51歳、幸せと思っていたが突如虚しくなり、それでもちょっと上向きになってきた話
ある日、ふと気づいた。
私、いつの間にか51歳になってたんだ…、って。
こんなにも時が経ってたなんて我ながら驚いた。どおりで顔のシワは増えるし、白髪染めのペースも短くなるわけだ。
思えばこの二十数年、自分のことなんてそっちのけ。いつも夫や子供達の問題に立ち向かってた。全力で。
割と前向きな性格の私は、問題に気づくと率先して対応する。ありとあらゆる対応策を調べ、この場合どの方法が適しているかといろいろ考え抜き、まじめに取り組んでしまう方だ。
そんな自分を嫌いではなかった。
むしろ誇りに思ってた。
だが下の子がようやく大学生となり、慌ただしさがひと段落した去年あたりから、私の心の状況が変わってきた。
幸せだと感じていたこれまでの人生が、なぜか突然すごく虚しく、味気ないものに感じられたのだ。
「私は今まで何してたんだろ。どんなに家族のためにがむしゃらに生きても、結局自分の心は空っぽじゃない…」
そんなことないはずと頭の片隅で思っていても、水に濡らした和紙に垂らしたように、心の中に灰色のシミがゆっくりと広がっていった。
「あんなに思い悩み、苦労しても、結局振り回されただけだった」
「全ては家族のために自分が決めたけど、あれも、これも、やりたかったことを我慢してきた。」
「人のことばかりで結局何も自分の手元に残ってないじゃん…」
被害妄想がどんどん膨らみ、これから生きていくのも虚しく感じるようになっていた。わずかな灰色のシミが、今や黒いグラデーションの毛布を纏っているようだった。
若いころ、あんなに日頃感じていた自分に対する自信のようなものもすっかり萎んでいた。
ここまでひと通り生きたからもう充分だ。あぁ、80歳くらいまで一気に歳を取れたらいいのに。そして、風が吹いたら砂が舞うように消えてなくなりたい。
そんな風に考えるのが定番になってきた頃、またも状況が変わる出来事があった。
きっかけは一冊のノートだった。
書くのが面倒で手帳も持たない私だったが、仕事で使っていたノートが終わったので、滅多に文具を買わないが数年ぶりに新調したのだ。
2500円くらいのハードカバーノートで表紙が分厚く、手触りがいい。クリーム色の方眼紙が200ページくらいあって、書きやすそうだ。
そんなしっかりした作りのノートだったので、単なる仕事の書き殴りメモ帳にはもったいなく感じた。そこで、自分の記録のようなものを残すことに用途を変更。
さて何を書こう?
やりたいことリストを作ってみようか。どうせなら100個くらい書いてみよう。
40個くらいまではスラスラ書けた。身近でささやかなものから実現不可能だろうことまで。だがそこから一向に増やすことができない。ある程度いつも思っている欲望を吐き出してしまうと、それ以上のことが思い浮かばなくなってくるのだ。
人間は欲深いものと思っていたが、自分は例外なのか…?いや、単に想像力、知識が足りないだけか?そんなことを思いながら、ひたすら自分がやりたいこと、チャレンジしたいことをあれこれ考え、頭の中でひたすら求め探していた。
それが良かったのかもしれない。
毎日ノートを開いて自分自身と向き合うという行為は、不安定だった心に少しずつ変化をもたらした。
実現不可能なことだと分かりきっているのに、目に焼き付く回数が増えるせいか、「絶対叶うわけない」が「もしかして叶うかも?」「叶うはどうしたらいいんだろう」に少しずつ意識が修正されていく。
そして、このノートを開いてあれこれやりたいことを考える時間がすごくワクワクして、とても楽しくなってきていた。まだ実現していないのに、自分の未来や可能性が広がる気がしてくるのだ。こんな効果が出てくるなんて、まったく予想してなかった。
じつはやりたいことリストを書き始めてから2か月弱だが、100まで埋まるにはあと10個ほど必要だ。まだしばらくは思い浮かばないだろう。いつになったら完成するだろう?
そして嬉しかったことがある。100個埋まらない状態でも、すでにやりたいことを2つ実行することができたことだ。
これからやりたいことリストの進捗を勝手にこの場で報告したいなと思っている。
そうすることで、今の下向きな自分が少し変わっていきそうな気がする。
まだ残っている人生を充実させたい。
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