Ichiteru

2019年3月16日に結婚。当時、私32歳、妻36歳。 その約1ヶ月前に、妻が大腸がん…

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2019年3月16日に結婚。当時、私32歳、妻36歳。 その約1ヶ月前に、妻が大腸がんステージ4と診断され、結婚式4日後には余命3ヶ月を宣告される。 妻と過ごした大切な時間を糧に、これからの人生を歩もうと誓い、記憶が鮮明な内に、記録に残しておこうと決意しました。

マガジン

  • 「余命3ヶ月」の花嫁。

    2019年3月16日に結婚。当時、私32歳、妻36歳。 その約1ヶ月前に、妻が大腸がんステージ4と診断され、結婚式4日後には余命3ヶ月を宣告される。 妻と過ごした大切な時間を糧に、これからの人生を歩もうと誓い、記憶が鮮明な内に、妻との出会いから、再会、交際、結婚、闘病までを記録に残しておこうと決意しました。

最近の記事

大学病院での精密検査と結果

2019年2月12日(火) 先日の駅前にある内科クリニックで、腹部エコー検査で肝臓に影が見つかったという診断を受け、大学病院で精密検査を受けるようにと紹介状を書いてもらったが、 その後、電話予約をして、この日に妻は大学病院に来院する予定にしていた。 平日ということもあり、私はいつも通り、仕事に向かい、妻は有給を取得し、ひとりで大学病院に向かった。 正直2人ともこの時はあまり重く受け止めておらず、「結婚前のこの機会に色々検査してもらってスッキリさせよう。」くらいに捉えて

    • 2人の人生が動いた日②

      品川駅に着き、イベントが行われるビルに到着した後、イベント開始まで1時間程、時間があったので、2人でランチをすることにした。 結婚式場の系列のレストランで、前から一度来てみたかったお店だ。 その後、イベント会場に向かい、様々な引き出物・引き菓子・プチギフトなどのサンプルを見て回った。 結婚式のこういった準備は、当時は準備に追われているような感覚でとても大変に感じていたが、今思えば、とても有難く、尊い、幸せな時間だった。 しかし、会場に着いて2時間くらい経過した頃だろう

      • 2人の人生が動いた日①

        2019年2月6日(水) この日は、午後から、結婚式を挙げる予定になっている式場が主催する「引出物・引菓子・プチギフト」などの実物を確認できるイベントが予定されていた。 イベントは午後からだったため、午前中の内に、妻は内科と皮膚科、私も妻と一緒に皮膚科に行く予定をしていた。 妻は先に家を出て、駅前の内科に向かい、後ほど、私と皮膚科に合流する予定だった。 冬の寒空の中、雨がしっかりと降っている日だった。 妻は、数日前に自宅で一緒に夕食を食べている時に、「右下腹部が少し

        • 余命宣告を受けた翌日

          2019年3月21日(木) 昨日、自分的には「突然」の余命宣告を受けた後、私は大きく泣き崩れた。 その後、妻の父や妻の妹家族を病院の近くのホテルの部屋まで案内し、その日はひとり部屋に戻った。 正直、その夜、何を考え、何をしていたのか? 全く覚えていない。 自分の両親に事実を電話で伝えた気がする。 自分1人では到底抱え込めるような状況ではなかった。 翌朝、手術を終えた妻を面会できるのは、病院の規則により、14時-20時だったため、何を思い立ってか分からないが、結婚式

        大学病院での精密検査と結果

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        • 「余命3ヶ月」の花嫁。
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        記事

          大腸がんの切除手術②

          主治医との話を終え、妻の父と家族控え室に戻った瞬間、私は大きく泣き崩れた。 涙が止まらなかった。こんなに涙が出たのは人生で初めてだと思う。 妻の父は、私に「大丈夫?」と聞いた。 本当は、妻の父も泣き崩れたかっただろう。 しかし、目の前であまりに酷く泣き崩れる私を見て、「自分はしっかりしないと」という気持ちで気を使ってくれたのだと思う。 もしかすると、30年以上前に、同じ経験をされたご自身を私に重ねて見ていたのかもしれない。 その後、手術を終え、麻酔がまだ効いている中、

          大腸がんの切除手術②

          大腸がんの切除手術①(余命宣告)

          2019年3月20日(水) 結婚式から僅か4日後。 妻の大腸の腫瘍切除手術が行われる日だった。 約1ヶ月前に、様々な検査結果を踏まえて、正式な病状が判明した時点では、最短の手術日として、この1週間前に手術が組まれる予定だった。 しかし、消化器外科の担当医師の取り計らいにより、我々の結婚式がその1週間後に予定されていることを考慮して、予定を結婚式後にズラしてくれたのだ。 担当医師は知っていたのだろう。 妻がこの先、どれほど非情で辛い想いをしなければならないかを。 そし

          大腸がんの切除手術①(余命宣告)

          妻との再会

          2021年4月8日(木) この日は、妻が亡くなって6回目の月命日だった。 前日に、妻の仏壇に供花と洋菓子のお供え、そして仏壇を全て綺麗に掃除し、当日の朝食前に菩提寺のお経を両親と3人で読経した。 早いものでと言うべきか、逆に半年前まで妻が横に毎日一緒に居てくれたのかと思うと不思議な感覚を覚えた。 月日の流れ、それに伴い、人は良くも悪くも忘れてしまう生き物であるということを改めて感じさせる。 忘れてもいいものと忘れてはいけないもの、忘れたいものと忘れなくないもの。 妻

          妻との再会

          脳転移の治療(ガンマナイフ)の説明

          2020年5月1日(金) 自宅から30分ほど車で走ると、がん専門病院から紹介された五反田駅近くにある病院に到着した。 朝からがん専門病院に滞在しており、そこから急遽、この病院を紹介され、自宅に戻り入院の準備をして向かってきたため、この病院に到着したのは16時を過ぎていた。 その日は、GW直前の最後の診察日。 既に夕方ということもあり、外来の待合室には、我々以外ほとんど誰もいなかった。 我々が紹介されたこの病院は、元々手術をしてくれたがん専門病院においてガンマナイフの治

          脳転移の治療(ガンマナイフ)の説明

          「寛解」という希望が潰えた日。③

          脳への転移の事実を伝えられた我々は、「このあと、内科の先生の診察を受けてください。」と肝胆膵外科の主治医に言われ、1-2時間程度の待ち時間があった。 ようやく手が差し掛かった崖の頂上から手を振り落とされたような気分だった我々は、病院のすぐ目の前にある広い公園で診察を待った。 5月初旬ということもあり、新緑が綺麗で、湿気がなくカラッとした、新緑の綺麗な最高の季節だった。 私はこの季節が1年の中で一番好きだ。 そんな最高の季節の中、電話で診察に呼び出されるのを待っていたが

          「寛解」という希望が潰えた日。③

          「寛解」という希望が潰えた日。②

          2020年5月1日(金)、 右目の視野がチカチカする症状を訴えていた妻と共に、先日、2度の手術を執り行ってくれた都内のがん専門病院に向かった。 この日の前日には、頭部MRI検査を撮影するために、既に同病院を訪れていた。 今回は目の症状ということもあり、眼科での診察となった。 眼科の先生に色々検査をしてもらった後、「目については特に問題が見られない。」と言われた。 ホッとしていた矢先、そういえば昨日のMRI検査については何も触れられていないことに私は気づいた。 (私

          「寛解」という希望が潰えた日。②

          「寛解」という希望が潰えた日。①

          2020年4月26日(日)、 2度目の肝臓の腫瘍切除という大手術を終え、都内のがん専門病院を無事に退院した。 結婚式直後から約10ヶ月間、ほぼスケジュールを変更することなく約20回も継続してきた抗がん剤(FOLFOXIRI)だったが、ずっとこの手術の実現を目標に頑張ってきた。 ようやく、その辛い日々の終わりを迎えられる。 この手術さえ無事に終われば、あとは僅かな肺の転移を切除し、「寛解」という目標に辿りつける。そして、止まっていた「2人の人生」をやっと前に進めていける。

          「寛解」という希望が潰えた日。①

          金沢旅行②

          2016年12月3日(日) 金沢旅行の2日目。 昨日、朝から晩まで動き回ったため、ゆっくりと目覚め、10時から、HOTELの1階で少し遅めのモーニングを食べた。 このモーニングから今日も楽しい1日が始まるはずだったが、ここで彼女と付き合って以来、初めての大喧嘩をしてしまう。 理由は、モーニングを担当しているHOTELのスタッフに気軽に話しかける僕が気に入らなかったらしい。 何も考えず誰とでも気楽に話しかけてしまう私に対し、彼女は警戒心がしっかりしていて、見知らむ人と

          金沢旅行②

          金沢旅行①

          2016年12月3日(土) 彼女の誕生日のお祝いとは関係なく(?)、1ヶ月程前くらいから、「どこか旅行に行きたいね!」という話になり、「じゃあ金沢行こうよ!」という運びになり、金沢へ旅行に行くことになっていた。 彼女は、金沢という街が大好きで、これ以降も「金沢に行きたいなぁ。」と口にする機会が何度もあった。 彼女は、アパレルの店長として、金沢へ赴任していた時、僅か1年という期間ですぐに関東圏に転勤してしまっていたが、仲間にも恵まれて非常に楽しい思い出ばかりが残っていて、

          金沢旅行①

          34歳の誕生日

          無事に東京タワーでの告白は受け入れられ、交際がスタートした。 入社以来、営業(店舗)でのキャリアを積んできた私は、2ヶ月前より、本部のファイナンス系の部署に移動したこともあり、毎日が挑戦であり必死だった。 平日は、仕事が終わると毎日3-4 時間、週末も、日曜日は1日中勉強の時間に当てていた。そうでもしないと、到底追いつかないくらい、営業出身の私にとってはハードルの高い部署であった。 私が部署を異動したちょうど同じ頃、彼女も10年以上勤めたアパレル企業を退社し、全く畑の違

          34歳の誕生日

          思い出の場所

          赤羽駅での再会を果たした後、横浜への買い出しに行ったが、それからも連絡を頻繁に取り合い、一緒に食事をしたり、自宅で料理を作ってもらったりと付き合いを続けていた。 2016年11月3日(金) この日も、六本木の東京ミッドタウンで、仕事後に会う約束をしていた。 東京ミッドタウンでは、紅葉のライトアップが施されており、多くの人で賑わいを見せていた。 夜になると少し肌寒く、羽織が必要な時期になっていたが、夜風が心地良い時期でもあった。 この日、私は東京タワーの近くに、ディナーの

          思い出の場所

          横浜への買い出し

          2019年10月15日(土) 先日、赤羽での久々の再会を果たしてから2週間程度が経った頃。 横浜へ買い出しを手伝う約束をしていた。 彼女は9月から転職し、そのタイミングに合わせて引っ越しをしており、 そこでの新生活の家具などを揃えるため買い出しが必要で、私は自分の車で荷物を運ぶ手伝いを自分から提案した。 AM11:00 秋葉原駅の高架下で待ち合わせた後、そのまま横浜へ向かい、まずは「マークイズみなとみらい」に行った。秋晴れ、快晴で清々しい最高の季節だったと思う。 キッ

          横浜への買い出し