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~第206回~「氷川暦」

武蔵一宮氷川神社では干支絵馬や破魔矢など、さまざまな時期ものの授与品があり、その中に「氷川暦」があります。
氷川暦、聞きなれないかもしれませんが、日本の暦の歴史に名を残す暦です。

暦といえば日本では現在、太陽暦(グレゴリオ暦)を用いています。
これは明治6年(1871)からのことで、それ以前、江戸時代は太陰太陽暦(天保暦)を、さらに江戸時代以前はまた別の暦が各地でそれぞれ用いられており、その中の一つに「大宮暦」いわゆる「氷川暦」がありました。

氷川暦は、戦国時代に氷川神社で作成された仮名暦(漢字のみで書かれた具注暦に対して、主としてかなを用いる暦)です。
江戸幕府官撰の地誌『新編武蔵風土記稿』(1810~28)一五三に「一年豆州三島暦と武州大宮暦と、閏月の違ひありて」「斎藤某が武蔵国大宮氷川神社から出していたもの」などの記述があります。

三島暦とは、応仁・文明(室町時代)頃から明治5年(1872)まで伊豆の有力者である河合家が作成して、三嶋大社より一般に頒布された暦で、仮名文字で印刷された暦としては日本最古ともいわれる暦です。
「北条五代記」や「北条盛衰記」などに、関東の暦は伊豆国三島大社と武蔵国氷川神社の二か所で制作されていたが、天正10年(1582)の閏月の計算に関して見解の相違が生じたため両方の陰陽師を呼び評議させ、最終的に小田原では三島暦を用いることになった…という趣旨の記述があります。

三島暦についてはこのような記述があるのですが、氷川暦については史料がほとんど残っていないため、どのような内容だったかはっきりしておりません。
大宮の歴史を研究する大宮郷土史研究会でも、『大宮暦』について「これは武蔵一宮である大宮氷川神社から頒布された暦であったが、現在のところ実物が知られていないのでその性格や形態は分からない。」(松本宏著「暦の歴史と地方暦-大宮暦を偲んで」『大宮の郷土史 24』p1-8 大宮郷土史研究会 2005)と報告されています。
今後の研究で何か発見があるかもしれませんね。

〔 Word : Keiko Yamasaki Photo : Hiroyuki Kudoh 〕

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