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社会における「価値」って何?|得意なことを考えてみる

自分の得意なことを考えている。


以前の記事でこんな風に書いていた。

「散らかった情報をまとめる作業。また、散らかった情報をつなぎ合わせて新しい価値を考える作業」


物事が効率よく回るように整えたり、日時を調整しスケジュールを確立したり。
情報を整理整頓することが得意なんだと思う。

これはきっと、デザインというお仕事にもつながっていて、
まとまりきらない情報を、どうすれば伝わる形になるかを考えながら再構築している。


あとは、

人の要望を察することも得意な方だと思う。

これは、生まれながらの『繊細さん』な気質からきている。
人より感性が鋭く、聞こえてくる会話、見える何気ない表情。
そういった小さなことから「してもらえたら喜んでもらえること」に気づく力が強いんだと思う。


もう1点。

最近、周りの方から
「言葉がすごいよね」
と言っていただくことが増えた。

私が日々徒然と書いているこの言葉に「いいよね」「心地いい」「価値を感じる」と言っていただくことができた。

言葉をつむぐことは嫌いではなかったし、このnoteという場所に足を踏み入れてから感じるフィット感というものもあり。

いただいた言葉を素直に受け止めて、「言葉」は私の得意なことなんだな、という立ち位置に置いている。


反転して。

既に散らかったものを整えることは得意なのだが、
何もないところから組み立てていくことには苦手意識がある。

そんな風にできる人に強い憧れがあって、自分もそうなりたい、という願いもあるのだが、やってもうまく出来ない、もぞもぞして終わる。

単純に、経験が少ないからなのか。
そもそも、むいていないのか。

これも、やってみないと分からないのかな。


得意なことと、好きなことは一緒だって聞くけど。

私は昔からずっと絵が好きで絵を描いてきた。
けど、決してうまくはないし、才能もないし。
ビジネスにするには苦痛が伴う気がする。

だから、
得意なことは、好きなことではない気がする。

それとも、そこまで好きなことではなかったのかな。


デザインをすることは、好きなことだと思う。
それなりに経験しスキルもあるし、それなりに得意なことだと思う。

やっぱりお金をいただくには、こうゆう自分の経験値も大切なのかな。



得意なこと。
好きなこと。
したいこと。

思考がぐるぐるしてよく分からなくなった。


生きていくためには世の中に価値を提供し、お金をいただかなくてはいけないけれど。
社会に提供できる自分の「価値」ってなんなんだろう。

ビジネスに恐さがあるのは、
この「価値」で自分を判断されるような感覚があるからかもしれない。


得意なことなら自信をもって提供できる?
好きなことなら苦もなく続けられる?

自分の社会における「価値」について、そんな思考をぐるぐると回らせている。


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