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日本語英語教育に物申す 〜英語の言語構造についてのパラダイムシフト〜

この記事を読めば、英語について全く新しい目を手にすることが出来ます。(ココの問題提起の自分なりの答えの一つです)。と偉そうなことを言いましたが、どうぞ、お気楽に最後までお付き合いください。

幼児は、1年前はもちろんのこと、1年後のことは考えない。昨日のことや明日のことだって考えていない。
大事なのは「時間」では無く今置かれている状況です。「ぼくやあたしが甘い物が食べれるか?ママはどこに居るのか?この人は優しい人?」等々、今の自分に影響あるかどうかです。これは、幼児だけでは無い、有史以前の大人だってそうであったはずです。今日生きれるかどうか最重要項目。食べ物にありつけるかどうか?今現在、獲物はどこにいる?もしくは、生命を脅かす猛獣は近くに居ないか?Dead or Alive。ようするに、幼児と同じく、最重要事項は今置かれている状況および自分に影響があるか否かです。その上で、他者と情報交換する場合、現実か否か。それはお前の想像か否か。お前の感情か否か。その見極めを厳密にしないと、食にありつけないどころか、死に直結します。
言語の発生、発展からいって、その有無が核、絶対軸では無いでしょうか?
直接自分に影響を与える、その現実を描く世界がPresent form現在形です。
その否かがPast form過去形。今の自分に影響しない世界です。

仮定法Subjunctive
静岡駅で上りの新幹線に乗ったら東京へ、下りに乗ったら大阪へ。でも、もし南北に静岡駅発の新幹線があったら(現実は無い涙)、新潟へも簡単に行ける。
もし、あの高草山に登れば、富士山が一望出来るんだ。でも、もし鳥になって高草山と同じ高さに飛べれば、いつでも素晴らしい眺望を見る事ができるのに。
静岡駅に今自分がいるのも現実。東に東京があるのも、西に大阪があるのも現実。
このホームから乗れば東京へ行くことも現実、反対のホームは大阪行くことも現実。
どっちに乗ろうが、直接自分に(あなたに)影響する関与できる現実の話(中学で習うif=直説法)です。しかし、静岡発の南北の新幹線に乗るのは、自分にもあなたにも全く影響しない話です(高校で習う仮定法)。
高草山に登ろうが登らまいが、登れば富士山が見えるのは現実の話。自分が(会話しているあなたも)登れば見えます。直接自分に影響がある話(直説法)。しかし、自分が鳥になって空高く飛んで眺望を楽しむのは、自分には(当然話している相手も)全く影響しない関係がない関与できないことです(仮定法)。

Past form
秋である今、北海道のウヨロ川へ行けば鮭が俎上しているから大量に獲れるその事実は、直接今の自分に影響する話。しかし、去年の秋のウヨロ川の鮭の話をしても、事実であっても自分には全く影響しません(半年前の春の話をされても当たり前だが現実の今は鮭は獲れない)。
先日の帝国劇場でのオペラ座の怪人は、今日のオペラ座の怪人の演劇には全く影響できない。影響するのは今日の演技だけです。昨日のヒロインが幾ら悲鳴を上げようとも、今日の私には聞こえないし、昨日ヒロインが今日の主人公にビンタはろうとしても出来ないのです。もっと言うと、自分の想像上のヒロイン(仮定法)も、今日の演劇の主人公にビンタをはれないのです。
今のこの現実に影響出来ない世界で、何が起ころうとも、何があろうとも、当たり前ですが現実には影響出来ないし関係がありません。それが時間的なことで影響出来ないのか、妄想(仮定法)だから影響出来ないのか。それが現在形Present formと過去形Past formの違いではないのでしょうか?時間ではなく。

日本語英語は、時間的に「過去」か「現在」かを最重要概念、絶対軸として置きますが、そうではなくて英語を前述に則して分けると、時間的過去もちろんのこと、仮定法も直接、今の自分には影響しないから、まとめてPast formで表すことになり、辻褄があいます。※過去形の多義性についてはココクリック
英語の世界を時間で現在形、過去形と分けているのではなく、自分に影響、関与出来るか否かでPresent form、 Past formで分ける(大事なので二度だけじゃなく何度でも言いました)のです。
Present formとPast formを日本語の『現在』と『過去』と言う言葉にあてるから、日本語の概念に引っ張られて、惑わされてしまうのです。
だからこそ、今私に影響しない関与できないはずの過去を、影響、関与させる場合に完了形が必要となってくるのです。※ここは後述で詳細したいココ(←詳細はクリック)。日本語英語は過去past formと現在present formを、従来の一本の時間物差しスケールとして、繋がった表現をするから判らなくなるのです。つまり、理解できない概念は、日本語の言語構造や日本語の言葉に囚われているからそう感じるのです。
時間を繋がった時間物差しスケールで表現した上で、時間を絶対軸にすると、完了形と仮定法の必然性に疑問符が付いてしまうのです。

依頼や申し出等のPast formが丁寧な言い方になる場合もあるのは、時間的に過去だからでは無く、面と向かっているにもかかわらず、現実に影響しないよと言っているから(断っても影響ないよ=断っても大丈夫だよ)、その分、婉曲した表現で、丁寧になるのでしょう。

※日本語と英語の言語構造の違いは『英文法を哲学する』佐藤良明著、『英文法の正体』濱田英人著、『「自分カメラ」の日本語「観客カメラ」の英語」』熊谷高幸著を参考にしました。

ここまで読んでくれてありがとう。
お疲れ様でした
あなたに幸あれ!


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