのノウハウに基づいている。彼は完全に生まれ変わったわけではなく、過去の連続線上に生きているのだ。
 さらに彼は、かつてCIAで心から信頼していた仲間を殺され、その犯人を探しているうちに、かつての相棒たちと対決することになってしまう。彼の戦いは徹底的に過去の清算に終始している。
 そして、戦い終わった彼は、かつて妻と暮らした海辺の家で、妻の写真と共に、彼女との思い出に浸る。そこで『2』が終わる。美しい過去を引きずり、忌まわしい過去と対決し、訣別し、そして再び美しい過去の思い出へと帰ってゆく。このイコライザーの人生は徹底的に過去に支配されており、未来への志向性は全く描かれていない。一見後ろ向きなようで、実はここにこの作品独特の味わいがある。
 この作品に未来が描かれているとすれば、彼が助ける若者たちである。『1』でも『2』でも、彼は若者を助ける。その若者が、少しでもこの世がマシになってくれるであろう希望を象徴して、物語は一段落する。しかし、イコライザー自身は過去に自分の人生の軸を据えたままで、それは変わらない。
 この主人公には多くの「オヤジ」が共感するのではないかと思う。過去の「栄光」とまでは言わないまでも、過去に自分が積み上げてきた経験や人間関係とどう折り合いをつけるのか。過去の何を自分の中に残し、何を処分するべきなのか、迷わずに生きられる大人がどれくらいいるだろうか。
 主人公マッコール:イコライザーは、この2作を通じて、懸命に自分の過去と落とし前をつけようと奮闘する。その姿は勇ましいが、彼自身が未来に向けて、新しい人生を切り拓こうとする予感は全く描かれない。未来はあくまで若者の手にあり、彼自身は本心では余生を生きていたいのだ。
 このくたびれたオヤジ感にしびれるオヤジは少なくないと思う。未来を見ようとしない人生観には賛否両論あるかもしれないが、いつまでも現役でいるわけにもいかず、かといって窮地に陥る若い者を放っておくわけにもいかず、時々は現役時代のスキルと経験を使って人を助け、事が収まれば再び世捨て人のような人生に戻ってゆく。これがオヤジの美学である。
 昨今の新自由主義的な社会において、いつまでも歳をとることを許さず、現役であることを求める世情は、オヤジには厳しい世の中である。オヤジは適度なところで若者に主役を譲りたいのだが、現実がそれを許さない。そんな憂鬱も、この主人公は代弁してくれる。
 別に未来志向でなくてもいい。過去に生きる人生でもいい。ただ、正義だけを未来を担う若者のために残してやれ。それがこの作品の、オヤジたちへのメッセージであるように思えた。
 そのメッセージは『1』と『2』で完結するので、ぜひ両方続けて鑑賞することをおすすめする。ただし、かなり血生臭い。暴力描写が苦手な人にはおすすめしない。
 『1』『2』で完結した物語と思われるだけに、第3作であり最終章となる『イコライザー・ザ・ファイナル』(2023)を鑑賞するのがとても楽しみだ。

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