望みが叶わないことが生きる希望になっている

今日のタイトルの言葉映画"Diner"のものです。
殺し屋専用の食堂で、店主は元殺し屋の天才シェフ。そこに雇われの身(売られた)のカナコが様々な殺し屋たちと出会いながら自分と向き合う作品です。

望みを叶えるために努力し生きているのは誰しもではないにしても行動の理由になります。
ただ、その望みが叶えられたら自分自身どうなるのか。

絶対に叶わない望みを持ち続けることで生きられる人もいる。

このダイナーの話ではスフレが好物の殺し屋に店主は毎度細工をして完璧なスフレを出しません。
しかしある時、かなこがその細工を抜きスフレを食べさせ初めて完食できたときその殺し屋は完璧なスフレを食べるという望みが叶い暴れて殺されてしまいます。

この殺し屋の生きる望みは完璧なスフレを食べること。それを奪ってしまったら生きる望み、理由がなくなってしまいます。

完璧なスフレを食べさせたいかなこの気持ちも勿論わかりますし、殺し屋の意を汲んでる店主も凄いです。

人によって求めているもの、求められているものが違うからこそ自分の価値観を押し付けるだけでは駄目だなと思います。

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