人生の振り返りを通してポジティブを拾い上げる
自分の人生の振り返りを8月9月で行っていたのだけれど、ネガティブ要素が強すぎたので、ポジティブな気持ちを拾い上げるつもりで、再度振り返りを行いました。
これは、その記録です。
自分の整理のため、まとまりをもたないまま書きなぐります。
長くて結論はないです、ごめんなさい。
お時間が許せば読んでくださると嬉しいです。
そして、「自分も同じだな」とか「こんなことに楽しいと感じる人がいるんだな」とかいう感情から、自分自身への気づきへ繋がる部分があれば幸いです。
幼少期
純粋に楽しいことに夢中という気持ち
おままごと楽しい
兄弟での水遊び楽しい
人形に名前つけてごっこ遊び(100体近くのぬいぐるみ1つひとつに名前づけするこだわり)
幼稚園での花いちもんめや手遊び・お歌(友だちや先生との関わり)
小学校
みんなで一緒に楽しむことへのワクワク
大縄跳び(クラスみんなで成功させるの好き)
缶蹴り大好きすぎて毎日してた
フットボールが好き、優勝した時嬉しい
6年生の時に行った最後の家族旅行が忘れられない
仲良しの子と毎日一緒に過ごす時間の楽しさ
運動会の地域対抗リレー(大人も含めて地域の人全員が参加する形が一番好きだった)
好きなこと(描くこと)にのめりこむことへのワクワク
小学校3年生の時、従姉の「漫画家になりたい」を聞いて自分も「漫画家になりたい」と言い出す。友だちと文通のような形で学習ノートに漫画を描きだす。3つの連載を抱える連載作家。友だちのモチベーション下がっても描いてた。
高学年の先輩で絵が上手な人がいて、休憩時間に教室に行って絵を描いてもらっていたこと
兄のRPGゲームの進捗を隣で観るのが好き(ストーリーやゲームが好きという気持ち)
本を読むのが好きで図書室の本をめっちゃ読んでた
認められたい、何者かになりたい気持ち
児童会長になる(会長は運動会の時、応援団に入れなくて寂しい気持ちもあった)
しっかりもの、優等生のなっちゃん、という立ち位置(この時は割とポジティブな気持ち)
小学校卒業記念のステンドグラスの原案に私の絵が選ばれる(やったー、嬉しい、私ってすごい!みたいな気持ち)
中学校
みんなでひとつのような空気感が好き
1年生の時、授業するの辞めて担任の先生も含めてみんなで警泥したこと
好きなことを語る楽しさ
友だちに同人活動の存在を教えてもらって、よくイベントへ行っていた。お小遣いをはたいてグッズを買ったり、友だちと絵つきの手紙を交換し合ったり。好きな漫画やアニメの話に夢中になっていた。
週末にこの時の手紙の一部を見返してみたところ、友だちからの「用事があって行けない、お金渡すから買ってきて」みたいな手紙が出てきて驚いた。
今の私なら、「え?勝手なこと言うなー」とか嫌な気持ちになると思うし、そんなこと頼み頼まれるような関係の友だちっているかな?と思うけど、この時の私は普通に受け入れていた気がするし、損得勘定や嫌われたくないみたいな気持ちを抱かずに、純粋に友だちと繋がっていたんだな、と感じた。
チャレンジする気持ちと何者かになりたい私
2年生の時、少女漫画雑誌に漫画を投稿した。最低ランクでガーン!ってなったり、そうだよねー、ってなったりしたけど、担当者さんのコメントは嬉しかった。
10代で漫画家デビュー!みたいなキラキラストーリーに憧れがあったし、何者かになりたかったんだと思う。
この頃、初めて原稿用紙やペン、トーンを買い始めて、地元にはないトーンが欲しくて父に頼んで広島市の東急ハンズまで買いに行った思い出がすごくいい思い出。
新しいことをすることにワクワクしていた。
見えないところでの自分の頑張りを認められたことへの喜び
2年生の時バレー部で先輩のチームにレギュラーで入っていた。正直上手ではないので入れていることに不思議だった。試合の時、「あ、ボールこぼれそう」と思って体ごとボールに向かっていった。結果的には相手コートに返せなかったけど、この時体が瞬間的に動いたことを、試合後のミーティングで顧問が全員に対して言及した。「練習を続けているからあそこで体が動いたんだ」みたいな内容で、自分のことが取り上げられる恥ずかしさと嬉しさがあった。
勉強は好きだったし、今でも学ぶことが好き。苦手でもなかったけど、コツコツ努力はしていた。3年生の時、学年で2番目の成績になり、目立たない子だったので他のクラスの子が窓越しに顔を見に来た。注目されて恥ずかしい気持ちもありながら、嬉しかったと思う。
自分をもっている人はかっこいい
中学の歴史の先生で武先生というイケメンの先生がいた。声が渋くて生活指導だったので怖い先生。でも、歴史の覚え方で変な歌を披露したり、坂本龍馬が好きすぎて少年のように熱く語っている姿が印象的で好きな先生だった。この先生の影響で今でも歴史が好き。
3年生の担任の先生はこの武先生が好きで、ファンクラブ第一号を公言していた。明るくおおらかな先生で生徒にも人気があって私も好きだった。
なんでこの先生たちが好きだったか考えた時に、好きなことを隠さず、自分らしく表に出せていることを素敵だと感じたんだと思う。
高校生
好きなことへの没頭
同人活動を自分でもしたくて友だちを誘ったけど断られ、でも諦めきれず一人ですることを決意。友だちを増やしたくて自分から手紙を書く。原稿の描き方を自分で調べ、印刷所へ直接行き本の相談をし、アルバイトのお金はおしゃれや美味しいものではなく、すべて同人活動へつぎ込んでいた。好きな作家さんのブースは毎回訪れて、差し入れを渡し絵を描いてもらい新作を買った。チラシや便箋をたくさん集めてファイルにストックし、ジャンプは発売日の朝買いに行って読んでいた。
漫画やアニメが好きな友だち3、4人で集まることが好きで、お泊りは毎回楽しみにしていた。絵つきの手紙を交換していたので授業中によく描いていた。この時の手紙も見返してみたら、友だちからの熱量の高い手紙がたくさん出てきた。相手の熱量がそうなら私の送った手紙の熱量も同じくらいだったのだろうと思うと、当時の「好き」という気持ちの強さがうかがえる。
当時、父のパソコンで「ようこそ、マイホームページへ」的なWEBサイトを立ち上げてイラストを公開していた。スタイルシートやCGIを調べて自分で設置していた。調べてつくることは楽しかった。夜通しやっていたので、よく父のデスクに突っ伏して寝ていた。
年末などの長期休暇になると、徹夜でRPGゲームをしていた。ロマンシング・サガとか俺の屍をこえてゆけ、とか。メモリカードが壊れていてセーブできなくなっていたので、途中で辞められないという状態だったのもあるけど、途中で死んじゃってまた最初からになっても、何度でもやり直していた。すごい執念だと思う。
30歳くらいの時、進撃の巨人の漫画を勧められて読んでいて、当時実家だったのでずーっと夜な夜な読みながら「この巻まで、この巻まで」と読み進め、気づけば朝になっていたこともある。
気になることがあると気になって仕方ない、やらないと気が済まない、という性格なんだと思う。
共感やあたたかさのある集団や人とのつながり
3年生のクラスでみんなをひとつにまとめるのがとても上手な、明るくムードメーカーな女の子が居た。その子のお陰でクラスの雰囲気がとても良く、3年生の時の体育祭や文化祭が高校生活の中で一番楽しかった。体育祭はチーム団結して優勝した。文化祭の時のお揃いのTシャツやメッセージ入りのはちまきは大人になってもしばらく持っていた(もしかして今もある?)
卒業式の最後のホームルームの時、クラス全員でFLOWの『贈る言葉』を歌った。この女の子が文化祭で歌った曲だ。根暗で漫画ばっかり描いていて友だちも少なかった私だけど、全員で歌っているとき涙が出た。楽しかったな、寂しいな、という気持ちだったのかな。3年生の時、広島市の美術系予備校に片道1時間半かけて同級生3人で通っていた。みんなでガタゴト揺られる時間は楽しかった。
また、3年生の時の文化祭で、美術部全員でカラフルな傘を並べたものを校舎へ渡す展示をした。みんなでひとつのものを制作するのが楽しかった。同人活動で仲良くなった友だちが文化祭に遊びにきてくれた。嬉しかった。
アルバイト先のパン屋では、先輩や社員さんに可愛がられていた。大きな声を出してお客さんを呼び込むのも楽しかった。
認められたい、何者かになりたい私
高校生の時、尾道絵のまち四季展という展覧会で最高賞の尾道賞を受賞した。初めての油絵で先生の手直しも結構あったので、なんだか申し訳ない気持ちと純粋に嬉しかった気持ち。
大学生
仲間を感じるつながり
結婚式場の仕事の中で最も心に残っている記憶。披露宴終盤、新郎新婦がダンスする余興でゲストが手拍子で盛り上がる中、料理の配膳も終わっていたので会場担当の社員さんが「手を止めていいから出ておいで」と会場へスタッフみんなを呼んでくれた。会場の端で手拍子しながら感じた、新郎新婦、ゲスト、スタッフ全員が一体となったあの空間は今でも忘れない。私の式場でのアルバイト経験の中で一番の思い出。
式場の仕事はクラブ活動のような達成感や楽しさがあった。仲間へは信頼があった。アルバイトが楽しかったのは仲間がいたから。
よく飲み会も自ら企画して、みんなで朝まで遊んだ。披露宴と披露宴の間の片付け&準備をドンデンという。前の宴が押した時はこのドンデンで取り戻さないといけないのだが、私の会社が入っていた会場が一番ドンデンが速く、よくプランナーさんから驚き感謝されていた。ドンデンはやりがいがあるし、達成感もある。
式場と並行してしていた居酒屋のアルバイトでも仲間意識があった。
繁忙期の年末、ドリンク係を任され、目の回るような忙しさの中頭をフル回転させて回した時は達成感を感じた。
居場所を感じること
大学生活にあまり馴染めず、居場所を感じられずにいたけれど、3年生の時の美術研修旅行はみんなでの一体感があり楽しかった。
夜の街に繰り出し飲んだホットワインとホットチョコレート。生涯で一番きれいなピンク色の朝焼け。長蛇の列ができているスーパーのレジ。雨に濡れた道路に反射するヴェネチアのクリスマスツリー。映像として思い出すことがたくさんある。
4年生になり、自分のアトリエスペースが与えられると、自分の居場所が出来たみたいで安心した気がする。
チャレンジしたことと自分らしく居られること
20歳の時、一人でイタリアに行った友人に憧れて、私もニューヨークに行きたいという気持ちをもった。同級生を誘ったけど誰もついてきてくれなくて、一人で行くことを決意。その日に旅行会社へお金を持って行き、申し込んだ。
不安もあったけどワクワクもあった。今でもチャレンジしたいい思い出。
ニューヨークの街をフードを被り、ポッケに手を突っ込んで歩いたあの瞬間、飾ってない自分らしい姿だと感じた。
今でも心に残り続ける大切な言葉たち
「土に描けばいいじゃない」
お金がなくて画材を買うことができない、と相談した友人に教授が言ったセリフ。衝撃すぎて長半紙に書いてアトリエに貼っていた。
どんな状況でもできることはある、やろうと進め、といった価値観に繋がっている。登山で死にかけた、砂漠で死にかけた、という教授たちの瀕死体験談
人はいつ死ぬか分からない、大切なことは今伝えないといけない、という価値観に繋がっている。「あなたは情の人だね」
大学のカメラ実習時に教授に言われた言葉。人が好きなんだと気づかせてくれた。「心地良いと思う方を選びなさい」
当時選択に迷っていた私の相談に対しての教授の言葉。その時は正直ピンとこなかったが、大人になってから選択する上でいつも心に留めている。選択に迫られた時、心は心地良いかいつも問うている。「大人になったら1年があっという間にすぎるからね、そうならないようにしたいよね」
卒業する時に先輩からもらった言葉。いつもチャレンジし続ける気持ちを持つことで、充実した日々を送りたいという私の願いへ繋がっている。「楽しんで」
式場の宴会担当から挙式担当へ急遽変更があった時、不安でいっぱいだった私へ牧師役の方が握手しながら言ってくれた言葉。どんな時も、苦しいことさえ楽しむという発想に驚きと感銘を受けた。「笑顔にパワーがあるよね」
式場アルバイト時に同僚に言われた言葉。『笑顔は私の武器』だと自分の気持ちを180度変えてくれた言葉。
ブライダル時代
チームをつくること、つながること
スタッフが大好きだった。妹や弟のように思っていた。スタッフが慕ってくれたら嬉しかった。成長も嬉しかった。
飲み会も毎回すごく楽しかった。退職する最後の勤務日、スタッフたちが自ら話し合いこれからを自分たちでつくっていくんだという強い気持ちで仕事をしている姿が目に見えて現れた瞬間があった。私はその時泣いた。
自分がアルバイトだった時は、式場すべてがひとつになった瞬間に心動かされたけど、社員になって育てる立場になった時、披露宴の内容を見る余裕はなくて常にスタッフのことを見ていた。アルバイトの時の感動とこの時感じたものはもしかしたら同じなのかもしれないと思う。「心がひとつになること」「心がつながること」に私は感動したのかもしれない。式場社員さんが転勤する時はいつも、サプライズ疑似披露宴をしていた。私はその場の進行管理係。サプライズで人を喜ばせることが好きだったので参加できて嬉しかった。
心安らげる場所
小さな小学校出身の私は、幼稚園から小学校卒業までずっと同じクラスで今でも心のつながりを感じている。小学校の友だちは特別な存在で、心安らげる場所。自分らしく居られる場所。
やりたいことを我慢しない
平日休みだった私は友だちと休みが合わずなかなか遊びに行けなかった。島根に旅行に行きたいと思い立ち、弾丸一人旅を決行。前の日にプランを練って、朝早く下道で山陰に上り、国道9号線を横断。方向音痴で迷子になりながら、行きたい気持ちを我慢せず行きたいところに行けた良い思い出。楽しかった。
WEBデザイナーを目指して
学ぶことは楽しい
デザインの勉強は楽しかった。新しいことを知れる喜びがある。
最後の課題提出としてWEBサイトをひとつ制作したのだが、仕事から帰り寝る間を惜しんで制作した。
意気投合できる友だちとの時間
WEBの学校の友だちとはすぐに意気投合し、よく帰りにご飯を食べに行っていた。WEBのことや将来のことを話すのは楽しかった。
制作会社就職前に入っていた広島市就職支援事業で、同じ目的をもった仲間とのつながりが嬉しかった。先生もとても良い人でよく相談ものってくれて信頼していた。
就職支援で就業していた企業の従業員さんとは、福山に戻ってきてから仲良くしていた。なんの気も遣うこともなく、馬鹿なことをやって騒げる仲間として居心地が良かった。
一緒にディズニー旅行した2日間は最高に楽しかった思い出。
大切な人に貢献できる喜び
大好きな友だちの結婚式に油絵でウェルカムボードを描いた。頼んでくれて嬉しかった。
同じく大好きな友だちの結婚式の余興用動画を作成した。当時編集ソフトをもっておらず、Windowsに入っている簡易な動画編集ソフトでなんとか編集していた。仕事から帰り、夜眠ってしまうまで長い期間をかけて制作した。
心動かされる作品との時間
島根弾丸旅行で観た1年砂時計。サラサラと流れる砂と空間がとても静かで心が落ち着いて、いつまでも観ていられる、そんな気持ちになった。
広島にシャガール展が来た時、観に行った。大好きな作家の絵を前に心が躍った。素晴らしい作品を前にすると、自分も制作したいという気持ちが込み上げてくる。
自分の気持ちを共有し、共感すること
当時、お付き合いをしていた彼と、いろいろなところへ旅行したり、美味しいものをたくさん食べにいったりした。
一人が好きだと思っていたけど、同じものを食べ、美味しいねと共有することは幸せなことだと感じた。
制作会社時代
和気あいあいとした雰囲気
制作部長の穏やかな雰囲気のお陰か、制作部は誰かを否定したり傷つけたりする空気のない、和気あいあいとした空気だった。私はそれが好きだった。
月に1度、勉強会のようなものが催され、そこでは順番に好きなものについて語る、というテーマで資料を作っていた。普段見せない面白い一面が見えたりして、またメンバーが好きになった。
認められることの喜び
LPのデザインがお取引先で評価され、名前を憶えてもらえるようになった。
Wordpressの勉強を続けていたことで出来ることが増え、パッケージ化の主担当として長く任されていた。東京出張もさせてもらった。
最終的に課長職の役職をもらった。
後輩に教える立場になれた。
自らjQueryの勉強会を開催したり、他メンバーに貢献することができた。
自分がつくったWEBサイトがきっかけで、新たな受注につながった。
制作をすることが楽しいという気持ち
特に、コーディング作業中はかなり没頭している。テンポ早めのロックをイヤホンで流して、世界に没入して作っている時が好き。
出来ないことに試行錯誤しながら調べ、無事解決した時の爽快感。
自分の気持ちに嘘をつかず行きたいところへ行く
10年間行きたいと思っていた屋久島へ、30歳を目の前にして行くことを決意。またしても、友だちがついてきてくれなかったので一人で決行。
縄文杉と対面した時、その神々しい姿に涙が出た。来て良かったと心から思った。
夫との出会い、生活
最初から心をすべてさらけ出せていたわけではないけれど、一緒に過ごす中で少しずつ関係を築くことができたと思う。
同じものを観て感動し、同じものを食べて美味しいと言う。
好きなものが似ているので、共有共感の多い毎日で、そのことに幸せを感じる。
家族の大切さ
福山に帰ってくることの理由として、家族や友人という大切な人と1年に数えられるくらいしか会えないことを変えたいという強い想いがあった。
大切な人だからこそ、傍にいて大切にしたいと思った。父の還暦祝いに久々に家族旅行をしたのがいい思い出。
転職をしてから
認められることの喜び
前職での実績を評価され、メディアの立ち上げのメイン担当として制作・ディレクション全般を任された。信頼して任せてもらえることに喜びを感じた。
前職ではできなかったSNS運用などを通じて、コメントをもらったりDMをもらったりした時嬉しかった。クローズする時、惜しむ声を寄せてくれたことも嬉しかった。
自分が企画したインフルエンサーマーケティングで、過去最大のアクセス数などの実績が出た時嬉しかった。
家族との時間
子どもが産まれてからの家族での時間は一生の宝物。
育児を通してたくさんの苦しい想いをしたけれど、今子どもはすごく可愛くてかけがえのない存在。正直、生まれてからの1年間の記憶があまり鮮明になく、それほどまでに我武者羅な1年間だったけれど、たくさんの写真や動画を観返してみると、息子との静かで穏やかで優しい時間がそこにはあって、私もこうして息子と向き合うことができていたんだな、と思うことが出来ている。
まとめ
ここまで読んでくださった方、長いまとまりのない振り返りにお付き合いくださりありがとうございます。
書き出してみたものを俯瞰してみると、いくつか共通するものがありました。
心のつながりのある空間が好き、自分らしくあれる場所の心地よさ、共感共有による喜び
好きなことへ没入する楽しさ
新しいことを学ぶこと、挑戦することへのワクワク
認められたこと、結果が出たことの喜び
大切な人への愛情
私の喜びに繋がる部分として今見える部分はこんな感じ。
あと、30歳目前くらいから働くことが少ししんどくなったように記憶しています。
制作会社時代の頃から、結果や認められたことに喜びが多く出ていることと関係しているのかも…、という気づきもありました。
最後に。
週末に昔の手紙を見返してみて率直に感じたことをここに記録として残します。
「私、案外愛されていたなぁ」
自分が送った手紙は残っていないけれど、もらった手紙の熱量を感じながら、あの時私は確かに精一杯生きていたんだと感じることができました。
私の長い人生の振り返りにお付き合いくださり、ありがとうございました!
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