ジェーン バーキン氏続話
セルゲイゲンズブールとのエロティックなレコードのことを書いた。
エロティックだけど人間的に素晴らしい表現だと思う。
レコーディングの内容とは、もうSEXの最中の声、男と女の会話と言うか睦言をもの憂い伴奏に乗せて届ける、と言ったものだ。SEXの実況中継、とでも言った方が世俗的には良く雰囲気が伝わるかも知れない。
が、なぜこれが素晴らしいのか?
性愛は、自らのすべて、精神も身体も恥部を含めてパートナーに曝け出さないと成立しない行為だから。
自分のすべてを相手に曝け出し、なすがままに。
男性も女性も、自認に関わらずここだけは間違いない。下着や鎧で身を固めていてはできない。されていやなことは到底受け入れられない。
逆を行けば悲惨である。
自らを曝け出して愛を与えようとするパートナー。
曝け出されたことを良いことに自らの欲を満たそうとするパートナー。
あるいは拒絶に関わらず無理じいするひと。
これはとんでもないが続発しているハラスメントの実態だと思う。
ふたりの想いと「素」「恥」「罪」の解放、
受入、愛の返礼、「望むこと望まれること」
「嫌なこと嫌がらせること、の抑制」そうした条件が揃ってこそ、SEXを謳いあげる音楽が完成したのだろう。
ジェーン バーキン 。。
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