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指摘されやすい人間になるには?

近年、ハラスメントへの警戒感からか、誤りや不適切な行動を指摘する文化が薄れつつあります。それは研究の世界でも見られるところです。しかし、このようなフィードバックは成長の鍵となります。

私が関わる外部の大学院での指導(副査)では、研究指導のコミュニケーションは透明性を重視しています。電子メールのやり取りには常に主査をCCに入れ、Zoomでの打ち合わせは録画が許可されています。この透明性により、ブレのない発言と事実に基づいた厳しい指摘を可能にし、院生のスキル向上を促します。真のコミュニケーションとは、双方に信頼感があり、率直な意見交換が行える状態といえます。

厳しく言えるというのはまさにコミュニケーションが取れることなのですが、これがまさに、社会人として研究をしたい、研究者になりたいと思う方の強みなところです。

この強みが活かせるのは、特別の才能や支援体制(実家が太い)等がなければなれないような学問ではない領域で顕著です。厳しい領域の科学(自然科学領域)や芸術系の学会に是非参加していただきたいのですが、厳しすぎて青くなること多数です。優劣や正しいのか正しくないのかはっきり分かりますし、その事実はコミュニケーション以前の問題です。とても厳しい世界です。

このnoteでは、私のように「才能もなければ太い支援もないが、研究をしたい」と考える方を対象にしています。社会人としての経験を活かし、研究者として、あるいは職業人としての能力を高めることは可能です。

重要なのは、自分が「指摘を受けても受け止められる器量のある人物」と見なされるかどうかです。これは、コミュニケーションを通じて建設的なフィードバックを受け入れ、成長する能力を意味します。

おいおい記事にしていきますが、私は研究者求人公募検索JREC-INについて、10年以上丹念に調べています。

ある領域では、その予後(誰が採用されたか)についての分析(経歴や論文や学会発表数、人的ネットワーク等)を収集して、この採用公募がコネ/ガチかも予測するモデルまで作るほどです。毎日サイトを見るのが楽しくて仕方ないです。

さて、言わずもがな、採用されにくい人というのはコミュニケーションの視点から言うと次の2つです。
・学術の未熟さや誤りの指摘を自分の人格が攻撃されたと思う人
・学術の未熟さを受け止められず、スキルアップのトレーニングをしないどころか他者攻撃をする人

これらの人は、指摘されなくなっていくのです。研究の世界では、時に「よくやったね」という励ましの言葉も必要ですが、何も言わないことが最善とは限りません。沈黙は時に、諦めのサインかもしれません。

社会人としての経験は、研究者としての厳しい指摘にも耐えうる強さを既に備えています。この強さを生かし、指摘を受け入れることができる「指摘されやすい人間」になること。それが研究者としての第一歩です。

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