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【本の感想】松田修『尼人』

現代美術作家の松田修さんの自伝的エッセイのような本『尼人』(イースト・プレス)を読み終わった。これ一冊が著者のポートフォリオのように感じた。この本自体が現代美術の作品とも捉えたら妄想が膨らんできた。刷られた本が置かれた瞬間にそこが「現代美術を詐欺だと思っている尼崎在住のおかんに現代美術とは何かを説明する本のあるインスタレーション」となり、本屋も読者も作品を構成する一部として取り込まれる……なんて。しかしこんな屁理屈も通りそうだと、この本に登場する現代美術シーンの滅茶苦茶さを読んだ後には思ってしまう。

著者の生まれ育った尼崎という街は私の育った80~90年代の浅草に少し似ている。著者の述べる尼的感覚は関東でも下町に育った人には多少想像がつくはずだ。浅草も数十年前は掃き溜めみたいな街だった。場外馬券場の前には右手にワンカップ左手に競馬新聞片耳に赤鉛筆を差したおじちゃんやおじいちゃんが大量にたむろし、近所の公園にはどこも必ず段ボールハウスのひとつやふたつあってお住まいの方がいた。何しろ隣には山谷と吉原がある。今だって観光客の視界に入るエリアは綺麗につくられているけれど、地域でいちばん安いネットカフェは簡易宿泊所のようになっている。私はむしろそういう場所にこそあってほしいと思う。浅草が影のない観光地化された部分だけになってしまったら、何の価値もない。

話はそれてしまったが、そんなわけで街全体が駄目な空気に覆われているようなどうしようもないあの感じは私も少しは分かるのだ。ただ尼崎の場合は貧困の度合いが圧倒的に深刻で、東京の下町の感覚だけでは本当にわずかな部分しか想像がつかない。息を詰めてドヤ街を歩いたときのヒリつくような感覚を思い出した。そのような特殊な街から著者がどのようにして芸大に入り現代美術をやっていくことになったかという経歴や作品の概要が面白い。どうしようもない状況も笑いに変える尼人の強さと粋さを感じた。

尼崎のような街の人間も、いやそういう人間だからこそ表現できる「芸術」があると著者は何度も力強く伝えてくる、と書くと真面目な本のようだけど相当にぶっ飛んだヤバい本だ。そのわけの分からない熱量こそ尼崎の人=尼人のエネルギーであり、そのエネルギーが現代美術と出会い炸裂した様子は、著者が言うところの「お芸術」とは全く違う人間の本音や本性、人間くささを感じさせる。


本文中に登場する会田誠やChim↑Pomなど現代美術を代表する面々の過去のパフォーマンスや制作の様子が垣間見られるのも貴重で面白い。Chim↑Pomのエリイさんがパフォーマンスのためにゲロを吐きすぎて具合が悪くなったなんて、滅茶苦茶なパフォーマンスも実際やると地味に大変なんだな。会田誠氏が松田氏の偏食を直すために野菜の入った料理を作ってくれるくだりは会田氏の作品とのギャップが激しすぎる。まるでお母さんのような会田氏の優しさがハートウォーミングだ。
Chim↑Pomも会田誠も現代美術史に残る存在であるとしても、こういう地味なエピソードはあまり記録されないだろうから貴重かもしれない。


現代美術が「なんだか難しそう」みたいなお高くとまったものではなく、むしろ庶民や弱きものが声を上げる手段になりえるのだと伝えてくれる、現代美術の面白さと熱さを伝えてくれる本だと思った。現代美術が好きな人にはもちろん、美術って敷居が高い、つまらないと感じている人にこそ読んでもらいたい。「えっこんなのも美術なの!?」「こんなことしていいの!?」とビックリさせられるはずだ。

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