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犯罪支援


 現在、東ヨーロッパ地域ではロシアとウクライナが戦争をしています。
 

弱い者いじめ

ロシアが悪いウクライナにも落ち度があるなど、様々な意見があるようです。
 今回、両国間で行われている戦争に対して、私たちは自分の事としても、考えるべきだと思います。
 物事を客観的に見る事、中立的に見る事は、とても大切な事だと思います。
 しかし、誰かが弱い者いじめをしている時に、この理論は通用するのか少し、疑問を感じます。
 

ウクライナ

ウクライナという国は、旧ソビエト連邦の一つです。
旧ソビエト連邦の中ではかなりハイテクが進んでいる国の様ですが、国力を表すGDPは世界54番目で、198,316百万ドル(億円)となっています。
かたや、ロシアは1,775,548百万ドル(億円)となっています。
ざっくりですが、10倍近く国力に差があります。
実際の戦闘では、ロシアがかなりの返り討ちを受けていますが、それでもお金持ちが貧乏な人を、力のある者が、力の弱い者を痛めつけている様にしか、私には見えません。

中立的

中立的な目で語れば、ロシアにもウクライナを攻める理由があるかもしれません。
しかし、私の狭い知識と低い能力で判断すれば、ロシアの姿は金持ちや力のある者の、言いがかりであり、傲慢な姿にしか見えません。
身近に変換すれば、明らかに弱い者いじめをしているのと、同じだと思います。
いくら賢そうな中立的な意見を発したとしても、お金や力があるというだけで、いじめをして良い世界、いじめを容認する世界が広がっているのであれば、そこには地獄しか存在しないと思います。

親鸞聖人

親鸞聖人の遺されたお言葉に
「世の中安穏なれ仏法ひろまれ」とあります。
私には力があるから、あいつが気に入らないから、あいつは身分が低いから、あいつが思い通りにならないから、あいつが成功して羨ましいから、他人を攻撃する事に対して、自分を正当化する理由など、幾らでも作りあげる事ができます。
自分が相手をいじめという暴力を行う様に、同じ理由、同じ言いがかりで、同じ様にいじめをされたら、どんな気持ちになるのか、しっかり考えるべきです。

言い訳

相手を攻撃した後に「やや」とか「少し」とかつけて自分の暴力を軽減して表現する人もいますが、関係ありません。
ナイフで相手を、1cm刺しても10cm刺しても、結果は違うかもしれませんが、刺した行為に違いはありません。
攻撃は攻撃でしかないのです。
相手の穏やかな生活を破壊する行為に、変わりはありません。
しつこいですが、量の問題ではなく、行為そのものが問題なのです。

正義

自分が正しいという正義の発想が、視野を狭くし、暴力も生み出すのです。
お念仏の教えには、具体的な正解がありません。
これは、宗教の教えの中では、最高に難しい教えだと思います。
修行をすれば、勉強をすれば、何かに認められて、救われる、答えがもらえるという教えではないのです。
どちらかと言えば、修行や勉強をして、答えという見返りを欲しがる姿に、警告を発している教えかもしれません。
外に答えを求めている以上、いつまで経っても答えが有られるとは思いません。

成功


外にあるのは常に成功です。
成功は具体的で分かり易すいですが、常に比較対象を手に入れていく生きた方なので、そこには安らかさも、穏やかさもありません。
安心や穏やかと呼ばれる心の世界は、自分が自分を引き受けていく中で、自分で作り出すしかありません。
「幸福は各々」これは三木清の言葉です。

いじめを支援


いじめを中立的な見解で認めることにより、知的な地位を手に入れる事はできますが、それはいじめを支援している事と同じです。
いかなる理由であれ、目の前で行われている、反社会的行為を停めなければ共犯です。
お念仏の教えとは、どこまでも矛盾だらけの自分とどの様に向き合い、安心を得る事ができるかを問われている、そんな宗教なのかもしれません。

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