日本語英語教育に物申す 2

英語の言語構造について

幼児は、1年前はもちろんのこと1年後のことは考えない。昨日のことや明日のことだって考えていない。
大事なのは今置かれている状況だ。ぼくやあたしが甘い物が食べれるか?ママはどこに居るのか?この人は優しい人?等々、今の自分に影響あるかどうかだ。これは、幼児だけでは無い、有史以前の大人だってそうであったはずだ。今日生きれるかどうか最重要項目。食べ物にありつけるかどうか?今現在、獲物はどこにいる?もしくは、生命を脅かす猛獣は近くに居ないか?Dead or Alive。ようするに、幼児と同じく、最重要事項は今置かれている状況および自分に影響があるか否かだ。その上で、他者と情報交換する場合、現実か否か。それはお前の想像か否か。お前の感情か否か。その見極めを厳密にしないと、食にありつけないどころか、死に直結する。
言語の発生、発展からいって、その有無が核、絶対軸では無いのだろうか?
直接自分に影響を与える、その現実を描く世界がpresent tenseだ。
その否かがpast tense。今の自分に影響しない世界だ。
助動詞auxiliary verbとは、現実世界present tenseの中において、話者が不確定と考えている話で、今の自分に影響するかもしれない描写だ。

仮定法subjunctive
静岡駅で上りの新幹線に乗ったら東京へ、下りに乗ったら大阪へ。でも、もし南北に新幹線があったら、新潟へも簡単に行ける。
もし、あの満観峰に登れば、富士山が一望出来るんだ。でも、もし鳥になって満観峰と同じ高さに飛べれば、いつでも素晴らしい眺望を見る事ができるのに。
静岡駅に今自分がいるのも現実。東に東京があるのも、西に大阪があるのも現実。
このホームから乗れば東京へ行くことも現実、反対のホームは大阪行くことも現実。
どっちに乗ろうが、直接自分に(あなたに)影響する現実の話(中学で習う直説法)。しかし、南北の新幹線に乗るのは、自分にもあなたにも全く影響しない話だ(高校で習う仮定法)。
満観峰に登ろうが登らまいが、登れば富士山が見えるのは現実の話。自分が登れば見える。直接自分に影響がある話(直説法)。しかし、自分が鳥になって空高く飛んで眺望を楽しむのは、自分には全く影響しない関係がないことである(仮定法)。

past tense&auxiliary verb
今、秋の北海道のウヨロ川へ行けば鮭が俎上しているから大量に獲れるその事実は、直接今の自分に影響する話。しかし、半年前の春のウヨロ川の鮭の話をしても、事実であっても自分には全く影響しない(去年の秋であっても当たり前だが今現実に鮭は獲れない)。
先日の帝国劇場でのオペラ座の怪人は、今日のオペラ座の怪人の演劇には全く影響できない。影響するのは今日の演技だけだ。昨日ヒロインが今日の主人公にビンタはろうとしても出来ないのである。もっと言うと、自分の想像上のヒロインも、今日の演劇の主人公にビンタをはれないのである。
今のこの現実に影響出来ない世界で、何が起ころうとも、何があろうとも、当たり前だが現実には影響出来ないし関係が無い。それが時間的なことで影響出来ないのか、話者の頭の中のことだから影響出来ないのか。

中学で習うif(直説法)と高校で習うif(仮定法)。日本語だと文法上の区別はない。全く同じ仮定の話(この両者を、現実可能性の度合いの差と捉えると日本人には区別が無いので理解し難い)。※日本語は感想、独り言言語だから区別する必要がない。一方、英語は状況説明言語。現実か否か、自分に影響を与えるか否かを絶対軸に置くから完全に区別する(可能性の度合いではなく、自分に影響をあたえ得るか否かと概念理解、区別する)。だから日本語にはない仮定法という区別が必要なのだ。
仮定法はもちろんのこと、過去も直接、今の自分には影響しないことをpast tenseとする英語。
だから、過去が今に影響する形の完了形perfect tenseが必要なのだ。

だが、今現実に影響しないと決めているのは物理法則でも神様でもない。話者だ。したがって、話者の気持ちや思いが大いに影響するし、話者が確定できないこともある。それが、助動詞過去形が時制的に現在の意味も取ることでは無いだろうか・・・

助動詞について、ネイティブはどのような言語プロセスを取るのだろうか?
ます、頭の中で、彼女が走っていることをイメージする。
そして、それに対し、自分がどう感じているか、思っているかを、助動詞を添えて、発話し表現する。このようにして、これは私の思っていることだよ、見解だよと相手に、聞き手につげている。
聞き手は、助動詞があるので、自分に私たちに影響するとは考えない。その可能性が有る、影響しうる現実だと認識する。と認識する。
一方、これをranとpast tenseで語る場合、話者も聞き手も今の現実では無い(いまここに影響出来ない)と認識する。
どう影響できないか?

過去の文言があれば→時間的な理由で
仮定法であれば→空想だからで

しかし、現実に影響できるかを、話者が100%完璧に判断できるわけでは無い。その話者のこの件に関しての不安定さ、不確実さを助動詞過去形で表明しているのでは無かろうか。
だから

She could run 10km in under an hour.

はpast tenseを使って表現しているのに、現在時制の意味も持つのでは?(助動詞がない動詞のpast tenseだけだと影響しないと言い切ってしまう)
しかし、話者の主観を意味する助動詞をpast tenseで表現しているので、話者は、現実に影響する度合いは低いと思っている(表現している)のではなかろうか。

依頼や申し出等のpast tenseが丁寧な言い方になる場合もあるのは、過去だからでは無く、面と向かっているにもかかわらず、現実に影響しないと言っているから(断っても影響ないよ=断っても大丈夫だよ)、その分、婉曲した表現で、丁寧になるのであろう。

このように、日本語英語は、最初に、preset tense, past tenseを時間の違いのみしか意味しない『現在』と『過去』という日本語の言葉を当てたが為に、英語が時間を絶対軸に置く言語構造を作り上げたのではなかろうか。
(仮定法過去が時制的に現在の事を言っているのに過去形を使う矛盾もpast tenseを現実に影響しない事とすれば生じなくなる)
その理論体系であると、天動説で月や太陽の運行までは矛盾なく説明できたのに、火星、木星など他の惑星の運行なればなるほど途端に奇天烈な天体運行をしないと説明つかなかったように(『チ。ー地球の運動についてー』 魚豊作、または動画がYouTubeに多数ある)、中学1、2年ぐらいまでの現在形、過去形で語っている限りは問題なかったのに、助動詞が出始めてから怪しくなり、完了形、仮定法となると途端に複雑怪奇になる。これは天動説が破綻していることと同じく、理論が破綻している事を意味しないか?
これほど根本的に違うというのは言い過ぎだとしても、ニュートン力学が地球上の物理運動には何の矛盾も生じないが、星々天体運動となるとズレが生じるぐらいの、実状との相違はあるだろう。

※日本語と英語の言語構造の違いは『英文法を哲学する』佐藤良明著、『英文法の正体』濱田英人著、『「自分カメラ」の日本語「観客カメラ」の英語」』熊谷高幸著を参考にしました。

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