見出し画像

canとmayを混同させる妖怪 〜canとmayの違い〜

結論から言うと、あなたを混乱させる正体は、canを「〜できる」という日本語にしたため生じた妖怪です。どうぞ最後までお付き合いください。
さて、詳しく見ていきましょう。

⚪︎ His story may be true.
× His story can be true.

えっ?ばかな!!なんで!??canはダメなの?
バツ、マルの理由は、ネットでググったり各参考書にあたっても、わかったようで正直何だか、うまく言いくるめられたと感じるのですが、この記事を最後まで読めばハッキリと判明します。違いが分かりづらいので、あえてくどくしています。

たしかにcanについて「彼が話したある一つの話は、本当のことであり得る」と捉えられなくもありませんが、それは嘘か真かになるのでcanは不適。mayが適格。深く考えず次行きましょう。

⚪︎ Jane may be annoying sometimes.
⚪︎ Jane can be annoying sometimes.

日本語訳はほとんどかわらない。
mayの場合は、ジェーンがannoyイライラうるさい事について、そう成るか成らないかのうち、どっちかになるね。と言っている。
一方、canの場合はジェーンがイライラするか否かを言っているのではなくて、Janeの特性を描写している。つまり、Janeの普通の時もあれば陽気な時、饒舌な時、笑い転げているとき、悲しい時、泣いているとき、鬱なときetc…があり、その内の一つの様態の描写。


伊豆爬虫類動物園『iZoo』で、果物や花、昆虫はたまた小動物まで食べる雑食性のトカゲがいて、例えばフトアゴヒゲトカゲBearded Dragonについて飼育員がお客さんに説明する

A Bearded Dragon can eat crickets.

食性の一つの性質を描写している。これは、コオロギcricketsを食べること出来るということ。雑食性Bearded Dragonの数ある食性のうちの一描写。当然、これを言うためには、食性を知っているという根拠がなければ言えないことである。それは助動詞はあくまでも話者の主語に対する見解、意見だからです。

This Bearded Dragon may eat crickets.

一方、これは、フトアゴヒゲトカゲを見に来たカップルが、恋人の質問に、男が答えるセリフ。エサ箱の中にコオロギがいるから、コオロギを食べるか食べないか、YesかNo。コオロギを「食べるかもね〜」。この場合、男がヒゲトカゲがコオロギを食べるかどうか知らなくてもいえる。

一番最初にあげたHis story can be true. は真実か否かで不適。JaneやBearded Dragonは1つの個体単数だが、普通の精神状態、不機嫌とか陽気等々成りえるし、後者なら、果物、花、昆虫など食べれるからcanが成立できる。

イメージ的に


医者が、診察および血液検査等各種検査結果をもとに、患者へ

This illness may be fatal.
This illness can be fatal.

mayの方がDoctorから言われてショックを受ける。それはmayの場合、fatal致命的に成るか否かDead or Alive。どっちらかです。と言っているから。canの場合は、一歩引いて、病気の特性を話していて、その病気が持っている、病気の転帰の一つとしてfatalがあると言っている。



⚪︎ It may snow tomorrow in Boston.

明日、雪が降るか?という質問の答えは、明日、ボストンで雪が降るか否かの話なのでmayが適格。canは×。mayは成るか成らないか、Yes,No、裏か表か。しかし、一歩引いて、tomorrowがなく、このボストンという地域に雪は降るか?という質問の答えなら、雨や、竜巻、ひょうなどの内の一つだからOK。

⚪︎ He may be out of town, Since there's no response from him.
⚪︎ Oh, are you going out now? You may get wet if you don't take an umbrella.

どちらも、いるかいないか、濡れるか濡れないかの話だからmayが適格。canは不適。

くどいようですが、mayは一つの事に対しそれが有るか無いか、YES、NO、白か黒か。下図の例だと星が有るか無いか、星になるか成らないか(つまり50%)がmay。
一方、canは、主語には四角、丸、星、角のない四角、三角の選択コマンドがあると言うこと。その中のを選べる(=可能性)し、実行可能(できる)という能力を示しているだけ。ただし、ただし!それは完遂は意味しない。(←超重要なことです)日本語の「出来る」とすると、まるでその行為を完遂している意味に取れてしまいますが、英語のcanはそうではなく、あくまでその四角だったり、丸等がある中で、星の実行可能な選択コマンドがあると言っているだけの表現。
許可ーあなたにはその選択コマンドがある。申し出、依頼ー私には、あなたには、その選択コマンドがありますか?ということ、canには、いろいろな用法がありますが、これで統一できそうではありませんか。

いかがでしょうか?ちょっとくどかったですが、ここまで読めばcanとmayとの違いの概念が判明したのでは無いでしょうか?


結論
日本語の「〜出来る」には、英語のcanの意味との間に、会心の一撃的ズレが有る。
canはゲームのドラクエやファイナルファンタジーの選択コマンドと同じで、主語がその内の一つの選択肢があると言う(話者の主語Sに対する見解)だけの表現。その実行を意味しない(完遂は言っていない)。幾つか選択コマンドがある中で(可能性)、それを実行すれば可能(出来る)。という能力の描写なのです。

canを『出来る』という日本語にあてたが為に、結果的に、過去時制のcouldが『出来た』となってしまい、誤解されていますが、真実は過去のその時に、そのコマンドを選択実行可能だったという表現だけで、実際にその行動をやったとは言っていない。日本語に惑わされていると信じがたいですが、couldはその過去の時、その行為をやった、完遂したと言うことではないのです。実際、やったかもしれない、でもそういうことをcouldは表現していない。その日本語の『出来た』という完遂と意味が同じなのは"be able to"の過去時制です。
couldを「出来た」と日本語で表現しているのは、日本語でもまず、そういう意味で取らないその時やれば出来たの「出来た=〜することが出来た」なのです。それをはっきり明言しないって、一体どういうことでしょうか。酷くないですか?
※※詳しくは、この記事の一番最後に記しました。
※couldの可能性の用法についてはココのリンク先参照

このように、英語のcanの意味と日本語訳の『出来る』には致命的なズレが有るため、日本人にとっては、canは重大な二重基準が存在すると言うことになります(現在形と過去形ifと同じように)。だから、意味を突き詰めると日本語との概念の違いに行き着き混乱するのです。
mayを二択とすると、延長上にcanになってしまいます(三択以上がcanだから)。だから、mayは二択と表現しません。あくまで裏or表、黒or白、On,Off。

※以上は『謎解きの英文法 助動詞』および『謎解きの英文法 時の表現』久野暲・高見健一著をまとめた私の意見です。是非ともこの名著をお読みください。

ここまで読んでくれてありがとう。
お疲れ様でした。
あなたに幸あれ!


※※日本語でもまずそう言う意味で取らない『出来た』の例。

I could swim all the way across Walden Pond in my youth.
若い頃の私の水泳能力の一側面描写(池で、海で、川で泳いだ)もしくは、ジョギングしたり、サイクリングしたり、走ったりとか運動能力のいろんな実行可能なコマンドとしてあったうちの能力の描写。
この「泳ぐことが出来た」は泳いだと言う完遂を意味しているのではなくて、若い頃、泳ごうと思えば泳げたの『出来た』。
それがcouldの『出来た』。

日本語の「出来た」はa実際にそれをやったと言う完遂の意味と、bやれと言われれば「出来た」、やれば「出来た」とかの未完遂の『出来た』の二つ意味が取れます。「出来た」と聞いて日本人はまず100%aの意味を取りますが、couldの意味はaでは無くてbなのです!!日本語として滅多にそう取らない意味の『出来た』なのです。

この超重要事項をハッキリ言わない日本語英語はどうよ?とチャブ台返したくなる。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?