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退屈に興奮した話

退屈していませんか?

GWの前半は京阪奈方面を自由気ままに歩き回った。美術館や公園を巡り、時には昼酒を嗜みながら、読書に耽る日々であった。読書スピードは自分にとっては心身の状態を表す良いバロメーターになっており、今は頗る好調なのだろう。いずれ波が来るだろうが、今はこの状態を楽しむとする。

1日1冊くらいのペースで読んでいたのだが、特に興味深かった本が『暇と退屈の倫理学』である。退屈とは仏教用語では求道心が退き屈した状態のことを現わし、倦怠の意味が派生して、現代では暇を持て余すこととして使われている。

さて、仏教では四苦八苦が定められているが、いわゆる現代の退屈を苦として定められていない。退屈の定義が違うのだから当たり前のことではある。私自身はここ最近、暇な時間があって熱中できることがないこと、つまり現代の退屈こそが真の苦しみだとずっと感じていた。仏教的な考えは、苦しみや刺激への反射に対して、いかに自己を律するかという観点では極めて合理的ではあるが、現代の退屈に対しては仏教を精進していれば良いという以上の解が示されていない気がしている。

では、現代の退屈の何が苦しいのか?
この問いに対する答えを言語化することがこれまで出来ていなかった。この一冊は、その言語化に向けたミッシングピースを多数埋めてくれる良著となり興奮を覚えた。暇と退屈について書かれた本で興奮する当たりに、改めて私自身が退屈していたことを実感した。

本著の主流は、ハイデガーの退屈論を中心に展開し、その批判を行った上で、著者独自の考えと対策を述べる形で進行している。本著は始めからじっくり読んだ方が良いという著者の考えがあるため、ここで詳述するつもりはない。また結論だけを話しても、おそらく「はぁ?何言ってるの?」と感じる人も多いように思う。それでも、退屈に困っている方には何かしらのヒントになるかもしれない。

これまで読んだ哲学、人類学、心理学などの書籍で拾ってきた幾つかのキーワード。関係性、幸福、諸行無常、時間、定住、文化、芸術、信仰、テクノロジー、集団浅慮などなど。本著を通して、これらのキーワードと退屈を少し紐づけることが出来た。そして、今回のGWの過ごし方は、図らずも本著で述べられている対策と、概ね一致していたように思う。

本当に人間はややこしい。その複雑さを楽しめたらと思う。


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