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【Spidermen No Way Home】ピーター・パーカーという隣人に、思いを馳せて【ネタバレ感想】


早速ですが、以下ネタバレと駄文を含む場合があります。


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はじめに

 あなたにとっての「ピーター・パーカー」、基「スパイダーマン」とは誰を思い浮かべるだろう?彼はまさに、リブートやトンデモ展開をやってのける「アメコミヒーロー」の象徴とも言えるようなキャラクターだ。

この多様なキャラクター性について、「スパイダーマン:スパイダーバース」(2019年公開)でも言及されていることは、言うまでもない。

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 白状すると、今の今まで、私のスパイダーマンはMCUの中のトム・ホランド演じる「ピーター・パーカー1」だけだった。

2002年公開を皮切りにスタートしたサム・ライミ版の童貞臭く(良い意味で)、ヒーローである自分に悩む「ピーター・パーカー2」でもない。2012年から始まった「アメイジング・スパイダーマン」シリーズの凛としながらも人間関係に悩む「ピーター・パーカー3」でもない。

現実となったヒーローに憧れ、役立とうと人々を助け、時にはやんちゃしたり自分勝手になったりする幼い「ピーター・パーカー1」だった。

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 今回の鑑賞にあたり、旧シリーズ予習とネタバレ回避の天秤に負け、必要な課題を終えずに、映画館へ足を運んだ。なので、旧シリーズの総括や象徴・救済などの回顧的部分は、当記事では触れません。


「MCUピーターってこういう奴だよね」

 こんな感想が湧いて来る物語前半。今作「No Way Home」という物語は前作「Far From Home」でミステリオに「スパイダーマンである」という事実がばらされ、幕を開ける。人々からはスマホのカメラを向けられ、罵声や嫌がらせを浴びる。もちろん、驚きや感謝の声もある。

しかし何れも、ピーターの望んだものではなかった。家族・恋人・友人、そして何よりも自分の人生が壊されたピーターは、ドクター・ストレンジの元を訪れる。彼も別に強いメンタルを持ってるわけじゃない。普通の若者で、ちょっと自分勝手で、何かに焦らされている。

 上記の予告と本編を比べてもらうとわかるように、予告では「ストレンジのミス」として描かれたヴィラン集結が、本編では「ピーターの未熟さに伴う問題発生」とされている(事前に全員の記憶が消えることを伝えなかったスティーブンも悪i((( 

ウォンとストレンジの掛け合いの切り取り方的にも、制作側が意図して隠していたと見て良いだろう。いつだって等身大ヒーローであったピーターだからこその失敗。予告で一切匂わされていなかった、ピーターの若気の至りである身勝手さ。

これを初めて知った観客は、次第に、物語の軸となるあの言葉を心にもう一度抱いていく。


旧作シリーズヴィランの更生を目指すという展開

 中盤物語は思わぬ展開を迎える。ピーターたちはマルチユニバースから来訪したヴィランたち全員(1人いない)を捕らえる。ストレンジは彼らを元の世界へ帰そうとするが、ピーターは彼らを更生させたいと、ストレンジを制止し、拘束してしまう。

 あまりにも綱渡り的で、危険な展開だ。ここまで蜘蛛糸の軌跡を追ってきたファンを裏切りかねない。そうまでして伝えたかったのは、この世界で生きるピーター・パーカーの今の‘’原点(オリジン)’’

人々を救おうと奮闘し、ヒーローでなくとも戦ってきた叔母メイの下で育ち、見てきた。旧来のスパイダーマンの原点とは叔父ベンの姿勢と死、そして遺言である「大いなる力には、大いなる責任が伴う」そのものだ。

このベン叔父さんをトニー・スタークやメイ叔母さんへ置き換え、同じように美しく散らせ、シリーズ最終作にして初めて、スパイダーマンのアイデンティティとも呼べるオリジンを、改めて描く。こんな相反し、無茶な展開を実行できるのは「スパイダーマン」というキャラクターだからこそ。

制作側だけでなく観客たちを含めたスパイディファン全員による「親愛なる隣人」の総括だ。

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スパイダーMOVIE大戦2022

 ヴィランの裏切り・メイ叔母さんの死という衝撃の展開を経て、世界中のファンが薄々勘づいていた‘’彼ら’’のこの世界への来訪が、今この時をもって実現し、姿を見せる。ピーター・パーカーとピーター・パーカーだ。

い…いや… 体験したというよりは まったく理解を 超えていたのだが……… あ…ありのまま 今 起こった事を話すぜ!

 そう、ピーター・パーカー(実写)とピーター・パーカー(実写)にピーター・パーカー(実写)が出会い、同じフィルム・同じ画面内に存在しているのだ。

な… 何を言っているのか わからねーと思うが おれも 何をされたのか わからなかった…

 彼らは同じ「親愛なる隣人」である。ヴィランたちを助けたいという思いは一致し、彼らは自分たちのアイデンティティを共有する。前述の「スパイダーバース」で描かれたように、孤独だった蜘蛛たちは互いに認め合い、慰め、一番若く浅いピーター1は彼らを見て大きく成長していく。

 そしてなんといっても、科学の実験シーン。スパイダーマン映画の醍醐味だろう。ピーターたちとネッド・MJが協力してヴィランたちを救うアイテムを作り上げていく。仲間やオズボーンたちとピーター1が治療用デバイス等を開発するシーンでは「Far From Home」のように彼の師・トニースタークを重ねた人も少なくなかったのではないだろうか。

(あとダミー君U君兄弟の親戚みたいなやつがハッピーの部屋でいかんなくドジっ子っぷりを魅せてるところにもニヤニヤ)

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 そして「スパイダーMOVIE大戦」とも言えるような、MCUに似合わない(褒め言葉)ような決戦が始まる。ここでもスパイダーマンという概念を象徴するバトルを繰り広げる。

孤高に戦ってきたピーター2&3は、チームとしての連携を知らない。そこでピーター1が、アベンジャーズでの経験をもとに、チーム戦をリードしていく。今作を含むホームシリーズに留まらないピーターの活躍を象徴し、「ピーター1」という名前に無限の納得感を全てのスパイディファンへ与える至高のシーン。

今作が最終作ということを強く感じさせる。


SPIDERMEN-EndGame

 決戦終結の時、ピーター1はメイ叔母さんを殺した張本人であるグリーン・ゴブリンへ明確に殺意を持ち、治療を忘れ、殴り続ける。ここでの「僕が殺す」というセリフ、「え?ここまで来てまだ?!!」と疑いたくなってしまう。

見てて自分の中で賛否両論になった部分だ。制作側の旧作への敬愛やピーター・パーカーというキャラクターを描きたいことはわかっていても、少しモヤモヤしてしまう。ただ私は、彼はまだこの時点でまだ成長しきってないことを、これから大きな成長を遂げることを、これから知ることになる。

 マルチユニバースをいじったことで時空の崩壊が始まる。スパイダーマン=ピーター・パーカー(ピーター1)を狙って異世界から多くのヴィランが襲来する。そこで、ピーター1は大きな決断をする。

「ストレンジ、ピーター・パーカーの記憶をみんなから忘れさせることはできる?」

 世界に救うにはあまりに大きすぎる代償。「人の記憶こそが時間」そう義務教育(電王)で習った人は特に絶句したのではないだろうか。誰も自分を覚えていない世界をつくることは実質的な死を意味する。


またどこかで、隣人さん

 そんなあまりに理不尽とも思える展開に、物語そのもの、否、スパイダーマンという概念が観客に語り掛ける。

「大いなる力には大いなる責任が伴う」

 登場以来スパイダーマンが掲げ続けてきた、彼を象徴し続けた言葉が、彼を彼自身の運命へと誘う。あまりに卑怯(良い意味で)で、納得せざるを得ない決断・運命。

ここで真に、ピーター1は成長し、仲間に助けてもらったり学ぶことの多かった「Spider''Boy''」から、孤高の英雄「Spider’’Man''」へ変身を遂げ、「ピーター・パーカー」を捨てる。

ピーターを称賛する人も、持ち上げる人も、理不尽に叩く人ももうこの世界にはいない。彼を知る人はいないのだから。それでも彼は自分を愛してくれたトニーやメイ叔母さんの信念・2人のスパイディの信念を受け継ぎ、「スパイダーマン」と「ピーター・パーカー」の二重生活を送ろうと再起する。

彼の姿勢とヒーロースタイルは涙と、共感を誘う。責任を取るということはどんなに大きく、時にはつらいことを招くかを、彼は教えてくれる。

 

 ここまでの、大いなる責任を背負うまでの、アベンジャーズシリーズ2作とホームシリーズ3作を含む彼の物語こそが、トム・ホランド演じるピーター・パーカーの、今までにない壮大なスパイダーマンとしての‘’原点(オリジン)’’だ。

 


彼の物語はこれまでを経て、ここから始まる。

もう一度始まる。

そのとき誰が、辛い思いをしながら人々を助ける彼を知っているのだろう。

誰が、そんな彼を支えるのだろう。

誰が、彼が受け継いだ信念を次へつなげるのだろう。

彼には今まで似合わなかったようなビターな引きで、

「No Way Home」は観客へ終わりを告げる。蜘蛛と’’オリジン’’を胸に。

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