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少年よ、自己中であれ

僕は自己中心的な人間です。
これは間違いなく断言できます。
僕は完全無欠の自己中人間なんです。

でもそれっていけないことでしょうか?
僕はむしろ自己中心的であることを誇りにすら思います。

じゃあなんで僕がそんなふうに思うのか。
今日はそんな自分哲学のお話。

、、、自己中って多分死語ですよね。
でも僕が今タイトル込みで3回使ったのでこれで生き返りました。
今日限り自己中という言葉を死語とは言わせません。

、、、今ので4回です。
死語どころか生き生きし始めました。

自己中心的という言葉の意味

「自己中心的」って言葉に、皆さんはどんなイメージを抱くのでしょうか?
軽くその意味を調べてみたところ、類語には「自分勝手」「利己的」などが挙がっていました。

英語だと「self centered」「selfish」あたりでしょうか?
僕は生粋の日本語ネイティブスピーカーなので詳しくはわかりませんが、良い意味じゃないということだけはビシビシ伝わります。

日本語でも英語でも、鼻持ちならないやつって感じですね。

でも僕は「自己中心的」という言葉を

自分の信念・世界観・美学に従って生きる

という意味で使っています。

だから

「自己中心的である」ことと

「他人を思いやる」ことは

矛盾しない

美しいと思える毎日を

自分のことを自己中心的だと思うかどうかはどっちでもいいんですが、自分の心の声に素直になって、自分を解放して生きた方が楽だと思うんです。

もちろん法律は守らなきゃいけないし、人として最低限のルールには従うべきだと思います。
その上で、って話です。

僕自身はこの世界から悲しみの淵に立たされている人が1人もいなくなってほしいし、無意味に命を奪われる動物は1匹もいなくなってほしいし、うちの妻や猫は一切の苦しみから遠ざかっていてほしいです。

僕はそんな世界こそが美しいと思うので、それを自分の美学とし、その美学に忠実でありたいと思います。
だからこそ自分は自己中心的であると断言できる。

詰まるところ、大事なのは「何を自分の芯に据えるか」なのかなーと。
その芯さえしっかりしていれば、自己中心的であることは何ら非難されることではないと思うのです。

とはいえ全員が全員そんな「美学」なんて大それた事を考えながら生きているわけではないと思います。
僕だってそんな難しいこと毎日毎日考えているわけじゃないです。
頭すっからかんです。

まあでも、時々考えてみてもいいんじゃないでしょうか?

「今の自分は、心から美しいと思える生き方ができてるかな?」

もし美しくないと思ったなら、自分の心の奥底の声が押し込められているかも。
そしたら少しだけ、自己中心的に生きてみてもいいって事なんじゃないでしょうか?


、、、さて、ここまでで「自己中」って何回使ったでしょう?


4回です(冒頭で使っただけ)。


瀕死の状態で復活し、すぐまた死語になりました。
死語はしょせん死語なんでしょうか。

以上です。

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