響き

あなたはどんな音を響かせますか?

京都芸大教授の大嶋義実氏著書『演奏家が語る音楽の哲学』を読了。哲学書のコーナーをブラブラしていたら、表紙の色合いに興味を覚え手を取ってみた一冊。音楽の本とは思わず、題名だけだと確実に買わなかった本だったと思う。電子書籍が増えて来る時代に、本屋を歩き回る意味を感じる出会いでもあった。

音楽は専門性も知識も全くない。楽譜も読めないし音感も全くない。それでも本著で述べられていた、音楽の普遍性と個別性という話は、非常に興味深く読み進めることができた。

まず、音の連続性について考えたことがなかった。音というのは瞬間的な振動でしかないにも拘らず、人間は音楽として認知できるというのは、改めて考えると驚愕の事実である。そこから色々と繋がりも感じられた。例えば言葉や会話にも同じことが言えること。量子は明滅しているのに人間は連続的に生を実感できること。過去を再解釈したり未来を想像したりして連続する物語を創り上げられること。これらを纏めると、物事の連続性を認知し解釈できることが人間の普遍的な能力なのではないか。そのように感じた次第である。

次に音楽の普遍性の話に関連して、ヒンディー語の与格の話を思い出した。音楽は奏者が違えば異なる響きとなる。確かに巧拙の点では当たり前の話ではある。ただ、極限まで技能を高めたとしても、最後にその奏者から滲み出す精神性が音楽に付随してくる。その奏者の歩んだ人生が楽譜と共創して新たな音楽が産み出される。そんなことを考えていると、ふと、「音楽が奏者に(降りてきて)留まっている」状態というものが思い浮かんだ。これが与格表現として正しいのかは分からないけれど、それでも音楽が人に宿るという状態は個人的にイメージしやすかった部分ではある。

他にも楽器や音楽の歴史など面白い話は多かった。バッハなど著名な音楽家達が、クラヴィコードという楽器で練習や創作をしていたこと、彼らの生きた時代では機械音などがない静寂の環境があったことなど、現代との違いを感じることも出来た。音楽が大衆化される中で、より簡易的に記述でき、大きな音を奏でられる方向で、音楽が普及していったこともなるほどと思ったところである。資本主義で様々なものが価値として値付けされていく中で、音楽にも類似の流れがありつつも、普遍的な価値を守っていきたいというトレードオフの中で、新たな音楽が生まれてくるのかもしれない。

今の時代環境で産み出される音楽にも、きっと普遍的な価値はあるだろう。ただ、忙しさと喧騒の中で漠然と音が消費されるだけだと、その価値に気付くことは出来ないかもしれない。心に余裕を持って、世界に流れる音を楽しむ。そんな人が増えてきたら、心の声が響き合って、平和のオーケストラになるのかもしれない。その第一歩として、まずは自分自身が音を楽しめるように、意識して聴くことを心がけてみたい。

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