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言霊と英語

言霊と英語

煩雑になっていた〜完了形の用法という幻影〜から分離させました。
つまり、その続きです。

現在完了形と現在完了進行形の言外で言いたいことのネタが違うのは、考えてみれば当然で、完了形は過去分詞を持っている、身につけている。つまり、転じた、成ったことを「今」身につけている(←詳細はリンク先)。
完了進行形は現在分詞である状態を持っている、身につけている。つまり、最中、真っ最中を身につけているということだから、完了形は「行為がもたらす結果」をネタに言外に言いたいのであり、完了進行形は「行為それ自体」をネタに言外に言いたいということになるからです。

現在分詞=動いている、変化の真っ最中ーーー→be+現在分詞=その状態(動いている)にいる=進行形と呼ばれているもの。have been+現在分詞=その状態にいることを身に着けている=現在完了進行形と呼ばれている。
過去分詞であれば、過去分詞=変化した、転じた、成ったーーー→be+過去分詞=変化した、成った状態にいる、ある=受動態と呼ばれているものにetc・・・。
この、文法を分解した構成元素視点からの理解。これって、ネイティブが行っている無意識下の理解方法ではないでしょうか? いくらネイティブでも、幼稚園や小学生が現在完了形と現在完了進行形を知っているとは思えない。つまり、この原始的な単語自体の意味合いで理解しているのではないでしょうか。

その方が、シンプル、簡単で、応用が利く。だからこそ、子供が自由に使っているのでしょう。
子供にとってはmy father is a doctorとmy father is running は区別していない文法的に同一視している。受動態、完了形だって区別していない。全部、同じ。だからこそネイティブの子供でも何の不自由も無く使いこなせている。

ということは、次のことが導き出されはしないでしょうか。
ネイティブ文法用語として、確かに、Progressive、Perfective、Passive、Present perfect progressive等々の名前がついている。
ただしそれは、単語の組み合わせで全く違う意味が生じない言語の人たちが名付けたことです。
Why Japanese people!!??と厚切りジェイソンがぶち切れる(面白いネタはココ)ように、日本語は、単語の組み合わせで全く違う意味の言葉に生まれ変わることがある言語文化。だから、進行形、完了形、受動態、現在完了進行形等々名付けると、我々は熟語として認識してしまい、本来英単語の組み合わせで意味は変わらないのに、日本語の熟語として無意識のうちに誤?認識して、新たな独立した意味を持つようになってしまうのでは。そう、日本語は、言葉を与えると独立した別の命を宿すのではあるまいか。言霊として。
英語では単語が並んでも全く別の意味にならないし、例え並んだ単語セットに別の言葉が当てられたとしても、日本語とは違い、意味は変わらない、命はふきこまれない。

日本語英語に潜むワナ

と言うことは・・・言霊を持つ日本人であるが故に、理解を促進するはずの文法用語が、混乱させるための要因になりはしないだろうか。

おそらく、日本の英語黎明期に、先人達がネイティブ文法書から文法用語を、苦労して日本語に置きかえたと思います。が、それによって、言霊と二重基準が生まれることになった(文法用語の二重基準についてはクリック)。この二つは、一般能力者には理解の妨げになるが、かれら先人達(現在の英語習得者も)は、言語能力が優れているために、私のような非ギフテッドの理解の妨げになる可能性に気づかないのではあるまいか。

つまり
現在完了形も、転じた、成ったことを「今」持っている、身に着けている意味だからこそ、「発話時以前に起こった事柄をネタにして「今」言外に言いたいことがある」という意味になるのに、「現在完了形」という名前が与えられたために、日本人は「新たに」命をふきこむこととなり、独立した意味(用法)を付けることになった、のでは無かろうかと言うことである。
このことは完了形だけでは無く他の文法用語にも言えます。

これが日本に英語難民が大量発生するプロセスなのでしょう。
結局、やっぱり現日本語英語は、言語能力が優れている人たちギフテッド専用の英語学習法なのです。
自由に思考が飛躍しすぎ??

ここまで読んでくれてありがとう。
お疲れ様でした。
あなたに幸あれ!


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