![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/145289621/rectangle_large_type_2_d32441cea73dfa2314f63e9d0f165c6c.jpeg?width=800)
光る君へ(25)まひろの「長すぎる沈黙」について考えてみた・大河ドラマで学ぶ脚本テクニック
大河ドラマ「光る君へ」が面白い。ということで、「「光る君へ」で学ぶ脚本テクニック」と題した動画を作っていくことにしました。動画といっても内容はスライドとテキストなので、noteにも載せていきます。今回は第25回の学びポイントです。
歴史の知識や「源氏物語」については一切触れませんので、予めご了承ください。
今回の学び:長すぎる沈黙
![](https://assets.st-note.com/img/1719404830311-N00s0f4rm5.jpg?width=1200)
今回私が注目したのは、宣孝に怒った後、ひとりで物思いにふけるまひろの「長すぎる沈黙」です。
セリフも動きもないまひろのアップが、およそ30秒間続きます。
こういうカットがこれだけの長さインサートされるのは、テレビドラマでは異例のことだと思います。
これは、宣孝との結婚を決意しながらも、なおためらうまひろの心情を表現しているわけですが、この極端な演出からは、その背後にある演出家の「考え」をうかがいい知ることもできるような気がします。
まずはそのシーンを詳しく振り返ってみましょう。
シーン振り返り
![](https://assets.st-note.com/img/1719404842190-zRP1fMiew8.jpg?width=1200)
宣孝は道長と会ったことをまひろに告げます。
「お前を妻としたい旨もお伝えしたら つつがなくと仰せであった」
それを聞いて、まひろは動揺します。
「そのようなこと 何故 左大臣様に…」
宣孝は意地悪く言います。
「挨拶はしておかねば あとから意地悪されても困るからな」
まひろは激高します。
「何なんですか その嫌らしい物の言い方は!」
宣孝は一転真顔になります。
「好きだからだ お前のことが」
まひろは戸惑いを隠せません。
「お帰りくださいませ」
宣孝は茶化しながら立ち去ります。
「はーい また怒られてしまったわ ハハハハ!」
ひとり残されたまひろは、もの思いにふけります。
異例の演出
![](https://assets.st-note.com/img/1719404854968-ahrEAnSan0.jpg?width=1200)
この最後のまひろのアップに「おお…」と驚いた方は、私だけではないと思います。
およそ30秒、ワンカットでセリフのないアップが続きます。演じる吉高さんはかすかに目線を動かし、カメラも繊細にその動きを追ってはいるものの、ほぼ動きのないショットです
これは基本的にテンポが良い「光る君へ」では たいへん異質なショットです テレビドラマとしても 異例の演出と言っていいのではないでしょうか。
もしこれが舞台劇なら、「セリフを忘れたのかな」と勘違いする観客がいてもおかしくないような、それくらい「長い沈黙」でした。
最初に言いましたが、このショットはまひろの葛藤を表現しています。
しかしそれにしても、ここまで極端な「長回し」を、これまでの演出スタイルを逸脱してまで使っているのはどうしてなんでしょうか。
私はそこに、演出家の「考え」が出ているように思えてなりません。
演出家の「考え」
![](https://assets.st-note.com/img/1719404866677-JXn79WIOmN.jpg?width=1200)
要するに、ことここに至っても、演出家は「まだ足りない」と考えている。
未だに道長が忘れられないまひろと、まひろを少女時代から知っている親戚の宣孝との結婚を、現代の感覚でも納得できるよう描けているかというと、まだそうなってはいないと考えている。
演出家のそういう考えが、まひろの「長すぎる沈黙」にあらわれているように思います。
前回の、宣孝の求婚、周明への幻滅、さわの訃報、そして今回の、為時のアドバイス、いとと乙丸それぞれの結婚、これらのエピソードはすべて、宣孝との結婚に向けてまひろの背中を押すものです。
「これだけ背中を押せば、もうスパッと結婚させてもいいじゃないか」
正直私はそう思っていました。なぜなら、まひろが悩み、迷い、苦しむ様子は、もう十分描かれてきた気がするからです。
しかし、今回の30秒という「長すぎる沈黙」を見て、「ああ、演出家は私より遥かにシビアに考えているんだな」と思い知らされました。
演技における沈黙の長さや、編集におけるカットの長さは、脚本で指定するものではありません。基本的には演出家の領分です。
ですから 今回の「長すぎる沈黙」は、まひろの結婚に対する演出家の
シビアな考え方をあらわしているのだと思います。
そしてそれは 今回のラストシーンにも表れていたように思います。
ラストシーンの演出
![](https://assets.st-note.com/img/1719404878789-lgiNTrB64Z.jpg?width=1200)
まひろと宣孝が結ばれるラストシーンのセリフはこうです。
「私は不実な女でございますが、それでもよろしゅうございますか」
「わしも不実だ あいこでる」
「まことに」
まひろの言う「不実」とは、心では宣孝よりも道長を愛しているということでしょうし、宣孝の言う「不実」とは、すでに何人も妻を持っているという意味でしょう。どちらの「不実」も完全に現代の感覚です。
それぞれの過去を抱えた男女が お互いを理解したうえで結ばれる。
これは現代の映画やドラマで何度も繰り返されてきたパターンです。
私は以前からずっと、まひろと宣孝の結婚をどう描くかは、脚本的な大問題だと言ってきましたが、前々回からのエピソードの積み重ねと、このラストシーンの、お互いの不実を赦し合うことで結ばれるという落とし所は、やはり上手いなあという感想しかありません。
一方で演出は、「長すぎる沈黙」で感じたのと同じく、まひろに対して予想以上にシビアだなあと感じます。
それは第10回の、まひろと道長が初めて結ばれるシーンと、今回のラストシーンを見比べればよく分かります。
道長とのシーンが、青く明るい月あかりの下でロマンチックに演出されていたのに対し、この宣孝とのシーンは、暗い灯明に浮かび上がる堅苦しく味気ない営みとして描かれています。
そして極めつけは、ラストカットです。
日食で欠けた赤く暗い太陽。
これは明るく青い月と対になっています。この、道長とのラブシーンとのあからさまな対比は、演出的な意図だと思います。
さらなるダメ押しは「翌日は日食 不吉の兆しであった」というナレーション。
まるで まひろと宣孝の結婚が不吉なものであるかのような印象を与えます。
お互いの難点を認めあった男女が、これから先共に生きていくことを誓い合う場面だというのに、これはちょっとキビしすぎる描き方じゃないでしょうか?
しかしまあ、まひろが結婚してメデタシメデタシでは、あと半年ドラマが持ちませんから、「長すぎる沈黙」の演出にしても、このラストシーンの演出にしても、この先まだまだ続くドラマを考えての演出なんだろうと思います。
今後この二人がどうなっていくのか 楽しみにして見ていきたいと思います。
最後までお読みいただきありがとうございました。
背景画像:
From The New York Public Library https://digitalcollections.nypl.org/items/510d47e3-fe62-a3d9-e040-e00a18064a99
動画
よろしければサポートお願いします! いただいたサポートはクリエイターとしての活動費に使わせていただきます!