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日本英語界に対する挑戦 〜完了形の用法という幻影〜

大仰なタイトルですが、読み物として楽に読んで頂ければうれしいです。
ただ、本記事を最後まで読んで頂ければ、完了形は100%理解できること請け合いです。どうぞ最後までお付き合いください。

英語は、物理学や哲学のように、習得に自分の能力は依存しない。なぜなら、ネイティブは、子供だって自由に使いこなせているからです。
ではなぜ?・・・、何かがおかしい・・・。
そう、自分に問題が無いとすれば、その間を橋渡しをする日本英語に問題がある。と言うことにならないでしょうか。

今回、全く新しい視点で完了形の用法を解説し、そこから日本語英語に潜むワナについても明らかにしてみました

最初に完了形の結論二つ述べます

完了形の本質は言外に言いたいこと
完了形の用法は機能では無く分類

順に説明します

以下、T.D.ミントン著「ここがおかしい日本人の英文法」9章、11章から引用。
『「現在完了形」は、その名が示す通り、過去に起こった事柄が、現在と極めて強いつながりを持つ時に使われます』

→とあり、その例として。

『I’ve had lunch.
例えば、「昼食はもう食べてしまったので(折角ですが、あなたの昼食の誘いには応じられません)」とか「昼食はもう済ませたので(今は時間があります)」など』

→()内は発言していませんが、言外に言いたいこと。つまり、現在ときわめて強いつながりを持つこと。

また、別の例として。
『mother: Don’t forget to clean your teeth!
son: I’ve already cleaned them.(So I don’t need to do it now.)

A: When are you going to Sapporo?
B: I’ve already been.(So I have no intention of going there now.)』

→()内が実際には発言していないが、言外に言いたいこと=現在ときわめて強いつながりを持つこと。

さらに、単純完了形と完了進行形の違いは

『現在完了形が伝えたいことは、〜略〜、「行為のもたらす結果」です。
現在完了進行形が伝えたいことは、「行為それ自体」です』
以上引用終わり。
とあります。
河上道生著「英語参考書の誤りとその原因をつく」改訂増補版p395では、ネイティブの文法書の見解を紹介していますが、T.D.ミントン氏と同じことを言っています。
John has painted the door.の現在完了形について
We are interested in the result of the action, not in the action itself.
現在完了進行形については、John has been painting the door.
We are interested in the action. It does not matter whether something has been finished or not.
引用終わり。
抽象的ですが、これはつまりは、現在完了形と現在完了進行形は共に言外に言いたいことを表現するのだけれど、その違いは、言外に言うためのネタが違うということなのでしょう。


一方
河上道生氏同書p376〜p398
この書物でのその部分の論点は幾つかありますが、要旨は以下の通りです。

完了形(完了進行形)の「完了」、「継続」、「経験」は動詞、文脈によってまちまち。

have goneでさえも「継続」や「経験」の用法が用いられることがあるのです(→p387参照)。
なんか、これは、非常に奇妙なことでは無いでしょうか?
John has been painting the door.に至っては、ネイティブの言語学者によってでさえ、ペンキが塗り終わっているか終わっていないかが意見が違うのです。

まったく、一体これはなんなんでしょうか!??

Why American people!!!?
そもそも、「完了している」ことと「継続している」は意味的に真逆のこと。それが動詞や文脈、場合によっては聞き手によってでもマチマチと言うのは、あまりにもおかしい。伝えたいことがコロコロ変わるなんて、意思伝達の言語としての機能が成り立ちません。そんなことが文法用法としてあっていいものだろうか。いやない!

しかし、どんな状況でも変わらないことがあるとすれば、それは前述の

「発話時以前に起こった事柄が、発話時の「今」に関係する」

と言う点。
コレでしょう。この、『発話時以前に起こった事柄をネタにして言外に言いたいことがある』が、完了形が言い表す本質でしょう。「完了」、「継続」、「経験」の用法ではなく。だからブレてない。
完了形に用法が『ある』という能動的なものではなくて、完了、継続、経験に分類しようとすればできるという受動的なものではないでしょうか。
つまり、完了形には「完了」、「継続」、「経験」の『機能』があるのではなく、それはただの分類にすぎない
下図のように、『発話時以前に起こった事柄をネタにして言外に言いたいことがあることを、一本の物差し時間スケールで分類すると、それはーーー発話時に終わった「完了」の時と、発話時でも続いている「継続」の時、発話時から離れた「経験」場合の三種類に分類できる。と言うだけ』のことではないでしょうか。機能ではなく。そのように考えると、どんな場合も「言外に言いたいことが有る」ことの存在が変わらず、一方、用法は文脈と動詞によってコロコロ変わると言うナゾの現象の説明がつきます。それだけでなく、後日後述する、助動詞+完了形がストンと理解できるようになります。
ネイティブの言語学者が「重要なのはそこじゃない」と言及しているように、日本語英語が重要視する完了形の用法は、機能ではなく分類なので、言語学者以外は分類することの意味は無く、不要なことなのではないでしょうか。
例えると、「大リーグで活躍する大谷翔平くんのバッティングが凄すぎる」。だから〜etc、ということが言いたいことの本質なのに、彼のバッティングプレーについて、ホームラン(ヒット)の時もある、取られてアウトの時も、三振の時もあると分析しているようなものです。大谷くんの凄いバッティングがその三種類に分類できるのは当たり前ですし、バッティングの結果が状況によってコロコロ変わるのは当然です。

旧態の時間スケールによる分類

「経験、完了、継続に何でそこにこだわるの?」とネイティブ意見が散見します。
それは、日本語英語は上図のような時間物差しスケールを用いた為に、言外に言いたい事をソコに見出すことができなくなってしまい、結果、分類を「用法」と言う機能に変換せざるを得なくなったから。そうしないと、完了形の存在意義、完了形の意味ががなくなってしまう。そして、後述する言霊の存在によって、完全に元々の意味から外れた独立した意味存在になってしまったから。だから、日本語英語はソコにこだわるのです。

そういえば、ネイティブが書いた英文法を三冊(T.D.ミントン著「ここがおかしい日本人の英語」、マーク・ピーターセン著「日本人の英語」、ポール・マクベイ/大西泰斗共著「ハートで感じる英文法」)ほど読みましたが、完了形の用法について言及はほぼ皆無でした。はたして、本当にネイティブ英文法には、日本語英文法と同じように完了形の用法の重要性を教えているのでしょうか?
そもそも、完了形の英語はperfect formですが、perfectにナゼ『完了』と言う言葉を日本語英語はあてたのでしょうか。

時間物差しスケールを用いることのもう一つの重大な問題

時間物差しスケールを用いると過去形と完了形の違いが困難になる。
詳しく見ていきましょう。
完了形の本質が「発話時より以前に起こった事柄が、発話時の「今」に関係する」(から言外に言いたいことが生まれる)であるから、完了形は、過去と今現在が従来の「1本の時間スケール」で繋がっておらず、過去形が話者の発話時の今現在とは切れている、全く影響できない、関与できない、関係ない。ということを前提にしないと成り立たない。というか完了形が存在出来ません。

一応従来の時間スケールにバッテン印。そうではなくて↓


時間を含め世界を話者と関係があるか否か、関与できるか否か、影響できるか否かに分けた世界


過去形と現在完了形の違いについて、T.D.ミントン氏同書p45p46では以下のように述べてます。
『No one knows what happened to the explorer after he set out for the North Pole.
No one knows what has happened to the explorer since he set out for the North Pole.
「探検家が北極に向かって出発した後、どうなったかは誰も知らない」
日本文は同じでも、それに対する2つの英文は、非常に異なる意味を聞き手に伝えています。前者は、もうすべてが終わってしまって、探検家のことは忘れ去られ、もはや誰もその探検家を発見しようとか、どうなったか突き止めようなどとは思わない状態を表しています。一方、後者は、現在完了形が現在との明確なつながりを与え、状況は変化する可能性があることを伝えています。つまり、今後、探検家が発見されたり、あるいはどうなったかを私たちが知る可能性が残されていることがわかります』
引用終わり。
これは、Past formが、今我々がいるPresent formに、まったく影響出来ない、関与できない、関係がない事柄である(←詳細はリンク)。過去形はテレビや映画を見ているのと同じ。と考えるとすんなり理解できます。例文後者の完了形は言外に言いたいことを、ミントン氏は示唆するだけで明言していませんが、大規模な捜査隊を組織したとか、探検家を発見した。とか、生存の可能性を見つけたとか。もしくは、残念ながら亡くなったことが判明したとかがあり、そういう事で、今現在と関係する、影響する、現在と極めて強い繋がりがあると言うことでしょう。

このように
時間物差しスケールを用いると過去形と完了形の違いが生じず、だから、違いを生じさせるために「経験」、「完了」、「継続」のという分類を、機能用法にせざるを得なくなった。時間物差しスケールは日本語英語の完了形(および現在形と過去形)を誤認させた元凶なのです。
もっと根本的なことを言うと、Present form, Past formを「現在形」と「過去形」という日本語をあてたがために、時間物差しスケールを用いることになったと言うことです。

つまり、完了形が理解できない原因は

1.Present, Past fromの世界認識を誤認
2.完了形の本質を誤認
3.完了形の真意が記していない

この三点です。

完了形の真意は言外に言いたい事。だからこそ記していない。


ここまで読んでくれてありがとう。
お疲れ様でした。
あなたに幸あれ!

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