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光る君へ(22)なぜ明子は道長の盃を奪うのか考えてみた・大河ドラマで学ぶ脚本テクニック

大河ドラマ「光る君へ」が面白い。ということで、「「光る君へ」で学ぶ脚本テクニック」と題した動画を作っていくことにしました。動画といっても内容はスライドとテキストなので、noteにも載せていきます。今回は第22回の学びポイントです。
歴史の知識や「源氏物語」については一切触れませんので、予めご了承ください。


今回の学び

今回は、まひろと為時の越前での生活が始まったことで、新しい出会いと事件が盛りだくさんとなり、見ていて楽しい回でしたね。

でも、私が今回いちばん面白かったのは、都での源明子と道長のシーン、明子が道長の盃を奪って飲み干すところです。

これは、越前と都という2つの舞台に分かれてしまったプロットを、ひとつのドラマにまとめる要のシーンでもありました。

ということで、今回は「盃の意味」をキーワードに考えます。
まずは、そのシーンを詳しく振り返ってみましょう。

シーン振り返り

左大臣という重責に対して自信を失っている道長を、明子はこう言って励まします。

「殿に務まらねば誰にも務まりませぬ」

それを聞いた道長は、「近頃口がうまくなったな」と明子をからかいます。すると明子はこう言い訳します。

「私は変わったのでございます。敵である藤原の殿を心からお慕いしてしまった」

明子は更に続けます。

「こうなったら殿のお悩みもお苦しみも全て私が忘れさせてさしあげます」

そう言うと、明子は道長が手にした盃を奪って酒を飲み干し、さらには道長を押し倒し、覆いかぶさってこう言います。

「殿にもいつか 明子なしには生きられぬと言わせてみせます」

対比

まず、明子の最初のセリフ、「殿に務まらねば誰にも務まりませぬ」は、今回のラストシーンでのまひろのセリフ「左大臣様としたことが随分と頼りないことでございますね」と、になっています。

セリフを言うときの表情も対照的です。
明子を演じる瀧内 さんは今までにない笑顔なのに対し、まひろの吉高さんはものすごい不満顔です。

まひろが落胆したのは「越前のことは越前で何とかせよ」という道長の突き放すような返事に対してです。しかし道長にしてみれば、伊周や定子のことで、今はそれどころではありません。そんな道長を 明子が優しくヨイショする。それがこのシーンの冒頭部分です。

これに先立ってまひろは、「頼りになる」薬師のイケメンと出会っています。しかもその場面は、砂に名前を書いたりして、第1回の道長との出会いにワザと寄せて描かれています。

吉高さんは、このイケメン薬師に相対するときの表情と、道長の手紙に「頼りない」と不満を漏らすときの表情を、かなりオーバーに演じ分けています。

これらの対比は、前回あれだけ「心と心のつながり」を確かめ合ったまひろと道長が、早くも分断の危機に陥っているという表現です。

そしてこの対比が、越前と都で別々に進行するプロットを、ひとつのドラマとして上手くまとめているわけです。

「私は変わった」

次の明子のセリフ、これが非常に重要です。「私は変わったのでございます。敵である藤原の殿を心からお慕いしてしまった」

このセリフから、一気に不穏な空気が流れ始めます。

本当に明子が「変わった」ことを描くのなら、「私は変わった」と自分では言わせません。あえてそう言わせているのは、逆に彼女が「変わっていない」ことを表現するためです。

つまり「私は変わった」というセリフは「フリ」です。このフリによって、明子の微笑みが一転、得体のしれないものに見えはじめます。

そして最後のセリフ「殿にもいつか 明子なしには生きられぬと言わせてみせます」によって、わたしたちの不安は決定的なものとなります。

このセリフ 愛の言葉のようにも聞こえますが 言っている内容はかなり狂ってます 要するに「やられたからやり返す」と言っているわけですから。

しかもこのとき、明子はもう笑ってはいません

このオチで私たちは悟ります。ああやはり、明子は兼家を呪詛したときと本質的には変わっていないのだなと。

殊勝なセリフを吐きながら 明子は道長の心を奪うことしか考えていません それは相手の命を奪う呪詛と根っこは同じです。

この解釈は、撮影方法からも裏付けられます。明子が道長に覆いかぶさる場面は、よく見ると画面が小刻みに揺れています。「光る君へ」では珍しく「手持ち撮影」で撮っているからです。

「手持ち撮影」とは、カメラを三脚に固定せず、肩に担いだり手で持ったりする方法で、わざと画面に揺れを加えて、不安や恐怖を煽るのによく使われます。サスペンスやホラーで多用される撮り方ですね。

この撮影方法から考えても、これが素直なラブシーンでないことは明らかです。

盃の意味

さて、ここまで考えると、盃の意味は明らかですよね。盃は道長の心をあらわしています。

”私はこの盃のように、あなたの心を自分のモノにしてみせる”
そういう明子の心情を、セリフではマイルドに、しかし動作ではワイルドに表現しているわけです。

道長から盃を取ってその酒を一気に飲み干す瀧内さんの演技は、抑えた静かなものでしたが、しかし有無を言わせない恐ろしさがありました。まさに「奪う」「取り上げる」といった感じの演技です。

道長を押し倒して覆いかぶさるという最後の明子の動作、これは前回のまひろの口づけとになっています。

どちらも女性からのアプローチですが、意味は正反対です。与えるまひろに対し奪う明子、そんなイメージです。

さっきも言いましたが、明子の一方的な愛情は、相手への執着という意味では、呪詛と同じです。にもかかわらず明子に「私は変わった」と言わせているのが、このシーンのミソだと思います。

それにしても、もし現実の生活で、まったく変わっていないにもかかわらず「私は変わった」と言ってくる人がいたら、とりわけそれが身近な人だったら、かなり怖いですよね。

愛と憎しみは表裏一体」というのは陳腐な常套句ですが、このシーンはそれをとても巧みに表現していて、個人的には大変面白いシーンだと思いました。


最後までお読みいただきありがとうございました。

背景画像:
From The New York Public Library https://digitalcollections.nypl.org/items/510d47e3-fe62-a3d9-e040-e00a18064a99

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